深夜。ほとんどの者が寝静まり、静寂に満ちたアナグラをノルンは一人歩いていた。予定していた仕事は大方片してしまったし、少し息抜きに散歩を、と思っていたのだが。エレベーターを降りてロビーに出たそのときだった。
あの、と控えめに声をかけてきたのは極東支部所属の若い神機使い。名前はよく知らない少年だったが、何かしらと返事をする。すると彼は少し緊張したような声色で、簡潔に、言ったのだった。
「……ジュリウス」
ラウンジにジュリウスさんが。言われて来てみれば、なるほどとノルンは思う。
机の上に山積みにされた分厚い本。ソファで静かに眠っているのは間違いなくジュリウス・ヴィスコンティその人。きっとあの少年にとってこの人は近寄り難い存在なのだろうし、故に同じ空間にいるには居心地も悪かったのだろう。と、まで思われているのかわからないが、気軽に声をかけても良いものかと戸惑われていたことは間違いない。
にしても珍しいこともあるものだ。部屋にも戻らずこんな場所で。それほど熱中していたのだろうかと思うと、どうしてか少し微笑ましく思えた。
が、そんなことをしている場合ではない。
「ジュリウス、ジュリウス。こんな場所で寝ては体を冷やしますわ」
控えめに声をかけながら、その肩に触れる。少し体を揺すれば、彼の瞼がうっすらと開いた。
しばし瞬きを繰り返して、ようやくその視線がノルンの姿を捉える。
「おはようございます。……夜中ですけれどね」
「ノルン……ああ。そうか、眠ってしまっていたか」
「ええ、そのようで。隣、失礼しますわね」
彼の横を指して言うと、ジュリウスは少しスペースに余裕を持たせるようにして奥へとずれる。空いたその場所に座ったノルンは、持ってきた水筒からまだ温かい紅茶を注ぐと、ジュリウスの方へと差し出した。
これはいつも世話を焼いてくれる青年に仕事の合間、休憩の供にでもして下さいと持たされたものだが、丁度よかった。心の中でそっと彼に感謝をしながら、ノルンはジュリウスの様子を伺い見る。
紅茶を口にして、一息ついたジュリウスはゆっくりとした声で呟く。
「少し……夢を見ていた気がするんだ」
「夢ですの?」
「はっきりとは覚えてないんだが」
「どんな夢だったか、聞いても?」
ああ。ジュリウスが頷く。記憶をたどるかのような速度で、そっと言葉を紡ぎ上げて。
「ロミオがいて……ナナがいて。ギルやシエル、リヴィそれから、」
じ、と向けられた瞳にノルンが映る。隊長。その肩書きはやはりまだ馴染まず、くすぐったい響きでノルンに向けられた。
ブラッドでいる夢。みんなでいられる、夢。
それは彼女も幾度となく見てきたものだった。寝ても、さめても、ずっとずっと。――けれど。
「それは……すべてがすべて夢、という訳ではないのではないかしら」
「ああ、そうだな」
否定は、彼に、あるいは自分自身にも向けて。
今はこうしてジュリウスも、ロミオもいる。リヴィも加わってブラッドはより賑やかになった。
夢などではなく確かに、ここに存在している。
「……実感するたび、より一層、大切にしなくてはと思いますわね。この一瞬一瞬を」
「当然だ」
微笑んで、自信にあふれる口調で言い切られると随分と頼もしいのは相変わらずで。ノルンはくすくすと笑みをこぼした。
そうやっていてくれると、言いようのない安心感が湧き上がってきて、つい甘えてしまいそうになる。立場は逆になってしまったけれどやはりどうにも、ノルンにとっての彼は目指すべき目標であり、憧れであり、この身を預けたいと思う大切な存在だった。そのことに、今もきっとこれからだって変わりはないのだろう。
「やはりこの時間は少し冷えるな……さすがに、部屋に戻ろうと思う。ノルンはどうする」
「あなたが戻るのでしたら、わたくしもそうすることに致しますわ」
風邪など召されぬよう。言いながらノルンは、いつの間にか空になっていたコップを受け取りきゅっと水筒を閉めると立ち上がる。
先に歩き出した彼を追うように後ろにつき、少し思案し速度を上げて横に並ぶと、ジュリウスが歩く速度を緩めるのがわかった。
たったそれだけのことだったが、どうしようもなく嬉しくなって、ついだらしなく緩んでしまう口元を抑える。ああ、やっぱり、どうしたって。その程度で簡単にふわふわと舞い上がってしまうこの気持ちは、まさしく夢心地だ。
夢じゃないと、さっき言葉を交わしたばかりですのに。
おやすみなさいと部屋の前で別れてからもつづく余韻は深く、彼を本当の夢の中まで連れてきてしまいそうなほどに。
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