痛さに懐から出してやれば、そのまま二号は地面をころころ転がっていった。
「ちょ、待てって、そんな勝手に動き回って変なとこ不法侵入はまずいだろ」
余所者の顔、都人の出で立ちで二号を追いかける櫂兎に、村人達の目線が集まる。不法侵入もなにも、人あらざる物相手にそんなものない、ということに気付かぬは本人ばかり。
その追いかけっこの騒がしさに、一体なんだと家の中から出てくるものもいれば、面白がって彼を追う子供まで出てきた。
二号はぴょんこぴょんこと器用に塀を越え、屋根転がる。櫂兎は塀を登っては、屋根へ飛び乗りそれを追う。重さを感じさせない櫂兎の身のこなしに、両方人間じゃなかったりしてと誰かが呟いた。
「すげー、あのにーちゃんもしかしてさしゅーのはげたか?」
「そうかもしれないわねえ」
そこで、一際大きく二号が宙に跳ぶ。それを追うように櫂兎も屋根から跳んだ
「危な――ッッ?!」
誰もが目を覆いたくなるような惨状を、予想した。しかし、そうはならなかった。
屋根から跳んだ櫂兎は、空中で二号を掴んだ後、くるりと宙返りして地面に降り立ってみせたのだ。
「凄い!」
「おにーさんすごーい!」
彼を追いかけ、屋根にのぼっているのを見守っていた子供達が目をキラキラと輝かせ櫂兎を見る。
見事着地した櫂兎に、様子を見守っていた村人達からも、ぱらぱらと拍手がおきる。それはやがて大きくなり、盛大な歓声となった。騒ぎに気付いた残りの村人達も家から出てきて、奇しくも村人全員がそこに集う結果になった。
何がどういうわけなのか分からず、ただこの盛大な歓声の対象が自分ということにだけやっと気付いて妙に照れた櫂兎は、頬をぽりぽりと掻いた。拍手歓声の止む頃に、櫂兎はすっと背筋伸ばし、姿勢正した。
「初めまして、石榮村の皆さん。私は棚夏櫂兎と申します。本日、皆様へ個人的なお話があって、貴陽の方から参りました」
そうして櫂兎は優雅に礼してみせた。
「都人はやっぱりお洒落だね、その服装が流行りなのかい?」
「流行り…とは少し違う気もしますが、名物ではありますよ」
貴陽名物、隠し花菖蒲印。まあそれも、もうすぐ販売範囲は全国展開されるだろうから、貴陽発祥とうたわれるようになるかもしれない。
「話、とはもしかしてこの度の新州牧達の話かい? 喜ばしいことだ、といっても彼らは結局琥漣に着いたのか、まだ知らせがこないんだが」
知ってる?と問われ、ちょうど今頃琥漣でしょうと櫂兎はこたえた。地方だから、茶家に懐柔されたのではないかという噂もまだ村には届いていないらしい。嘘八百だから届かなくていいのだが
「話というのは、新州牧達のことではなく、貴方方のこれからのことです」
櫂兎は真剣な目になる。
「要点だけ言えば、これからの季節、水…特に池の水を飲んだり使ったりする時は、なるべく煮沸……一度沸騰させるようにしてほしいんです」
「またまた、それは何故?」
「今年は秋に、ユキギツネが餌を探しに人里に下りてくる可能性があるんです。ユキギツネの糞には、寄生虫が潜んでいます、池の水等にそれが入って、その水を人間が気付かず飲めば、その寄生虫が原因で、ほとんどの場合死に至ります」
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