珍しく困り顔で「悪い」と告げるハルオミが、彼女とともにギルバートの部屋へとやってきたのはつい先ほどのことだ。
「あー、その、なんだ。……悪い! ほんと全面的に! 俺が悪かった!」
扉が開かれそこに広がる光景を目の当たりにして、ギルバートは思わず固まった。一体、どういう状況なのか。謝罪と反省の意を繰り返し言葉に乗せ困ったように表情を歪めるハルオミ、そしてその腕に抱えられた少女。キトリー。ギルバートが大切としている人。恋人。その人がそこで、随分ぐったりとしている。
おまけに彼女の両腕はしっかりと、ハルオミの首に回されていて。胸の内で微かに渦を巻くもやりとした感情を抑えこんで、ギルバートは改めて訊ねた。状況とその経緯を、説明してくれと。
「その前に、彼女受け取ってくれないか。もうずっとこの調子で腕が……」
「ああ……はい」
……。ハルオミはああ言っているが、彼も現役の神機使い。女性一人を少し抱えたくらいで音を上げるような鍛え方はしていないはず。恐らくはギルバートに気を遣っているのだろう、ということは想像に容易かった。さすがだ、とギルバートは思う。本当に、彼のそういった気遣いがさりげなく出るところは、素直に感心と尊敬ができた。少し、それなりに、結構、悔しいけれど。
未だぐったりした状態の彼女を受け取ると、ギルバートはすぐに様子を伺う。がっちりとしがみついていたようにも見えた彼女の腕は、案外あっさりとハルオミから離れた。もしかして意識がないのかとも思ったが、時折瞼がうっすらと上下していたり、指先が動いたり、唸るようにして言葉に成り得ない声を発したり、ぼんやりとはしているようだが意識はどうもあるらしい。
よくよく彼女の顔を見るといつにも増して上気している。呼吸も随分と荒いようだ。風邪……にしては、あまりに突然すぎるだろうか。昨日ミッションに同行したが、こんなになるほど体調が悪そうには見えなかった。
「で、まあこうなった経緯なんだが……」
「はい」
「すまん、俺が、ラズベリーボンボンを食わせたせいなんだ」
「……はい?」
聞くと、二人は通路でばったりと鉢合わせし、そこでちょっと世間話をしている内に盛り上がってしまいせっかくだからお茶でもという流れになり、ハルオミが取り寄せたというラズベリーボンボンの話題になってそれを食べさせたらそのまま一人で一箱全てを食べきってしまい、結果急にぐったりし出して慌ててギルバートのところまで連れて来た。ということらしい。
「いやあ、まさかここまでアルコールに弱いとは」
「まあ、確かに縁遠そうではあるっすね」
「途中で止めりゃよかったんだが、チョコ好きなんだなーとのんびり思っててなあ」
次はちゃんと止めとくよ。そう言ってハルオミはベッドを指差し彼女を休ませるよう促す。
「じゃあまあ、あとは頼むわ。彼女も、面倒見られるのは俺よりギルのがいいだろう」
「……はは」
それはどうだろう、彼女はハルオミに随分と懐いているようだし、何より、何かとブラッドには見栄を張りたがる。単に世話を焼かれるだけならハルオミでも……と思って、また悔しくなって、やめた。
ギルバートのその曖昧な笑みの意味に気付いてかそうでないのか、ハルオミは軽くギルバートの肩を叩くと、その手をひらりと振って去って行った。
まだまだ何枚も彼の方が上手なことは明らかだった。情けない話ではあるが、積んできた経験の差は誰の目にも明らかだろう。……ああいう経験の積み方は真似しようなんて思わないけれど、せめてあんな気の遣われ方をしないくらいにはなりたいものだ。
「さて」
ベッドの上に降ろすと、キトリーはもぞもぞと体をよじらせてゆっくりと体を起こした。とろんとした目がゆっくり、探るように辺りを確認している。ここがどこだかくらいはわかるだろうか。とギルバートが思ったその瞬間、彼女の薄く開かれた唇がか細い声で言葉を紡ぎ出した。
「へや……ギル……?」
「おう。起きて大丈夫か? 気分はどうだ」
「へへ……なんだか、ふわふわしますう」
へにゃりと表情を緩ませる彼女のその頬はまだまだ赤いまま。いつものんびりとしたその口調も、今は割り増しで間延びしている。大丈夫、とは言い難そうだ。
とりあえず今は休ませることにしよう。飲み物、水とか持ってきてやるべきか。
立ち上がったギルバートは、けれどそこから歩を進めることができなかった。服、ジャケットのその裾が軽くくいくいと引かれる。
「どこにいくんですか……?」
「水だよ。飲み水持ってきてやるからちょっと待ってろ」
ベッドの上でぺたりと座り込んでいる彼女の頭をぽんと撫でて言い聞かせるも、キトリーは小さく左右に首を振る。
「ここにいてください」
「けど」
「いっしょに、いてください」
結局折れるのはギルバートの方だった。甘やかな声。響き。吐息。ほんのりとアルコールの香り。それらすべてにくらりと揺れて。揺れて、折れる。まあ少しくらいなら。異常事態ではあるけれど急を要する事態ではないとこじつけるように判断して、ギルバートは彼女が座り込むそのベッドに腰を下ろした。
「わあい」
ぎゅ。上機嫌な声と共に、腰周りが柔らかな感触、温もりに捕らわれる。それがキトリーその人だと理解するのに時間はかからなかった。理解、現状、そうして反射的な反応をして、少し遅れて声が追う。彼女の名前、何かを問いかけるような音のリズムで。
「キトリー?」
「今日はまだ、あんまり、おはなしができていないなあって。ですから、じゅうでんですよ」
犬や猫が甘えるような、それと同じ仕草で、キトリーはギルバートに頬を摺り寄せる。ぐりぐり。酔っているせいかいつもより過剰に甘えてくる彼女の態度を受け、ギルバートは“かわいい”とそう思えば思うだけ、同時に焦っていた。今すぐにでも腕を伸ばし、彼女を抱いてしまいたい。そんな勢い、そんな欲が、思考とまじって体中を駆け巡っていくようだった。
今の彼女は正常ではない。そんな状態で手を出すことは、果たして良いのだろうか。良いことなのだろうか。繰り返し繰り返し、言って聞かせるように考える。意気地なしと称されようが一切構わない。それだけ大事にしてやりたい、そのことを彼女さえわかってくれるなら、それで一向に構わない。そうだろう。なあ。
一頻り考えて、結論が弾き出される。
「わかった。充電とやら、付き合ってやるよ」
好きにさせてやろう。思えば素直に、思うがままに甘えてくれる機会はそうそうない。彼女がそうしたいと思っていて、自分がそうされたいと思っている。十分ではないか。もちろん、ギルバートは手を出さないつもりでいた。それは、そうするのは、きちんと筋を通してからだ。
なんて少し格好をつけて納得したようにしているけれど、実際のところは、甘える彼女のその笑った顔をじいっと見ていると、最初は確かに色々考えるけれど、最終的になんだかやっぱりどうでもよくなってきてしまうのだった。他の人には見せない表情、幸せそうにはにかんで、見上げてくる瞳。色んなことを考えて、ぐるぐると混ざり合って、最後に残るのはただ、この顔を見ていたいということ、それだけ。それだけで単純にも、満たされてしまうのだ。
「……今は、なんだろうけどな」
「うん?」
「なんでもねぇよ。おら、来るならこっち来い」
ギルバートが腕を広げて構えてやると、キトリーは嬉しげにその表情を輝かせまっすぐそこへ飛び込んだ。
ほのかに甘いその香りはまだ、彼女を離してはくれないけれど。こうやって抱きしめているとあからさまにうとうとし始めるキトリーのあどけなさがじわりとくすぐったくて、乱れていた呼吸が段々と規則的な寝息に変わっても、ギルバートはしばらく彼女の頭をなで続けていた。
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