また弾き始める男に、朔洵は制止をかけた。
「……もう、弾かなくていいよ。自分の声すら聴こえてるのか危ういし、見えないし」
朔洵はそう言って、闇色しか映さない瞳を閉じた。
「甘露茶、淹れて貰ったのに飲めなくてごめんね」
男がばーかといったのが聴こえたような気がした。きっと、泣きそうな顔をしているんだろうと思った。
自分に残されたすべきこと。あとは――茶家の人間としても、『琳千夜』としても、きれいさっぱり幕を引いて、彼女の人生から退場するだけ。
ほんの少し癪で用意した最後の賭けも、彼女は苦もなく越えてしまった。
(未練などなく逝くものだと…思ってたのに)
ねぇ。
馬鹿みたいに、あとからあとから未練が湧いてくるのは何故?
名前を呼んでもらいたかった、もっと二胡が聴きたかった。もっと一緒に過ごしたかった。もっとよく考えて計算高く、他の出会いかたをしていればよかった。
そして――愛していると、言わせたかった。
――――私の名前だってあなたは呼ばなかったわ!
彼女にあわせて、おままごとみたいな恋で、満足しなければ良かった。
(「なんか生きる気なさげな顔してんぞ」)
あのときの自分は、きっとその通りで。でも今は――
「もっと……」
――生キタイか――?
ずるり、と地を這うような声
「……また、きたのか」
――ズっと見てイたが、やハり、お前ガいちばん面白イ。
そうだね、と朔洵は呟いた。
「……それも、いいかもしれない」
微かな苦笑を最期に、コトリと、朔洵の腕が落ちた。
降るような星昊に、月はない。
朔の闇夜に生まれた彼は、またその日に死んだ――はずだった。
「黒仙の気配はこう…妙にでろんでろんだな」
「死んだ人間が動きだしたのに動じないのか」
「あれっ…黒仙って片言じゃないの」
「…………」
朔洵の最期を看取った人間に少し興の湧いた黒仙は、朔洵の身体を借り会話しようとして――挫折する。
第一、如何してこいつはこちらの正体知りながら平然とした顔で、会話を試みているのか。
「一体何処まで知っている?」
「何も知らないよ、ところで朔洵生かすのに命がどうこうって、俺のでもできるわけ?」
「……」
何も知らないわけがない、今まで見てきた人間とは、『何か』が違った。
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bkm