わけもわからず唖然としている櫂兎相手に、怒気を含ませた声で清雅は言った。
「お前が捕まらないのが悪い! 暫く前からお前がこちらに戻ってきていると聞いていたのに、いざ会いに行けば先々不在とはどういうことだ! 用のない時は鬱陶しいほど俺を構うくせして、こちらに用事がある時は無視か!」
「えっ、ごめん。別に俺は避けてたわけじゃないんだけど」
貘馬木が避けていたのだろうとの言葉を櫂兎は飲み込む。貘馬木が『棚夏櫂兎』になっている間、厄介ごとを持ってきそうな人物は徹底的に接触を避けたなどと貘馬木は言っていたが、これはつまり厄介ごとが今持ち込まれたということか。
ともかく櫂兎は謝り倒し、清雅を宥める。溜飲を下げた清雅は、用件を切り出す前にと声を潜め、櫂兎に一つ尋ねた。
「『華蓮』は後宮にいることになっていたが、後宮を抜け出して出仕していたのか?」
「あ〜、まあ、そんなとこかな」
「そうか」
「何、心配してくれたの?」
「お前が下手をすると長官が迷惑するんだ。それより、だ」
声の大きさを戻した清雅は、鋭く目を細める。本題がきたかと櫂兎も顔を真面目なものにした。
「お前が吏部を辞めるときに揉み消した、いや、抱え込んだ罪科があるだろう。元はといえば、李絳攸のものをお前名義に書き換えた」
「書き換えたという、その証明ができるとでも?」
「楊修はこちらに協力の姿勢をとっている」
「あっ、それは…うん、俺もお手上げだ…」
櫂兎は両手を挙げて、降参のポーズをとった。
「欲しいのは証拠? 資料?」
「全て出せ」
「欲張りさんめ。吏部から持ってきたもの全部、清雅君のすぐ横の、棚の引き出し上から二番目と六番目に入ってるから、好きなだけ持っていくといいよ」
櫂兎が言うや否や、清雅は引き出しごと棚から抜き取る。櫂兎はそれを見て苦笑した。
「いつぞやに勝手に漁ってたし、ここにあるもの全部把握されちゃってるかと思ってた」
「俺はそんなに暇じゃない」
「さいですか」
清雅と一緒になって引き出しの中を覗いた櫂兎は、その中身に違和感を覚える。
「少ないな」
「少ないよね」
二つの引き出しいっぱいに詰まっていたはずの書類は、すべてかき集めても引き出し半分に満たないほどしかなかった。
「……どういうことだ?」
「わかんない」
「牢に関してざる警備などと述べていたが、お前の資料保管こそざるなんじゃないか?」
「んなっ、機密重要度高いやつは、いつでも処分できるように覚えた上で持ち歩いてますー! 準重要の類のものも、鍵の棚にいれたりして。あれは処分してもいいやつをまとめてただけで、そのうち燃やしちゃおうと思ってたくらいの――
燃やす!?」
櫂兎の脳裏に過ぎったのは、貘馬木が火に投げ込んでいた紙束と、彼の証拠隠滅という言葉。櫂兎は慌てて残った資料に目を走らせるが、そこから法則性など見出せない。ただ、絳攸の越権行為を自分のものとして抱え込んだ証拠となるようなものは、綺麗さっぱりなくなっていた。
「なんか、渡せそうなものがないみたい。覚えている範囲で復元してもいいけど、明らかに最近書きましたってモノじゃ捏造疑われちゃうよね…」
「……いや、もういい。別の場所をあたる」
「手伝おうか」
「邪魔をするの間違いだろう。時間の無駄だった」
そうして息を吐いた清雅は、随分と疲れくたびれているように思えた。寝不足なのだろう、彼の不機嫌そうな顔が余計に険しく見える。
「それはそうと、李絳攸の件で続報だ。三日前に王達が面会して以降、奴の様子がおかしい。眠っていて、目覚める様子がない」
「眠りたいのはセーガ君の方なのにね」
「全くだ」
「えっ」
「何だその顔は」
「いや、いつもなら否定するとこだなって。……やっぱり、弱ってるんだよセーガ君。そんなじゃ、倒れちゃうよ」
心配するように、両眉を下げた櫂兎に清雅は舌打ちした。
「煩い奴だな」
「うん、もうちょっと煩くするけど聞いてね。寝不足で仕事する方が、作業効率悪くなるよ。背も伸びないよ。あと、寝不足だと眠いよ!」
「殴っていいか」
そう言うや否や櫂兎が答える前に、清雅は櫂兎の頭を小突いた。
「ほら寝不足だから、拳もこんなに弱々しく…」
「これはわざとだ! 本気で殴るぞ」
ギロリと清雅に睨まれ、櫂兎は肩を竦めた。
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