暗き迷宮の巫女 16
「息災か、櫂兎」

「鳳珠! それに、柚梨も」

「お久しぶりです、櫂兎さん」


いつもの穏やかな笑みを浮かべて柚梨が会釈する。櫂兎もそれに会釈で応えた。
蝗害対策会議直前、会議を行う室に向かう途中の廊下で、櫂兎は彼らと顔を合わせることになった。皇毅とは行動を別にしている。ほかに人目があるわけでもなし、少しの雑談くらいは許されるだろう。


「このところ姿を見ていなかったな。あまり……顔色が良くないように見えるが」


その声色は、親しげな距離でありながら、謎めいたところの多い友人を慮るものだ。
その手の優しさに久々に触れたような気がして、櫂兎の頬が緩む。御史台のあの環境に晒され続けていたからか、無性に癒された。


「忙しくてね。まあ、今が頑張り時だから」

「そうか。此方に力になれることがあれば、すぐに言ってほしい」

「ありがとう。もー、頼りになるなあ」


櫂兎はそう口にしながら、なおさら彼は巻き込めないなと目を細めた。
ふふ、と笑い声が零れる。自分が弱っている自覚がようやくできたような、彼の存在に救われたような。そんな気持ちだ。


「蝗害対策関連でてんやわんやだけど、でも、このままのつもりはないからさ」


それを思えば、ここに滑り込めるタイミングで目覚められたのは幸いだったのだろう。いまならばまだ、国として蝗害対策に動くことへの手助けができる。
……どこかのタイミングで切られるのだろうが、それまでは、御史台副官として尽力しようではないか。
先を思うと寂しい気持ちが胸を占める。案外、今の副官の立場を気に入っていたのかもしれない。

兎にも角にも、蝗害に関する協議の場では、つつがなく……というのも違うが、凡そ櫂兎の知っている流れに、櫂兎の知っている蝗害対策を加えた形で話がまとまることになる。




「……俺も、雲隠れの準備をしてた方がいいのかな」


御史台、副官室。
ぽつりと零した言葉に、ぎょっとしたように反応した御史が、剣呑な目で櫂兎を見る。


「そんな怖い顔しなくてもいいって、冗談だから」


櫂兎の護衛、もとい、監視は持ち回り制。
元々、人員をそう多く割ける余裕はないのだろう。監視役自身も書類仕事を片付けながら、櫂兎の側にいる。そも、監視の事実は、あまり多くの人間に知らせたくなさそうだった。
それもそうか、と櫂兎は思う。副官に長官が何かしらの疑いの目を向けているというのは、組織として穏やかでない。
ひとつ息を吐いて、櫂兎は側の彼へと微笑んだ。


「それよりちょっと話そうよ。そうだな、お菓子でも食べる?」


持参したクッキーを取り出し、お茶を淹れるべく棚を漁ろうとすれば、「必要ありません」と彼は止めに入った。


「必要以上に会話するなと言われています。余計なこともするな、と。ですから、いりません」

「クッキーを……甘煎餅を、断られた……!!」


中々レアな経験だ。
会話をするな、というのは、懐柔を警戒してのことなのだろう。櫂兎としては、仲良くしたいだけなのだが。……まあ、それを懐柔というのか。
しょんぼりとしていたところで、その場に声が降った。


「なら、そのお菓子は私がいただいてもよろしいですか?」


いつの間にか開いていた扉の先に、人影。
櫂兎の口は、何故かその名前を呟いた。


「獏馬木殿?」

「嫌な人違いをしないでいただけますか」


それをすぐさま否定した彼は、すたすたと机に近づき、監視役の彼の椅子を奪ってふてぶてしくそこに座った。
官服をぴしりと着こなし、楊修とはまた違った「出来る」オーラを身に纏った真面目で堅物そうな彼は、立ち居振る舞いまで洗練されている。
どう考えても椅子を奪ったことはただの暴挙なのに、それに文句を言わせないだけの妙な説得力があった。
椅子から落とされた監視役の彼は、呆然としてその人物を呼んだ。


「沃治書侍御史」

「はい。この場所、譲ってくださいますね? ああ、もちろん、長官には話を通してありますよ」


監視役の彼は、ハッとしたようにすぐさま背筋を伸ばし、少し頬を紅潮させると、威勢の良い返事をし、一礼して部屋を出ていく。
目の前の展開に置いてけぼりにされる櫂兎に、残った彼は美しい弧を口元に浮かべた。


「さて、少しお話ししましょうか」

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空中三回転半宙返り土下座
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