レーガくん、と呼ぶその声が好きだ。
砂糖で煮込んだジャムみたいな、きらきらと甘いものをぎゅっと詰め込んだ、けれどそれは決して舌を突き刺すような刺激的なものではなくどこか懐かしさにも似た素朴で純粋な甘さ。
彼女の人柄をよく表していると思う。その声で言葉を紡ぎ出す唇を、ただ、綺麗だと思った。
一応弁解しておくが、厭らしい、好色的な意味合いではない。
そりゃあ全くその気がないのかというと決してそんなことはないけれど、そうではない。そうではなく、だけど例えそういう意味であっても、なくても、彼女のその声に呼ばれると、どうにも心の奥がくすぐられるようなうれしさがじわりと込み上げて来るのだ。
「ミノリ」
「なに、レーガくん?」
「呼んだだけ」
一瞬きょとんと瞬いた後、すぐにその瞳は笑みの奥へと隠されてしまう。
どうしたのとおかしそうな笑い声混じりに問いかけてくる声に答えながら、レーガはその腕をミノリへと伸ばす。
「わっ」
「呼びたかっただけ。ミノリのこと」
ぎゅうと抱きしめるとレーガからは彼女の表情が見えなくなってしまうが、不思議がっている様子だけはなんとなくわかった。
きっとよくわからないまま、こうして抱きしめ返してくれているのだろう。温かな手のひらにふわりと頭を撫でられて、レーガは思わず呟く。
「あー……やばい」
「うん?」
「こうしてミノリに甘やかされてると、オレ、すっごいダメになる気がする」
「ええっ」
ミノリの肩に額を乗せながら、その甘い香りにぐらりと何かが大きく揺らぐのを感じた。
見て見ぬ振りを決め込もうと抱きしめる腕にそっと力を込める。レーガくん、と小さく彼女が自分を呼ぶ声がして、レーガはどうしようもなく溜息を吐きたくなった。ほんとうに、どうしようもない。その音を、その声を、聞きたくてたまらないのに、ずっと聞いていたいとさえ思えるのに、そうしたらきっと、胸の奥にぴんと張ったそれが切れてしまいそうで。矛盾が生じてしまっているのだ。
言葉もなく、内で葛藤をするレーガに対して、ミノリは小さな声で呟く。
「甘えてくれるレーガくん、かわいいのになあ」
「……それは、もっとダメだ」
可愛いと言われて黙っている訳にはいかない。とレーガは顔を上げ、ミノリの腰に腕を回したまま少しだけ離れる。向かい合いながら、レーガのその視線にミノリが僅かに怯む。
彼氏として、彼女には格好良いと思っていて貰いたい。言葉にこそなっていないが、その目が真っ直ぐにそう語る。
「だから、オレにミノリを甘やかさせて?」
「う……、だ、だめ」
「どうして?」
「だってレーガくんに甘やかされてると、どんどん甘えたくなっちゃいそうなんだもん」
「いくらでも甘えていいって言っても?」
ぐい、と引き寄せるようにして、再び距離を詰める。
言葉と共に漏れる息さえ感じられそうなその距離に、ミノリの頬が僅かに赤らんだ。
こうして初心な反応を見せてくれるたび、少し意地悪をしたくなる……が、それは胸の内にそっと仕舞いこんでおこう。内緒にしておこう。戸惑う彼女もきっととても愛らしいと思うと惜しい気もするけれど、やっぱり笑った顔の方が、見たい。
「……じ、じゃあ、あの」
「ん?」
「仕事、たくさん頑張って、そしたら、その。わたしのお仕事もレーガくんのお仕事も終わった後、ちょっとだけ、甘えてもいい?」
おずおずと此方を見上げる双眸はどこまでも純粋で、謙虚。そしてその提案はあまりにも可愛らしい。
思わず手を出してしまいそうになったが、まだだ、と無理矢理抑えこむ。ああ、もう、こんなの卑怯だ。ミノリの言うこと、オレに出来ることなら何でも叶えてあげたいと思うのに、彼女のそれはいつだってささやかで。本当になんだって叶えてあげられそうで。
これじゃどう見たって彼女にただ甘いだけだ。それに、彼女の言葉からはそれ以上なんて望まれていないのに、オレがもっとと思ってしまう。そんなのは格好がつかない。
「……ずるいなあ、ミノリは」
「うう、だめですか」
「ああ、違う違う。……ただ、ちょっとだけってのは自信がないだけ」
くしゃりと笑う自分が、彼女の瞳に映っている。その姿がなんだか少し情けなく見えてしまって、ああ、彼女にも同じように見えているのだろうかと僅かに不安に思う。
けれどミノリは微笑んで、子供が内緒の話を耳打ちをするような穏やかさで言うのだ。「ちょっとだけだよ」と。
そして。
「たくさん甘えると、もっとって思っちゃうから」
欲しかった言葉をくれるその甘い声は、やっぱりどこまでも卑怯なのだ。
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