「ど、どうしよう…逃げられちゃったよ珠翠…嫌われたか何かかな、俺、悪いことしちゃったかな」
先程劉輝に話しかけた姿とは打って変わって、櫂兎はまるで迷子の子供のようにおろおろとその場で惑う。その立ち振る舞いの変わりように、奈津は毒気を抜かれたような気分になった。本当に、一体何なのだ、この男は。
「大丈夫です、それより劉輝様を追いかけて下さい。何か、きっと誤解されているのです。きちんとお話すれば、きっとわかっていただけますよ」
珠翠のその言葉に、揺れていた彼の瞳がすっと定まる。視線は、劉輝の消えていった回廊の先。
「いつも救われてるよ。ありがと、珠翠」
どこか笑みを浮かべる櫂兎に、珠翠は優しげに微笑む。
「お互い様ですよ」
櫂兎がその場から見えなくなったのを確認したところで、奈津は口を開いた。
「珠翠。一体あの男は何ですか」
「私にとっての恩人です。ほら、以前、お芋をいただいたことがあったあの、」
どこか、言うことを選ぶように話す珠翠に、奈津はむっと口を尖らせた。
「それはおぼえていますけれど、そういうことを訊いているんじゃありません。
彼がここに出入りしている理由、私は何度貴女にききましたか? いい加減話して下さらないと困ります」
「それは…大事な用事で」
明らかに話しづらそうに縮こまる珠翠に、奈津は額をおさえた。
「そんな風に言えば、その用事が何なのかきかれるに決まっているでしょう。貴女、もう少しこう、嘘をつくだとかあるでしょう?!」
「えっ? ついてもよろしかったんですか、嘘を…」
「いいわけないでしょう」
ふんすと腰に手をあてて、奈津はそう言った。珠翠は困った顔をする。奈津も、どこか呆れ混じりに困った表情浮かべては溜息をついた。
「昔から、器用なのか不器用なのか分かりませんわ、貴女」
溜息をついた口は、緩み横に引かれた。
「まあ、悪いことをしているのでないなら、よしとしましょう。けれど、人目は気にしなければいけませんよ。
貴女は女官達の筆頭、その貴女が王以外の男と会っているなんて知れたら。大問題です、他の者に示しがつきません」
奈津はそう言って、珠翠の額をぺしぺしとつついた。
「櫂兎さんとは別にそういった関係では……」
「そういう関係でなくても、です! それに、そうおっしゃる割には、随分と親しげにみえましたわ。劉輝様も動揺なさって……お可哀想に」
珠翠の手にある布へ、奈津の視線が向く。先ほど彼女らが二人で羽織っていた布だ。
「これは、櫂兎さんがやけにくしゃみをされていたからで…風邪だといけないと思いまして。そうしたら櫂兎さんが私も身体を冷やしてはいけないからと、その……」
思い出したのか、誤解されても仕方ない姿であったと、珠翠はしゅんと縮こまる。
「本当に、彼に対して恩や感謝を感じることはあっても、恋い焦がれるようなことはありません、あり得ません。私にとって、母のような、家族のような方なのです。彼も、同じだと思います」
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