八つ刻、餡蜜屋で至極のひと時を櫂兎は送っていた。
「あー、美味…」
ひとつひとつ味わい咀嚼する。
ここの餡蜜屋の白玉は、食感もさることながら味わいも極上。優しい甘さがたまらないのだ。
そんな白玉も、最後の一つとなった。大きな口をあけ、放り込もうとした、そのとき。
「あぁ? 嬢ちゃんこの落とし前どうつけてくれるつもりだァ?」
そんな男の声がしたかと思うと、か細い悲鳴を上げて、女性が通りから店内に倒れこんできた。それに構わず、その大男はずかずかと餡蜜屋に入ってくる。その拍子に櫂兎にぶつかり、白玉は宙を飛び、無残にも雑踏の中に転がり消えて行った。それを遠くまで呆然と見送ったところで、櫂兎は立ち上がった
「……おい」
櫂兎は男の腕をとった。
「んぁ? 何だ、てめぇ正義ヅラしようってのか?」
「女性に荒っぽい真似するのは紳士として頂けないが、それ以上にお前は罪を犯した……」
低く、重い声で櫂兎は宣言する。
「食べ物の恨みは海より深い!」
白玉の味わった痛みを思い知らされるように、悪漢は投げ飛ばされ宙に浮き、通りの雑踏へと転がっていった。櫂兎はパンパンと手をはたく
「あ、あの、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げ、足早に去ろうとした女性を、櫂兎は引き留めた。
「ここ、酷く打ったんでしょう、痣になってますよ。お店の人に頼んで濡れた手巾でも――」
「結構です」
櫂兎から顔を逸らし、女性は去りたそうな雰囲気を醸し出す。
「でも、後が残ってはいけませんから…」
そして櫂兎は腕を引き、女性を引き寄せ顔を覗き込んだ。吐息がかかるほどの至近距離で見つめられ、女性は慌てたように視線を逸らす。
――いや、女性ではない。
「やっぱセーガ君だ?」
耳元で意地悪く囁いた櫂兎に、女装し監察御史として潜入捜査中だった陸清雅は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
苛々とした風に彼は餡蜜屋の席に座っていた。注文された餡蜜が目の前に出される。
「安心して、奢りだから」
「仕事中だ」
櫂兎に餡蜜を突き返せば押し戻される。
「まあまあまあ、美味しいよ?」
清雅は、軽く舌打ちした後荒々しい所作で白玉を匙に突き刺し食べる。…美味しい。甘いものはそれほど好きではないが、これは美味かった。
(……白玉に罪はないな、ああ)
普通に食べはじめた清雅を櫂兎が見つめる。食べる手を清雅は止めた。
「……何が目当てだ」
「いや…何も…」
そこで櫂兎は急に立ち上がった。餡蜜屋の入口のほうをみて口をあんぐり開けている。どういうことかと振り向いてみれば、餡蜜屋に不似合いな人物がいた。
(――ッ長官?!)
思わず声を漏らしそうになるのを抑える。今は女装中、潜入操作に女装していることは誰にも告げていない秘密だ。自分だとバレるのはまずい、恥ずかし過ぎて表を歩けなくなる。
皇毅はこちら、正確には櫂兎にずかずかと近付いていった。
「最近しつこいですよね、こんなところまでいらっしゃるだなんて暇なんですか」
櫂兎が呆れた風に言う。
「お前が話を受けるまで来るさ」
ふん、と鼻をならした皇毅の視線が今度はこちらに向く。顔をみられることだけは避けたく、俯く。視線はすぐに櫂兎に戻った
「よくこの店に訪れるときくから来てみれば、こんなところで逢い引きか」
「私が誰と会おうと貴方には関係ないでしょう。こんなところで話すことでもありません、今日のところはお帰りください」
「……返事を急がせはしないと言ったが、いつまでもこちらが待つだけだとは思わぬことだ」
皇毅はそのまま店を出て行った。店員が注文もなしに帰って行った客に首を傾げ奥に戻っていく。
「……何故俺であることを話さなかった」
「ん? 話されたかった?」
そんな訳がない。そう思っているのが顔に出ていたのだろう、櫂兎はふっと表情を緩ませる。
「セーガ君、隠してるみたいだったから」
櫂兎が女装事情に理解あることを清雅が知っているはずもなく、考えても彼がそうする理由が分からなかった。
そして、清雅は暫くの間、腕の治りかけの痣をみるたび、苦い思いを思い出すことになる。
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bkm