「んで、隼凱は何でこんなところにいんのかな?」
櫂兎がまるで悪戯計画中のように少し楽しそうな顔してきく。立ち直りのはやさに宋太傳は口元がゆるむのがわかった。
「それはこっちの台詞なんだがな」
月の綺麗な夜更けに、禁苑で人と出会うなど普通ありえない。それでも出会った、しかもそれがこの二人というのは――
櫂兎の目線の先の楼閣を、宋太傳も見つめた。
さほど立派なものではないが、それは禁苑の奥にひっそりと佇み、悠久の歳月を経たものにしかもてぬはるけき時の静けさをもっていた。その美しさは、まるで湖面に浮かぶ月
それは、彼奴を思い返させるのに充分だった。
城下を一望できる、その楼閣のてっぺんから、国を見下ろすのが好きだったあの男。眼差しは遥か高みで、いつも国と人の行く末を思っていた男
地位や、権力や、名誉を求めても、それをつかうのは国と百姓のためだけで。
「……もうすぐ、一年経つのか」
ぽつり、と櫂兎は言った。そう、菊花の如く生きた茶太保が逝ってから…もう一年。
すっ、と宋太傳が歩き出し楼閣に向かうのに櫂兎も続いては楼閣の最上階まできた。
いつも彼のいた場所を、宋太傳はじっと見て呟く。
「口にすることだけが、お前の真実ではない」
茶鴛洵はもういない。一年前、謀反を企み、そして死んだ。誰があんな風に「死なせた」――いや、「殺した」のか、すぐその見当はついた。
どこにも外傷ないはずなのに、血にまみれた胸元。喀血の類として鴛洵が誰にも知らせず肺等患っていたのだろうと推測されたが――
鴛洵が病を患っていたなら自分が気付かないはずない。何より多くの死線を越えた歴戦の将軍である宋太傳には、一目でそれは外部から何者かが手を下したものと知れた。どうやって外傷なしに、内臓を傷つけるのだと言われれば分からない、分からないがそう思うのだ。
そしてそれが、滅多に顔色変えぬ同僚が青い顔してふらふらと自分の室に入ってきた時にそれは確信に変わった。
それが鴛洵の望みだったのだと、すんなり受け入れられた。そして彼が何を思い、あんな行動をとったのかも。
「口にすることだけが、お前の真実ではない――」
それは、「口にしないことにも、お前の真実がある――」
かつてよく亡き友のいた場所に、櫂兎も宋太傳も鋭い眼差しを向けた。
老年になってからの鴛洵しかしらない若者どもでは知る由も無い。あれの真意に自分と霄だけでなく櫂兎も気づけたというのは、単にそれが櫂兎だったからと言うに尽きる。あの邵可ですら、知らなかったに違いない。
「始まりの風は吹いたんだ。少しずつ、国は動いてる。鴛洵が思ってたのとはちょっと違ったかもだけど」
「……だからといって、今更未練たらしく迷い出てくることはないだろう」
「あは、もしかして俺に後任せるのは不安だった、とか?」
宋太傳の言葉に肩すくめ櫂兎は言う。むしろ後を任せれば心強いことこの上ないだろうと宋太傳は思った。自らに対して厳しすぎるほど厳しい鴛洵のことだ、櫂兎相手でないとそんな甘え口にすることできなかっただろう。
「でも、噂きいてもしかしてとは思ったけどもまさか、……ねえ」
二人の視線の先――楼閣の最上階に、月明かりに照らされて一人の男が立っていた。薄い唇を引き結んでは彼方を睨むように城下を見下ろしているその男の名は……
「鴛洵――」
半ば呆れたように、宋太傳は呟いた。
「……しかも、若返ってやがる」
「俺が出会ったとき…いや、もしかしてもっと若い――?」
思わず宋太傳の口調が若い頃に逆戻りするのに櫂兎は苦笑した。懐かしいと思うなんて、そんなに時が経っているなんて。どうかしている
桜の上、薄く霞のかかったような若い男は二人の視線には気づかず、やがて姿を揺らめかせたかと思うと――ふっと消えた。
宋太傳が頭をガシガシとかいた。
「……明日は新進士任命式だってのに……眠れんじゃないか」
腕を組んで、まだ同じ場所を見つめ続ける櫂兎はぼそりと呟く。
「後で狸突撃決定、だな」
超梅干しが指輪なんだっけなぁ、と、もう年季はいった懐の『さいうんこくげんさく』をぽんと軽く叩いた
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bkm