微かに鼻腔を掠める甘い香りに、蟇郡は眉間に深く皺を刻み込んだ。足を止め、辺りを見回す。この独特な香り、間違いなくカカオ……チョコレートだ。
誰だ、学校にまで菓子を持ち込む阿呆は。周囲を睨むように動き回る視線が、栗色の髪の少女に向けられる。それは、そこにあった。
「何をしている満艦飾!!」
「あっ蟇郡せんぱーい。ごはんです!」
「ほう。しかしお前が持っているそれは菓子であり、食事には成り得ない。風紀部が没収させて貰う」
渡せと手を差し出す蟇郡に、少女はしばし無言でその手を見つめる。出すのを渋っているようにも見えるが、次の瞬間彼女はばっと立ち上がり、大きく息を吸いこんだ。
「あの! わたし、おこづかいあんまり持ってなくて! でもこの時期! キレイな箱に入ったおいしいチョコレートがちょっとお買い得! マコのお財布にも優しい価格! 年に一度の贅沢! 手に入れられた喜び、食べた時の感動、その気持ちはっ、ごはんにならなくてもわたしの力になるのですっ! 食べた時と食べなかった時とでは、この後の授業に見せるやる気が違うのです! 故にデザートとして持ち込んだ次第です!」
言いながら見せられたチョコレートの箱の底には、シールがぺたんと貼られている。……これは、あれだ。バレンタインデー商品の売れ残り、だ。貼られた割引シールによってそこにあったはずの夢やら浪漫やらはすっかりと消え失せてしまっている。嫌な現実味を帯びている。
しかし彼女にとってはそれはどうでも良いのか、嬉しげな様子で甘い恋のお菓子を食べている。……む、食べている。
「満艦飾ゥ!!」
「うひゃあっ」
「没収だと言っただろう!」
「うう、なんですか先輩! 先輩も食べたいんだったら素直にそう言ってくださいっ」
もう、と呟きながら手の上に強引に乗せられた、一粒のチョコレート。そういうことではない! 勿論そう言おうとしたのだが、その声は彼女の「ごちそうさまでしたーっ!」に掻き消された。この短時間で、この状況で、全部食べたというのか。恐るべし、いやここはさすがというべきか。どこまでも自分を貫き通そうとするその心意気やよし、満艦飾。
「先輩、早く食べないと溶けちゃいますよ!」
「しかし俺は風紀部委員長として校則に」
「ですが先輩! 食べ物を粗末にするのはいけないことです!」
「む……それは、そうだな」
手のひらに乗せられたチョコレートは、彼女が言うように既に少し溶けていた。
粗末には出来ない、そう言い聞かせるように思いながら渋々口に放り込む。口の中でどろりと溶けるそれは、思っていたよりもずっと甘かった。飲み込んでからも、甘さがしっかりと残っている。
「……甘いな」
「チョコですからねえ」
「満艦飾」
「はい?」
「次は、その弁は聞かんぞ」
捨て台詞のように言って、きょとんと首を傾ぐ彼女を一瞥して蟇郡はその場を後にした。
歩きながら、薄く息を吐く。全く甘いものだ。チョコも、自分自身も。
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しかしこの後の授業、マコちゃんは寝る(確信)
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