「は? 櫂兎? 何故だ?」
そう言いながら劉輝は、そういえば絳攸が、彼がずっと尚書に休暇申請を出しては却下され続けていると話していたことを思い出した。
「なぁに、年寄りの介護役ですじゃ。宋の奴は頭の中まで筋肉元気達磨じゃが、わしはそうも言ってられんし」
嘘だ、と劉輝は思った。現役相手に容赦ない食えんたぬきのくせに。
国が滅びるまでくたばりそうもない霄太師は、しゃあしゃあとそう言ってのけて、さっきまで劉輝が読んでいた書簡に視線をやった。
「その書簡の相手が茶州の都に到着するのは、そう…ひと月以内といったところですかな?」
劉輝は瞠目する。――これは、絳攸や楸瑛にさえ言っていないのに。
くつくつと霄太師は笑った
「年寄りにかなわぬからというて、落ち込むことは御座いませんぞ。無駄に生きてきたのではなくば経験上、若者より上手なのは道理」
「……亡き茶太保もか」
「愚問」
百年早い――といわんばかりの顔をして霄太師は踵を返した。
「待て。今お前に不在にされるわけにはいかぬ。それは他のものに――」
「残念ながら、これを他に任せるわけにはいきませんのでな。それに、わしが不在でも適任がおるですじゃろう。そう……三月前のように。ああ、櫂兎のほうではありませんからな」
「――――」
「なんならここで一筆書いていきますぞ」
結局この老臣の手のひらの上で弄ばれているのだと、劉輝は実感した。そして無言で筆と料紙を差し出す。
さらさらと筆のすべる音を聞きながら、劉輝は呟いた。
「訊きたいことがある」
問う前に霄太師はあっさり答えた
「あれは見かけによらず頑固ですからのぅ。それに、先王陛下には少ぉしばかり弱みがありましての。無理強いすることは出来なかったですじゃ」
「……もう一つ。その指輪を、誰に渡すつもりだ」
「心配せずとも、前途有望な新米官吏たちをいぢめるような真似はやりませんぞ。しようと思っても櫂兎に止められるじゃろうし、選ぶのはわしでなく
指輪ゆえ、それだけは確約できますな」
妙な答えに、劉輝の片眉があがった。しかしそれ以上霄太師は言わなかった。
「いやぁ、秀麗殿の顔を見るのも久しぶりですなー。二胡なんか弾いてもらっちゃって、櫂兎と一緒に茶と秀麗殿特製手作り饅頭でもまったりいただきましょうかのぅ」
鼻歌まじりで去って行く老臣に、劉輝はキレてドカッと机案を蹴り飛ばしたのだった。
(おーおー、この調子じゃこの王も櫂兎に『かるしうむ』とやらが足りんといわれるの)
かつての覇王がちまちまキレる度言われていた言葉を思い出して霄太師は嗤った。
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