命を投げ打った末の勝利

アルミンはエレン達精鋭班がいる大岩までの最短ルートへ向かって、壁上をひたすら走っていた。つい先程、ナマエやマルコ達と一緒に赤の信煙弾を確認して、アルミンは居ても立っても居られずにその場を振り切るよう走り出した。
一体何があったのか。作戦続行不可能な深刻な状況に陥っているとしたら、エレンが巨人化に手こずっているか、または巨人化失敗の可能性しか浮かばない。元々、根拠が希薄な作戦なので想像するに難くない。

しかし、エレンが巨人化出来ないなんてこの作戦ではあってはならない。エレンの巨人こそが、作戦成功への鍵だからだ。人類の存亡は、幼馴染に掛かっている。最短ルートのポイントまで走ったアルミンは、数十メートル先の建物に向けてアンカーを発射させて、街へ飛び出した。
「何をしているんだ!?エレン……」
アルミンの目の前には、大岩に寄り掛かかるように力なく座り込んだままの巨人の姿をしたエレンがいた。巨人の身体は至る所が破損しており、蒸気を上げているものの修復されているようには見えなかった。数体の巨人達がエレンの方へ向かって来るのを目の当たりにしたアルミンは、違和感を感じた。

周囲の人間は少数の精鋭班くらいなもので、ここより街の中の方が囮役が多数いる筈である。そう考えたアルミンは一つの可能性に思い至った。

――まさか。
「エレンに引き寄せられているのか……?」
アンカーを発射させてアルミンは屋根からエレンの項部分に着地する。丁度その時、一体の巨人を倒したミカサの姿が目に入ったのでアルミンは呼び掛けた。振り向いたミカサの顔には、囮役のアルミンが何故ここにいるのかと言いたげだった。
「エレンはどうなっているんだ!?」
ミカサが悔しそうに叫んだ。いつも冷静な黒い瞳に焦燥感が浮かんでいる。
「危険だから離れて!その巨人にはエレンの意思が反映されてない!私が話し掛けても反応がなかった!……もう誰がやっても意味がない!」
「作戦は!?」
「……、失敗した!エレンを置いて行けないから皆戦っている……!このままじゃ巨人が多くて全滅してしまう!」
ミカサからエレンの状態を聞いたアルミンに一つの考えが浮かび上がった。

後頭部から項にかけて縦一メートル、横十センチ。これは巨人の弱点部分であるが、先程エレンはそこから出て来た。巨人の本質的な謎と恐らく無関係ではないだろう。この考えが間違いではなければ、まだ諦めるには早過ぎる。
アルミンは震える両手でグリップを握り締め、狙いを定めた。
「大丈夫……、真ん中さえ避ければ……!痛いだけだ!」
ミカサの制止する叫び声を無視し、アルミンはグッと力を込めてブレードを分厚い肉の塊へと突き刺した。

突然の痛みで暴れ始める巨人。アルミンを振りほどくような乱暴な仕草に、ミカサが叫んだ。
「アルミン!無茶は止めて!!」
「 ミカサ!!今自分に出来ることをやるんだ!ミカサが行けば助かる命があるだろ!エレンは僕に任せろ!――行くんだ!」
ひとしきり暴れた巨人は、力尽きたように項垂れる。視界は蒸気で満たされた。アルミンは項にしがみ付き、中で眠っているであろうエレンに向けて呼び掛ける。
「エレン!聞こえるか!?しっかりしろ!ここから出ないと僕ら皆死ぬぞ!巨人の身体なんかに負けるな!とにかく早くこの肉の塊から出て来るんだ!!」

エレンはピクリとも動かなかった。このままここで何も出来ないままでは、あの日と同じように鎧の巨人が現れて内門を破られてしまうかもしれない。
トロスト区がシガンシナ区の二の舞になってしまったら、それこそ人類はウォールローゼを手放すことになるのは時間の問題だろう。
「エレン、早く出て来い!出て来るんだ!!」
アルミンはエレンへ色々と呼び掛けるが、全く効果がない。半ば自棄やけになりながら分厚い項の肉を思いっ切り叩き続ける。
「お母さんの仇はどうした!巨人を駆逐してやるんだろ?お母さんを殺した奴が憎いんだろ!?エレン、起きてくれよ!エレン……!この中にいるんだろ!?このままここにいたら、巨人に殺される!ここで終わってしまう!!」
どんなに呼び掛けても無反応なエレンの様子にアルミンは悔しい思いをする。

叫び過ぎたアルミンは荒い息を整えた。思い切り項の肉を叩いたので拳はジンジンと痺れた。ミカサもジャンもマルコ達百四期訓練兵や、駐屯兵団全員がエレンに命を賭けて今も巨人と戦っている。
だからアルミンは諦めない。いや、諦めてたまるかと思った。何が何でも、エレンをここから出さなければ。何度も何度もエレンの名前を呼び続ける。

「エレン……僕達はいつか外の世界を探検するんだろ?この壁の外の世界のずっと遠くには、炎の水や氷の大地、砂の雪原が広がっている……」
この壁の中の世界にはない、まだ見たことのない風景を求めに。
「僕の父さんや母さんが行こうとした世界だ。忘れたのかと思ってたけど、この話をしなくなったのは……僕を調査兵団に行かせたくなかったからだろ?」
母親を巨人に殺されてからの五年間、エレンは外の世界のことよりも巨人を駆逐することに執念を燃やしていた。時折、その大きな瞳に黒い憎悪の炎が垣間見ることがあった。

エレンが自分の執念に、幼馴染二人を付き合わせたくないと思っていることもアルミンは解っている。そんなエレンの姿を近くで見ていたアルミンは、一種の危うさを感じていた。誰よりも正義感が強くて、感情が昂ぶると周囲に目が行かなくなる。昔からエレンの悪い癖で、一つのことに集中するとそれしか見えない。
巨人をこの世から一匹残らず駆逐し尽くしたらエレンには何が残るのだろうか。
待ち侘びた瞬間が訪れた後。憎しみの対象が絶滅したら、エレンはアルミンの前からいなくなってしまうんじゃないかと。

ジャンが揶揄する“死に急ぎ野郎”という渾名は、的を得ていると思う。それでもアルミンは――。
「エレン……答えてくれ。壁から一歩外に出ればそこは地獄の世界なのに、父さんや母さんのように無残な死に方をするかもしれないのに……、どうしてエレンは外の世界に行きたいと思ったの?」
壁を超えて、エレンと一緒に外の世界が見たいのだ。それを見た者こそ、この世で自由を手にした者である。世界は、沢山の夢と希望と――自由で満ちている。

アルミンの問い掛けに微動だにしなかったエレンが突然息を吹き返した。破損した身体から大量の蒸気を上げて、急激に修復されていく。巨人に呑み込まれそうだったエレンが、勝ったのだ。

だらりと力なく地面に投げ出された脚に力を入れて立ち上がったエレンが、大岩を持ち上げる。その様子を近くの屋根の上から、アルミンは見守った。ここから先はエレンの仕事だ。
全身から熱い蒸気を発している巨人の姿のエレンが、ゆっくりとした足取りで一歩一歩破壊された扉へと歩いて行く。大岩を持ち上げて歩く巨人の姿に、釘付けのミカサを呼んだ。
きっと、壁の上にいる仲間も。街中で囮役をしている仲間も、この光景を目にしているだろう。作戦成功の見込みが薄いにも関わらず、全員がエレンを信じて戦ってくれた。
「エレンが勝ったんだ!今……、自分の責任を果たそうとしている!後はエレンを扉まで援護すれば――僕らの勝ちだ!!」
ミカサも精鋭班も息を呑んだ。
「死守せよ!我々の命と引き換えにしてでもエレンを扉まで守れ!」
イアンの決死の命令に生き残った精鋭班が、エレンを守るために駆け出して行く。
「お前達二人はエレンの元へ向かえ!!これは命令だ、解ったか!?」
「……了解!!」
共に走り出したものの地上の方へ目を向けると、向かい側から三人の精鋭班が地上に降り立って走っていた。

彼ら三人はエレンに近寄ろうとする巨人三体に急接近し、二体の巨人を引き連れて建物へ走って行く。立体起動装置を使わず原始的に街を走る。
建物がない平地では立体起動装置が使えない。巨人を前にして、馬がなければ地上を移動をすることすらままならない。絶望的なまでの不利な条件だ。
「地上に降りるなんて自殺行為だ!」
「もうあれしかない……ミタビ班に続け!無理矢理接近してでも目標をオレ達に引き付けろ!」

イアンが先陣切って地上へ降り立つ。その後を精鋭班が続く。巨人の意識を自分達へ向けるために。命を投げ打ってでもエレンを守るために。
そして人類の危機を救うために。
「アルミン。私達も」
ミカサの落ち着いた声にアルミンは決心した。

エレンが自分の責任を果たそうとしてる今。
この街のどこかで命懸けで戦っている百四期訓練兵達がいる。アルミンも自分が出来得る精一杯のことをやるだけだ。
屋根から飛び降り地上に降り立つと、そのままミカサと共にエレンを先導するために走った。地上に降り立った精鋭班達は巨人を挑発しながら走り回り、次々と容赦なく餌食にされて行く。

巨人の口の中へ運ばれ、身体を無残に引き千切られる。血の匂いが充満する。あちこちから断末魔の叫びが耳に響く中、アルミンはイアンの頭部が巨人の口から転がり落ちる光景に顔を青くした。
隣で走るミカサが一体どんな思いでイアンを目にしたのか、アルミンには解らなかった。
どんなに走っても巨人が後をたたない。
「まだ巨人が……!」
仲間が次々と死に行く中で、漸く破壊された扉が見えて来た。しかし、扉の前に一体だけ巨人が座り込んでいる。周囲に精鋭班の姿はない。
「ここは私が――!」
ミカサが飛び出すと同時に、前方から鬼気迫る顔をしたリコがガスを吹かして巨人へと突っ込んだ。
「そこをどけ!!」
勢いに任せてブレードを滑らせて、巨人の片目を切り裂くと血飛沫が舞った。
片目を抉られて動きが鈍くなったところで、ミカサがアンカーを巨人の項に突き刺して素早く飛行する。ブレードで項を抉り取る。これでエレンの前に巨人はいなくなった。

後は、大岩で穴を塞ぐだけだ。アルミンは腹の底からありったけの大きな声でエレンに向かって叫んだ。
「行けえぇぇ!エレン!!」
アルミンの叫びに呼応するかのように、エレンも一際大きな雄叫びを上げて大岩を穴に押し込んだ。
突風が起こり、砂塵が舞って視界が奪われる。暫くすると大きな衝撃波が消え、砂埃が風に流されてアルミンは目を開けた。
目の前には、大岩がピタリと穴に嵌っていた。
「――エレン!!」
アルミンは作戦成功を実感しないまま、幼馴染を巨人の身体から取り出すために走り出した。背後で信煙弾を打った音が聞こえた。



街に降り立ったナマエ達は、マルコから下された指示通り、巨人を引き付けるために街中を駆け抜ける。三メートル級の巨人が、ナマエに向かって無骨な手を振り翳すので素早く左へ避けた。巨人の手が地面に叩き付けられた後に、黄色の信煙弾が扉の方角から上がったのをナマエは目を見開いて目撃した。
人類はこの日初めて、巨人に勝利したのだ。
その後、急遽駆け付けた調査兵団と駐屯兵団工兵部の活躍により、ウォールローゼは再び巨人の侵攻を阻んだ。トロスト区に閉じ込めた巨人の掃討戦は丸一日が費やされ、その間壁上固定砲は火を吹き続けた。百四期練兵達も休む暇なく、巨人掃討に駆り出された。

壁に群がった巨人の殆どが榴弾によって死滅し、僅かに残った巨人は主に調査兵団によって掃討された。その際、四メートル級一体と七メートル級一体の巨人の生け捕りに成功する。
だが、死者・行方不明者二百名、負傷者八九七名。
人類が初めて巨人の侵攻を阻止した快挙であったが、歓喜するには失った人々の数が多過ぎたのだ。




「ねえ、ライナー、ベルトルト。マルコを見かけなかった?」

壁内に閉じ込めた巨人を死滅させた夜、疲労困憊の空気が漂う本部でナマエは昨日から姿が見えないマルコを探していた。何人かの兵士も彼女と同じように姿のない仲間を探している。
「一緒じゃなかったのか?」
「僕達は見てないよ。てっきり君と一緒にいるとばかり……」
ライナーとベルトルトもマルコを見ていないようだった。心なしか二人の表情が暗いのも、あまりにも多くの人間の死を一気に見過ぎたせいだろう。本部に集まっている兵士達は皆一様に、生き残った喜びを実感することが出来ないでいる。突然日常を破壊されてショックを受け、瓦礫まみれの街並みと仲間の無残な死体の多さに呆然としていた。
見知った仲間が物言わぬ肉の塊になっているのを見ても、反応出来ない。どう反応して良いか解らないのだ。

精神が、気力が磨耗している。
「……そっか。ありがとう、もうちょっと探してみるね」
疲労を顔に貼り付けたまま、ナマエは呟いた。
「あんまり無理するなよ。明日も朝早く出動だしな。マルコを見掛けたら、ナマエが探していたと伝えておく」
ライナーがそう言うと、隣にいるベルトルトが小さく頷いた。
「うん。二人共ありがとう……」
ライナーとベルトルトは気遣わしげにナマエに声を掛けてから去って行った。明日から、大規模な遺体回収が始まる。


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