よし、とノルンは軽く握った拳で自分を鼓舞する。目の前に用意したのは、綺麗に磨いた茶器にお気に入りの紅茶、それから小さな白い箱。豪勢とはとても言えないかもしれないけれども、これだけあればお茶会を開くことはできるだろう。
……。握った拳を力なく開く。目の前に完成した下準備は、まだ相手のいないお茶会だった。本当は、……本当は、先にジュリウスを誘ってから用意をするつもりだったのだけど。声をかけよう、かけよう、そう思ってあちこちを探し回って、ブラッドのみんなにも居場所を聞いたりなんかして、そうしてようやくのところで本人を遠くに見つけるとなんだか急に足が竦んでしまうのだった。用事がないのに誘っては迷惑かしら。仕事がまだあるかもしれないのに時間を作らせるわけにはいかないのでは? 弱気を増長させることばかりを考えて、結局いつも声をかけられないのだ。
だから、だから。こうして己の逃げ道を塞ぐように先に準備をしてしまえば、勇気ができるのではないか、と。
(大丈夫、今日はブラッドに出撃の予定はありませんし、明日も朝早い任務はないはず)
どれだけ念を入れても、たった一言がなかなか言えない。「お話しませんか」ただそれだけでいいはずなのに。それだけのことが、あの人に対してだけは途轍もなく難しいことのように感じた。
すう、はあ。胸に手を当てて深呼吸をする。ムツミに焼いてもらった、とびきり美味しいアップルパイの匂いがほんのりと香る。温かくて甘い香りだ。
少しだけ、勇気を貸して頂戴ね。テーブルに並べたまだ静かなお茶会に祈るような気持ちで気を引き締める。
「よし、さっそく――」
「……すまない。隊長、いるか?」
「きゃ!?」
ノルンが振り返るよりも先に、部屋の外から声がした。扉は閉じたまま、けれどその向こう側には今からまさに会いに行こうとしていた人の声がする。条件反射で跳ね上がった体を見られていなかったのは、本当に良かったと思う。
ばくばくと大きな音を立てる心臓を宥める間もなく、慌てて返事をする。声は少し震えていた。
「……え、ええ。ええ、いますわ。今開けます」
髪型は崩れていないかしら、服装はおかしくないかしら。ああ、今までだってずっと心の準備をしていたつもりだったのにやはりどうにも決まらない。それでもなんとか、なんとか平常を装う努力はしてみるつもりだ。不格好な姿を見せるなどという醜態、許すわけにはいかない。
「よかった。先日、隊長が俺を探していたと人伝に聞いてな。すれ違いでもしたかと思って来たのだが」
「えっ。……あ、ああ、そうでしたの。わざわざ出向かせてしまい申し訳ありませんわ」
「いや、構わない」
ブラッドの誰かが伝えたのだろうか。それとも探し回っているところを見た誰かが? ……己の詰めの甘さを痛感して、ノルンは思わず頭を抱えたくなった。ああ、そう、そうよね。素直で真面目なジュリウスのことですもの、自分が探されていたことを知れば自ら足を運ぶことくらい想像がつきそうなものなのに。
けれども、もしかするとこれはちょうどよかったのかもしれない。不安と焦りの裏で、うっすらとそんな考えが過っていく。顔を合わせて少し話すくらいなら、それでも……。それ、でも。
「……えっと」
──それでも。話がしたいのは、それはそうだけれど。そうじゃないのだ。お茶会に誘おうとしたのはそうではなく、いつもよりもう少し一緒にいたいからだった。そのための約束が欲しくてしたことなのだ。会いに来てもらって、それで喜んでいるだけでは今までと何が違うというのだろう。
「ちょ、ちょうどお茶をしようと思っていましたの。ムツミにもパイを焼いてもらって。……それでその、ジュリウスさえよければ、一緒にいかがかしら」
い、言えた。言った。ちゃんと。断られてしまうかもしれないけれど、それはちょっと怖いけれど、でもちゃんと言えた。傍目に見れば些細なことかもしれないが、大きな一歩を踏み出したように思えた。一度できたことならば、きっと二度三度だってできるだろう。だって今はもう、願えば叶うのだから。
「ああ、もちろん。頂くとしよう」
穏やかな微笑みは目の前にあって、もう、どこか遠くへ行ってしまったりしない。
この時を永遠などと驕るつもりはないけれど、しばしの平穏を実感してノルンは嬉しくなる。今日の紅茶はきっと、とびきり素敵な一杯になるだろう。そんな確信を持ちながら。
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