死んだ光が照らす道

犠牲者を火葬し終え、燃え滓を一箇所に集める処理を終えたのは、月が真上に登っていて。既に日付が変わった頃だった。後日、本部の裏にある共同墓地にミーナやマルコをはじめとした多数の犠牲者達は、永遠の眠りに就くことになる。
長い一日が漸く終わった。それぞれの足取りは重く、後ろ髪を引かれる想いを抱えたまま本部へと戻って行く。
ナマエはシャワーを浴び終え部屋に戻ると、バタンと扉を閉めた。部屋には誰もいなかった。灯をつけることもせず、よろよろと力なく二段ベッドの近くにへたり込む。

窓から入って来る月明りだけが部屋を蒼白く照らした。生命を感じさせない、まるで死んだような光だ。太陽とは違って月の光は温かくもないし冷たくもない。周囲を照らすだけで何も与えてはくれやしない。
「燃えてしまった。何もかも……」
ミーナが生きているかもしれないという願望は、彼女の死体と一緒に燃えて灰になってしまった。
火葬前、三日ぶりに親友と対面した。
酷く痛んでいたが、背格好と服装でその死体はミーナだと解った。ナマエは願望を頼りにして任務に当たっていたけれど、胸の内に空いたぽっかりとした大きな穴を埋めるための願望だった。信じたくないという現実逃避の思いと、心臓が痛む程の喪失感に潰されないためだった。それが灰となった今、漸くミーナを失った喪失感が怒涛の如く押し寄せて来る。奪還作戦から三日が経とうとしていた。

そっとミーナの洋服入れに手を伸ばして、そこから一着のニットを取り出した。彼女がよく着ていた私服である。柔らかなニットに顔を埋めると、彼女の柔らかい匂いが鼻腔を掠める。ナマエはミーナを抱き締めているような錯覚に陥り、瞳から涙が溢れてニットに落ちた。
「ミーナ……、ごめんね……守ってあげられなくって、ごめん――!」
その言葉に応えてくれる親友の姿はない。

子供の頃からの幼馴染で、いつも一緒にいた。
二人共お転婆娘で、よく駐屯兵にちょっかいを出したり、山に探検に行ったりしてお互いの両親から怒られたこともあった。時には喧嘩もした。それでもいつの間にか仲直りをして、肩を並べて歩いていた。

五年前のウォールマリア陥落後、帰って来たナマエを一番最初に抱き締めてくれたのもミーナだった。自分は生きて帰って来たんだとその時やっと実感した。訓練兵団に入団してからも、二人の関係は変わらなかった。
『私、ナマエと一緒に調査兵団に入ろうと思う』
『一緒に調査兵団に入って、外の世界を見るまで死ねないからさ……。だからナマエ、死なないでね』
ミーナとの思い出が次から次へ流れては消えて行く。一人、親友のニットを抱き締めて泣いていると、静かに扉が開く音がしたのでナマエはそちらへ目を向けた。

「ア、ニ……」

部屋に入って来たのは同室のアニだった。月明かりの逆光のせいでアニがどんな顔をしているのかナマエには解らない。暫くの沈黙の後、部屋の灯りを付けることもせず、こちらへとゆっくりと近付いて来る気配がした。床がギシっと軋む。そして彼女は、ナマエの横に静かに腰を下ろす。
「あんた……泣いてるの……?」
「あ……」
漸く頬を伝う涙をゴシゴシと拭った。
「ごめん、ちょっと取り乱してた……」
ナマエは乱暴に鼻を啜る。蒼白く照らされた室内は、静かだ。
「あんた、涙まみれでグチャグチャなんだから……これ、使いな」
そう言って、アニがポケットからハンカチを取り出した。
「え……」
「それ、ミーナの服でしょ。あんたの涙とか鼻水で汚れて大変なことになる」
ナマエはアニのハンカチをありがたく手に取ると、涙と鼻水を拭う。ハンカチは瞬く間に、涙や鼻水の水分を吸って瞬時に汚れてしまった。
「あの子がここにいた証は、もうこれしか残ってない……」
ナマエはゴソゴソとポケットを探って二本のつがいの剣のエンブレムを取り出して、アニに見せた。

このエンブレムは、訓練兵の証である。火葬前に、ミーナのジャケットの胸ポケットから切り取ったものだ。二人は暫く何も言葉を交わさなかったが、やがてアニがおもむろに口を開いた。
「あんたはさ、兵士を選んだこと後悔しているの?」
「え……?」
アニの言葉にナマエはすぐに答えることが出来なかった。黙りこくるナマエを尻目に、隣に座る同期がその続きを口にする。
「今までだって、訓練兵団から去って行った者は沢山いた。彼らは自分の限界を知って兵士を辞めることを選んだんだ。今回の襲撃で仲間が死んで行く光景を見せ付けられて、多くの者が後悔したと思う。 巨人あいつらがいつ襲って来てもおかしくない現状に目を瞑って、兵士を辞めて生産者に回る者も出て来るだろうね。人間は弱いから……、私はその弱さを否定しないけど」
「私……っ、班員が死んで巨人に追い詰められた時、やっと解ったの。兵士になる覚悟が出来ていなかった……。この道を選んだのは、他でもない自分だってフランクに言われて。私、自分が選んだ道を後悔したくなくて必死で――!諦めずに切り抜けられたのも、死んだ仲間達のお陰だった。この作戦が終わったら、一緒に調査兵団に入ろうってミーナと約束したのに。助けることも出来なかった、何も出来ずにいた自分が厭になった。自分で選んだ道なのに……!後悔したくないって、思ってたの、に」
「それで……兵士になるのは諦めるのかい」
再び迫り上がって来た嗚咽に、ナマエは言葉を続けることが出来なかった。
「私は――、親友を亡くして、後は何を失えば……良いの?」

巨人を倒すことが出来たのもミーナや班員達のお陰なのに、班員は目の前で――親友は知らない内に、命を落としていた。聡明なマルコでさえ、ひっそりと孤独のまま死んだのだ。何かを成すには代償を払えと言うのなら、彼女は後何を捨てれば良いのだろう。

“日本”という国で平和を享受して暮らしていた記憶を持つ少女は、鋭い刃で刺されたかのような痛みを胸に感じながら、これが戦場なのだと痛感した。
ナマエの記憶にある世界が全て平和だった訳ではない。
いつもどこかの国で思想の違いや根深いしがらみ、利害の不一致が原因で争いは絶えなかったし、同じ民族間で血で血を洗うような血生臭い歴史だって知っている。単に、自分とは関わりがなかったから。どこか遠い世界の出来事のようにしか感じなかった。彼女が直接関わる狭い世界だけが平和だっただけで、別に何も“争うこと”が珍しいことではないのだ。現にナマエはこの世界で、三日前巨人と戦ったのは紛れもない事実である。

兵士として生きるということは、目の前で巨人に仲間が喰われる様も、自分の知らない所で仲間が死ぬ経験を何度もすることになる。壁を越えるためには、これからも仲間を失いながら進むということだ。

「まだ所属兵科が決まるまで二日ある。皆、今回の件で考えを変えるだろうから、あんたが調査兵団から駐屯兵団に志望を変えたって誰も不思議に思わない。あのジャンですら、所属兵科の志望を変えたんだ。仲間が死ぬ経験をしたくないなら……外の世界を諦めるしかないこと位、あんただって解っている筈」
彼女の言う通りだ。

外の世界を見ることは、巨人に挑むことと同義で犠牲は付き物だ。この世界は、記憶にある世界より生温くない。いや――世界はいつだって、どこにいたって残酷である。
『どちらかが先に死んでしまうことになっても、私は後悔したくないんだ』

「後悔したくない、か。ミーナは――後悔したのかな」
巨人の口に放り込まれる瞬間、もっと生きたかったとミーナは思ったのか。

アニは一言も話さずに、ナマエが握っているハンカチを手に取った。そして、腰を上げてそのまま扉へと向かう。何も言葉を発しないけれど、話はもうお終いだと言われたような気がした。
「死んだら何も残らない。ミーナがあんたのことを思い出すことも、あんたと将来を語り合って、笑って、怒って――泣いたりすることももう出来ない。
死んだ者に対して、ああでもないこうでもないと決めるのは生き残った人間がすることだと……私は思う。まあ、そんな風に思うことは生きている人間のエゴだけど、そんなものでも救われる生者もいる、と思う」

冷たい月の光の中で佇むアニの姿は、恐ろしい程綺麗だった。美しい金髪が、月光に反射して煌めいている。
「私はあの子が後悔したかどうかは解らないし――解らなくて良いと思っている。……いちいち人が死んだ理由を考えていたら、前に進めなくなってしまうから。それでもミーナの死に、どんな意味を与えるのかは――生き残ったあんた次第じゃないの、ナマエ。外の世界を見るために修羅の道を進むか、それとも……無様に逃げるか」
静かに言い残したアニが、そっと部屋から出て行った。部屋に一人取り残されたナマエは、親友へ想いを馳せる。

ミーナは何を思って死んでいったのか。
きっと、怖かっただろう。奪還作戦に参加したことを後悔しただろう。生きたまま巨人に喰べられて、痛かっただろう。どんなに頭を悩まして考えたところで、親友が何を思って死んでいったのか解る訳ないのだ。

皆、どこかで自分の中で折り合いを付けて生きているのだと思う。現実から目を背けて逃げるのなら今の内だ。悲惨な目に合ったのだから、兵士を辞めたって誰も咎めない。
それがナマエにとって納得の行く道なら、そうすれば良いとアニは言いたいのだろう。

苦しい思いをしても、ナマエには逃げるという選択肢が見当たらなかった。この壁の中の世界にとって、彼女だけが産まれた時から“異物”の存在だったから。
別の世界を知っているが故に異物である少女にとって、壁に囲まれた閉鎖的なこの世界は何だか作り物じみているように思えた。
“彼女だけの記憶”は、他の誰かと共有することが出来ない。この世界で独りぼっちだった少女は、共に外の世界を見ようと言ってくれた親友を失って、再び独りになった。

異物である彼女は、全てを覆い尽くす高い壁の向こうに“日本”があるのか自分の目で確かめたいのだ。外の世界や巨人のことを知りたいという欲求も、全てはその裏返しである。
きっと。壁の向こうにある広い世界に、ナマエが求めている答えがある。
強大な巨人に挑み、翼を散らす覚悟を――今恐怖も受け入れるしかない。選んだ道の先は一本道なのだから。
月の死んだ光が地上に静かに降り注いでいた。寂しい夜だった。


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