すとん、といつもの席に腰を下ろして部屋の主を見上げる。彼は、突然の客人に戸惑いのかけらも見せずに、収納から一つのカップを手に取る。今しがた彼が口をつけていたカップに比べると一回り小さいそれは、まるで春の訪れを連想させるようなあたたかでかわいらしい色合い。部屋の主とはイメージが結びつかないだろうそれは、いつだったか、ここを訪れるただ一人のためにと用意されたものだ。その、ただ一人その人であるキトリーは、それを目にするたび、なんとなく落ち着かない気持ちになった。胸の内側を羽毛に触れられているようなくすぐったさ。無論それを嫌だと拒む気持ちはこれっぽっちもなかった。なかった、けど、意識してしまうのだ。自分のために何か、触れられるものとして、そうでないものとして、戴くということ。与えられるということ。まだ慣れなかった。慣れるということが当たり前になるということならば、しかしきっと、それはそうなるはずもなかった。うん。彼にもらうものは、キトリーという少女の中ではあれもこれも全て、特別だと思っているから。そりゃあ全てが余すところなく、取りこぼすことなく、記憶できているかというとそれは、ちょっと、怪しいかもしれないけど。
「紅茶にするか? ……ん、でもこの前お前、使い切ったんだったか」
「ああ、えっと、そうですね。あの、じゃあ」
視線で彼のそのカップを指して言う、あなたと同じものを。部屋中を包む深くほろ苦い香りの。
コーヒーをあまり飲まないことは彼もよく知っている。そうか、とその瞳を不思議げに瞬かせるギルバートはけれど、それをいつもの気まぐれだと解釈したのか特に追及することなく収納されたコーヒー、の元となるものを取り出した。ついでに、何やら小さな、まあるい円形の箱も一緒に。
「これ、使うんだろ」
「わあ。はい、そうです」
そう言って寄越すその中身は淡い色をした砂糖だった。角砂糖、ではなく、小さな花の形。ある日外出先で見つけたときにキトリーが一目惚れして購入したものだが、それは、なぜかこの部屋に置いてあった。
「自分のところに置いておかなくて良いのか」
その疑問は尤もである。投げかけられた本人であるキトリーもなんとなく言われるだろうと想像はしていた。けれど。それは、もちろん、理由もなく置いてと言ったわけではないのですよ。中身が透けて見える上部を眺めながら、キトリーはその箱を揺らした。さら、と小さな音が鳴って、次いでギルバートが笑う。「自分で持ってると、お前、すぐに使いきりそうだよな。」わかった風に言っているが、実際にそれはその通りである。見透かされている。いいや、理解してもらっている、のか。それは幸せなことだけれど、でもどうにも、お前らしいと言う笑みがおかしそうでキトリーは僅かに頬に空気を含ませた。
「それじゃあ、まるでわたしがくいしんぼうみたいじゃないですか」
「食べるのは好きだろう」
「そうですけれど、さすがに砂糖だけをかじったりはしません」
むっとして眉を寄せるキトリーの頭を、ギルバートは手の甲で小突いた。そんなことはわかっているとでも言いたげな軽い衝撃だった。触れられたところの髪を撫で付けながらギルバートの方へ顔ごと視線を向けると、ふわりと、温かな湯気が上がったのが見えた。砂糖の使用方法を説明してやろうと開いた口はほら、と差し出されたそれを受け取ると素直にお礼の言葉を放った。
両手でカップを持つとじわりと熱い。ふう、と息を吹きかけると空気の流れのままに湯気がくるりとその形を変えた。揺れる水面は紅茶と違って深い色をしていて、鏡のようにはっきりとキトリーの顔を映し出して見せた。ちらり、と目だけギルバートの方を向く。置いてあった大きなカップを口につけて、くい、と飲み干す。きっとあの中には何も入れていないのだろうと思う。砂糖やミルクなどといったものを入れているところを見たことはなかったし、きっと嫌いではないと思うのだけれど、そのままでも彼は美味しく飲めるのだ。
ううむ。もう一度自分のカップを眺める。それを受け取るために机に置いた砂糖の箱と交互に見て、考えて、それからそろっとカップに口をつけた。ちろり。ほんの端だけ、唇が触れて、それを舌で舐めた。……味は、やはり苦かった。んんん。ちょっとだけ何かに負けた気がして、キトリーは口をもごもごと動かした。口の中に残るほろ苦さは、こないだ少しだけ焦がしてしまったクッキーにも似ていた。味というよりは気持ちの問題だけれど。
「うーん……今日は、三つにします」
大人しく箱を開けた。透明な蓋を持ち上げると、横にスッとティースプーンが差し出されていた。よくご存知のようで。ありがたく受け取ると、上に砂糖を置いてそっと沈めた。小さな気泡がまとわりついて、少しずつ甘さが溶け出してゆく。くるくるとかき混ぜると、紅茶とは違って濃いその中の様子は上手く見えない。スプーンを抜いても渦巻いたままの水面をじいっと眺めた。
「キトリー。ミルクはどうする」
「……まだ、待機です」
もう一度差し入れたスプーンで底をかいてみると、まだ砂糖の塊は残っていた。掬い上げて揺するとほろほろと脆く溶けていった。視界に映らないところで、物音がする。そうしてすぐに、机に乗っかったのはミルクだった。どうせ、使うことになる。とでも判断されたのだろう。……待機って言ったのに。けれど、キトリーは何も言わなかった。無言で、スプーンを置いて、今度はしっかり一口分、口に含む。
十分にかき混ぜたコーヒーは、やはりまだまだ苦かった。
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