今にして思うと、傭兵ブラッカの日常には雪があった。教都アルジェーンに拠点を構えていたのだから、まあ、当然なのだが。
それは仕事終わりの体に冷たく刺さるものではあったが、ブラッカの姿を神官の目から覆い隠してくれることもあったし、足跡などの情報を上手く扱ってくれるものでもあった。とはいえ元々、仕事に差し障りのない部分での天気になど興味はなかったのだけれども。
窓から差し込む柔らかな日差しに起こされて、ブラッカは目を覚ました。それは未だ慣れない部分の多い新生活を感じる一瞬だった。
部屋に満ちる心地よい太陽の温度も、寝袋とは違って弾力のある寝床も、微かな木と土の香りも。どれもが真新しく、ブラッカを少し落ち着かない気持ちにさせる。
朝が僅かに圧し掛かった重たい頭を振って横を見ると、皺の寄ったベッドのシーツを残して同居人は既に出かけているようだった。
少し前から生活を共にするようになったその人は、いつもブラッカより少し早くに寝て、ブラッカより少し早く起きる。最初の頃は隣で物音がしようものなら瞬時に目を覚ましていたが、気づけばこうしていつの間にかいなくなっていたくらいには眠ってしまうようになっていた。それほど油断してしまっているのか、或いは最早気に留めるほどではないと感じているのか。どちらにせよその変化は、ブラッカ自身に多少の衝撃を与えた。自分がそんな風に変わるとは想像もしていなかったのだ。
体を起こして手早く上着を羽織ると、ブラッカはそのまま寝室を後にした。そういえば部屋の中では時折、自分より先にここで暮らしていた妖精たちが賑やかに話しながら飛び回っていることもあるが、今日は誰もいないらしい。家の中はしんと静まり返っていた。
少しだけほっとして気を緩めた瞬間、まるで見計らったかのように入口の扉が音を立てて開く。反射的にブラッカが身を強張らせるのと同時に、温い風と共に部屋の中に入ってくるその人が声を発した。
「あ、おはようブラッカ。起きてたんだ」
「ああ……相変わらずお前は朝早いな、アイン」
「畑仕事だしね。そうだ、朝ごはんはまだだよね? さっき作った料理あるから食べる?」
特別断る理由もないので頷くと、なぜかアインは嬉しそうに笑ってキッチンへと向かっていく。すれ違いざま、彼女からは外の匂いを感じた。あの街とは違う、春の匂いだ。
――雪に埋もれて過ごしていた頃は到底縁遠かったものだった。それを感じる度に、その温度がじわりと胸に染み入るような感覚に陥る。雪融け、とでも言えるだろうか。雪よりも深く冷たい場所にいたはずの自分を春にまで連れ出したのは間違いなく目の前のこの人だった。そしてまた、それを許容したのはブラッカ自身でもある。こうして暮らす今も傭兵と雇用主という関係ではあるけれど、それだけではない関係をお互いに望んだ結果の現在であるという自覚がブラッカにはあった。
「ねえ見て、冬の間に育てたチルドプラントでアイスクリーム作ってみたんだ」
席に着いて差し出されたそれは雪の積もる窓辺で時折口にすることもあった、ブラッカにも馴染みがあるデザートだった。ああ、やけにニコニコとしていたのはこれを用意していたからか、となんとなく察する。
「おまけに、にこイチゴもどうぞ。さっき畑で摘んできたの」
アイスクリームのとろけるような白に、鮮やかな赤い果実が加わった。スライスされたそれを彼女が指先で軽く撫でるとまるでそこに花が咲いたようだった。
……ああ。きっとこんな食事が、生活が、これからの自分には引っ切り無しに訪れるのだろう。ブラッカはそんな風に想像していた。
春が終われば夏が来るし、そのあとは秋だって来る。ここには四季があって、その傍らにはいつだってアインの存在がある。
冷たいばかりではない生き方が果たして自分に出来るのだろうか。今でも、その問いに答えは出せないでいるけれど、
「……美味いな」
「でしょ? 自慢の畑だからね」
このイチゴをとても美味しいと感じる。今はそれだけでも充分すぎるほどだ、そう思えた。
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