好き、と。彼に、レーガに、そう伝えられた。今もまだその声が耳に残っている、気がする。
だって、思い出すたびにじんと耳が熱を帯びるような感覚に襲われる。心臓がじくんと痛む。
意識していなかった訳ではない。それは決してなかった。少なからず意識はしていたし、好意を持っていた。けれど。その、なんとも情けないことに、言葉が殆ど出てこなかった。何か答えようと思うたびに切羽詰って、言葉に成らない声しか出てこなくって。
好き。単純であるはずのその言葉がふわりと曖昧に浮いていて、それが掴めない。自分が抱いているそれは、果たして与えられるそれと同じものなのだろうか。混乱したまま簡単に結論を出してしまうこともきっと一つの選択肢だっただろうけれど、それが出来なかった。きっと、あまりに真剣だったから。その想いが、その目が。自分だけ楽な選択なんて出来るはずもない。
と、いうのは全ての出来事が保留となって一人になった後にミノリが考えていたことである。全く情けないものだ。はっきりと言われたのに。言われたのにね。ただその後悔だけが思考をどんどん滑らせていって。底なしの沼に誘うかのように。
折角出かけたのに、明るい気分にはあまりなれなかった。木陰に腰を下ろして、その幹に体を委ねる。温かくて穏やかで、まさにお昼寝日和。いつもなら迷わず寝ていただろうに。
「…………はぁ」
幾度目の溜息だろうか。あまり数えたくはないものだ。
そもそも、出かけた理由は何だっけ。ねえミノリ。こんなところで座り込んで悩むためじゃないでしょう。……言い聞かせてもまだ覚悟は決まらなかった。彼に、会いに行く覚悟。
あれから一度も会いに行けてない。記憶の中の彼の笑顔がなんだか懐かしい。懐かしくて、ちょっと、ちょっとだけなんだけど、泣きそうになった。どうして。
その答えは、答えはきっともう、出ているはずなのに。
「悩んでばっかりは、だめ、なんだよね」
大丈夫、大丈夫。と繰り返して、ミノリは今にも震えてしまいそうな足で立ち上がり。立ち上がって、そしてすぐに止まった。
「……この辺なら、人は少ないけど」
柔らかな風の音と共に鼓膜を揺らしたその声。息を呑む。レーガの声だ、そう思うと同時にミノリは咄嗟に木の陰に身を隠す。盗み聞きだなんて失礼だ、とは、思う。けど。体が硬直してしまって、その場から動けない。その間にも、声は、空気を伝って。レーガの声と、もう一人、女の人の声。聞き覚えがないから、町の人ではなさそうだけど。これは。
(……ど、どう考えても、告白……だよね……?)
ずっと頭の中を巡っていた単語もちらちらと聞こえてくる。確実に、それだ。どうしよう。余計に出て行けなくなってしまった。
咄嗟に、ぎゅうっと目を閉じた。視界を塞ぐと途端に早鐘を打つ心臓の音が耳の奥でどくどくと響く。緊張、それとも罪悪感。あまり心地のいいものではない。どっちかっていうと、黒くて、もやもやしている、そんな感じ。
こくはく。彼は、何て返事をするのだろう。やっぱり、こと、わる? だけど、こうして悩んでいる間にも愛想を尽かしてしまっていたら。もし、もしも、本当にそうだったらどうしよう。
自らの思考に沈みこんでしまっている彼女に、既に会話など聞こえてはいなかった。……どれだけそうしていたのだろうか。しばらくして、ミノリははっと我に返って、そっと目を開けた。いつのまにか、声が止んでいる。
もう帰っちゃったのかな。そう思うと金縛りのように全身を蝕んでいた緊張が解けたようで、自然と体が動いた。そうして、そっと木の陰から様子を伺おうと、して。
「……なーにしてんだ」
「ひゃあ!」
声を掛けられた。思わず声を上げてしまって、慌ててミノリは両手で口を押さえた。押さえたにも関わらず、目の前のその人の名前を言おうとする。もご、もご。あ、う、レーガくん。どうして。
一連の流れを見守っていたレーガは、どこかおかしそうに笑ってから落ち着け、と告げる。そのときミノリは、彼の手が所在なさそうにふらりと彷徨っていたのを見た。きっと彼女のその頭にでも乗せようとしていたのだろうけれど、それはすぐに引っ込められていった。そのことに気付く余裕など、今のミノリには、ないのだけれど。
「ミノリ、ずっとそこにいただろ。……その、悪かったな、気を遣わせて」
「い、いや。あの。そんなことは」
俯きがちでぽたり、ぽたりと落ちていくような声。だめ、だめだ。こんなんじゃだめ。しっかりしなくては、とミノリは静かに、素早く、深呼吸をする。ちゃんと、お話をしなくちゃいけない。かき集められるだけかき集めた勇気を振り絞って、言葉を声に乗せて。大丈夫。
この状況になって急に、どうしてだか、ミノリは少し落ち着いていた。不安とか、そういうもの全部、いっぱいいっぱい考えすぎていたのかもしれない。慌てすぎて、そういうものも一緒に、色々吹き飛んじゃったのかもしれない。単純な言葉も、難しい思考も、そういうの全部。全部。
「えっと、ええっと………………あ、あれ?」
あああ、何を言おうとしていたんだっけ。
「……」
「……」
無言でぽかんとしているミノリをじいっと見て、どうしたのだろうとレーガも首を傾げている。二人して黙り込んでしまったものだから、急に辺りがしんと静まり返る。世界が止まったような、いいえもしくは、時間に置いて行かれているような、そんな感覚に陥ってしまいそうな瞬間。
「ひ、ひさしぶり……っ?」
やっとのことで出てきた言葉はあまりにも素っ頓狂な音で、思わずミノリは咳払いをした。誤魔化し……たかったのだけれど、レーガが僅かに噴き出したのを見て、それが叶わなかったと知る。恥ずかしい。頬にじわりと熱が集まる。
「そう、だな。数日ぶりか」
「う、うん」
「……えーと。さっきのだけどさ」
「! さっきのって、あの、えっと、女の人が……」
「断ったから」
「そ、そう、なの」
「そう。……一応言っとくけど、アンタがいるからだからな」
真っ直ぐ、射抜かれるような視線にまた胸の奥が軋むように痛んだ。どうしようもなく、いたい。すると表情に出ていたのか、レーガが複雑そうに僅かに視線を落とした。
「れ、レーガ……くん?」
「あの後……言ったこと、ちょっとだけ、後悔したんだぜ? ミノリにとっては迷惑だったのかなって」
「! そんなことは……っ!」
「でも、明らかに挙動不審だったろ?」
「う……」
「それにその後、全然会えねぇし」
「……うう」
「さすがに避けられてるのかと思って落ち込みもしたぞ」
「ご、ごめんなさい……」
いや、とレーガが首を振る。優しい人だ。本当に。だからこそ余計に、自分の不甲斐なさにミノリは顔を曇らせた。
だけど落ち込んでいる場合ではない。伝えなきゃいけないことが、ある。あるから。
「あ、あのね。この前のことだけどね」
「……ああ」
覚悟を決めて向き合う。視線が絡んで、心臓がどきりとする。上手い言葉が出てくるかわからない。伝わるかどうかだって。不安で不安でいっぱいだけど、口を開く。
「すきって気持ちが、よく、わからなかったの。だから、あれからたっくさん考えた。レーガくんのこと、すきだけれど、このすきは何なのかなって」
おしゃべりをすると楽しくて、一緒にいて時間があっという間で。さよならした後は明日は何を話そうかなって思うとわくわくして。レストランに行くといらっしゃいって笑ってくれるのが嬉しくて。頑張り屋さんでいつもお店のこと考えてて、一生懸命で、時々真剣な顔をしているのを見ると眩しくて。レーガくんはそんな人。
好きと言われて、どきどきした。ずうっとその声が残っていて、思い出すたびにじんと耳が熱を帯びるような感覚に襲われる。心臓がじくんと熱くなる。そうして、それで、どうしようもなく、会いたくなる。
「それが、あなたの好きと同じなら、もし、そうだったら。……この指輪、受け取って下さい」
少し震えた手で、指輪を差し出す。閉じてしまいそうになった瞼をぐっと押し上げて、逃げ出してしまいそうな視線を真っ直ぐ、彼に向けた。
沈黙が辺りに満ちる。時間の感覚が全く働いてくれなくて、どれだけの間そうしていたのか、ミノリにはわからなかった。けれど。
次の瞬間、突然レーガの表情が変わった。火がついたような、真っ赤な顔。思わず唖然としてしまう。おずおずと名前を呼びかけてみると、レーガは手の甲で口許を覆い隠すようにして、小さく、言う。
「い、いや……何ていうか。まさかそこまで言われるとは……ちょっと予想してなくて」
照れている。そう理解した瞬間、ミノリの全身をまるで駆け巡るようにして熱が支配する。よく考えたら、なんて、なんて情熱的なことを。言ってしまったのだろう。
そうして二人して照れていると、まだ赤い顔のレーガが大きく息を吐いた。罰が悪そうに目線を僅かに泳がせながら。
「……はあ、ミノリがそこまで考えててくれたのに、オレ、何考えてたんだろ……」
「な、何を考えていたの?」
「あー……えーと」
「?」
「これからどうやって気持ち切り替えようかな、とか。まだ完全に振られてないにしろ、今まで通りの方が一緒にいられるなら、そっちの方がいいし」
「……は、早とちりだ……!」
「こーら。誰のせいだと思ってんだ」
「あう」
ぽん、と頭をはたかれた。はたく、と言っても軽く、手を頭に乗せたとも言える程の衝撃。
「さっきみたいに、告白もされることがあったし、その度にどうにかしようとしたけどさ。やっぱり、出来そうにないって思った。
それくらい、どうしようもないくらい、オレ、ミノリのことが好きだ」
だからこれ、もらうな。そう言って笑うレーガの手に、いつのまにか指輪。あれ、とミノリは自分の手とレーガの手を交互に見る。完全にぼんやりしてしまっていた。言葉を聞くことに、全神経傾けてしまっていた。レーガの手の中にある指輪をじいっと見ていたら、どうしてか、目の奥がじわりと熱くなった。心の奥で張り詰めていたものが解かれていってるみたいな。ずっとずっと消えなかった不安がようやく晴れていくみたいな。
それがじわじわと溢れて、頬を伝った瞬間。レーガが一瞬だけ驚いて、それからそっと優しくミノリを抱きしめた。
「うう……ぐすっ……」
ぎゅっと、少し強い力に抱きしめられると、余計に涙が出た。あったかくて、酷く穏やかな安心感。子供みたいにみっともなくしがみついて、僅かに残った理性で泣き声だけは噛み殺して。レーガに名前を呼ばれる。真上から降ってくる声に、答えたいのに口から零れるのは嗚咽だけ。
「ミノリ」
「うっ、えぐ……」
「……ミノリ、泣き止まないとちゅーするぞ」
「っえ……!?」
思わず顔を上げた。冗談? 本気? 声じゃわからない。真っ赤な目鼻のまま見上げて、ぱちぱちと瞬き。……あ、涙が引っ込んでいる。
「……ほんとに泣き止んだし」
「え、あ、うん……?」
おかしそうで、だけど少し呆れたような表情。レーガのその顔の意図がわからずにきょとんとしていたミノリだったが、数秒遅れて、ようやく理解する。あ、と声を上げて、それから、それからぎゅっと目を閉じた。
「な、泣き止んでないよ!」
僅かに残っていた涙が瞼を強く閉じたことで少し、滲む程度。それで泣いていると言い張っている。我ながら苦しいと思ったが、ここでなんちゃってと目を開ける余裕がミノリにはなかった。苦しいなりに、言い分をそのまま突き通す。
「泣いてるよ!」
「ミノリ……」
「な、泣いてるんだよ!」
今度こそ完璧に呆れられたかもしれない。やっぱり目を開けよう、かな。ミノリがそう思ったとほぼ同時、その額に、ふわり、キスをされた。
え、と反射的に目を開きレーガを見ようとしたけれど、再び抱きしめられて出来なかった。ミノリの肩口に顔を寄せ、レーガがああもう、と呟く。
「あんまり、かわいいこと言わないでくれ。危ないから」
言葉の意味がわからず答えられないでいると、レーガはもう一度大きな息を吐いた。
よくわからないことだらけだ。教えてと言えば教えてくれるだろうか、それともこれから自然にわかるものなのかな。全く、恋愛初心者もいいところだ。
だけどそれこそこれから、これからだ。まだ、始まったばかりなのだ。
ゆっくり、ゆっくり。きっと二人なら、乗り越えていけると思うから。
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葵様にリクエストいただきました。ありがとうございました!
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