作戦成功の絶対条件

トロスト区中に蔓延る巨人はナマエの思っていたよりも数が多かった。三人一組もしくは二人一組になって巨人を引き付けて、近付いて来たら一旦距離を置く。そうやって何度も何度も同じ動作を繰り返して少しずつ街の片隅に誘導する。
マルコと共に巨人との戦闘を避けながら、街と壁の間を往復している。もう何往復したのか、解らなくなっていた。

巨人が群がっている壁の下まで誘導し、駐屯兵に引き渡しをするまでが任務内容だ。再び街の中へ戻ろうとするマルコとナマエの背後から、駐屯兵が声を掛けて来た。
「良くやった!その調子で頼むぞ!」
「――ハイ!」
マルコとナマエは返事をした。背中に注がれた偉そうな口調とは裏腹に、声には切羽詰まった感情が漏れていた。ナマエは顔に張り付く汗をジャケットで乱暴に拭う。

再び街へ戻って巨人を誘導する。
身の安全を考えて、巨人との距離を十メートル程の間隔を空けながら誘導をしていたが、この巨人は他の巨人と違った。
「しまった!街の方へ戻って行くぞ!」
マルコの焦った声にナマエは振り返った。後ろから付いて来た巨人は、マルコとナマエに興味を失ったかのようで、フラフラとした足取りで元いた場所へ戻って行こうとする。
「どうして?今までこの距離で誘導出来たのに……」
「オレ達と巨人の距離が遠いのかもしれない……距離を縮めよう!」
「そんな――、」
「危険だって言いたいのは解るよ、ナマエ。でも僕達は囮役をやっているんだ、今更だと思わないかい?」
マルコに見抜かれ、ナマエは口を噤んだ。危険は百も承知。破壊された扉の近くで、きっとエレン達も戦っている。信じなければ。
「それに、作戦を成功させるために出来ることをやるしかない。君もそう言っただろう?」
いつもの落ち着いた口調で言うマルコの言葉にナマエは黒い目を見開いた。それは、先程自分が言った言葉だ。

今は少しでも、多くの巨人を壁際に引き連れることが、今出来ることである。その過程で死んだとしても、これはそういう作戦・・・・・・なのだ。ナマエは街へと戻って行く巨人の後ろ姿を見て、再度決意した。
「……少しずつ距離を詰めながら、ギリギリの距離を探ろう。掴まれそうになったら、一旦距離を取る」
絶妙な距離感を保ちながら誘導する囮役は、じわじわと精神力が削られていく。いつ、無骨な手に捕まるのか解らない。壁際に辿り着く前に、大きな口に放り込まれたらどうしよう。頭の中で、厭な想像ばかりが先を行く。

壁際へアンカーを発射させながら移動していると、マルコが急に屋根に飛び乗ったためナマエもそれに倣った。
「マルコ?いきなりどうしたの?巨人が街に……」
「まさか、どうして……。あそこの通りで、ジャンが巨人に追われている!何で立体機動を使わないんだ!?地上に留まるなんて自殺行為だぞ」
マルコの指差す方へ目を向けてジャンの姿を探すと、丁度壁の方にジャンが走って来ているのが見えた。ジャンの周りには班員はいない。
後ろには十メートル級の巨人が迫って来ている。
「何でジャンが単独行動しているの……アニとコニーはどこ行ったの?」
「もしかしてはぐれてしまったのかもしれない!ナマエ、ジャンを助けよう!オレが巨人の意識を逸らすから、君はジャンを頼む!」
「解った!」
二人は瞬時にアンカーを放ち、ジャンの元へ飛び出した。



「クソ……!」
ジャンは非常に胸糞が悪い思いを抱えて走っていた。

今日は何度死ぬ思いをしたことか。巨人掃討班になって街中を飛んでいた時。ガス補給のために本部へ突っ込む時。補給室奪還作戦の時。
そして今、立体機動装置が壊れてしまい巨人に追い掛けられている。
地元であるトロスト区奪還作戦で班長として、個人行動をしたがるコニーとアニを纏めるのに苦労した。巨人との戦闘で、単独行動は命取りである。
コニーもアニも訓練兵団上位十位内の実力があろうとも、成績順位など巨人との戦闘では無意味である。

そもそも超大型巨人が現れなければ、今日は久々に実家に顔を出して憲兵団入り出来たことを報告するつもりだった。父と母が喜ぶ顔が目に浮かんだ。これでやっと、最南端から遠いシーナの土地で暮らせる。巨人に怯えることもなく、安寧とした暮らしが待っていると――明日から内地での暮らしに胸を躍らせていた筈だった。しかし、現実は死にもの狂いで故郷を走り回っている。
しっかり整備した筈なのに、立体機動装置の故障のせいで巨人に喰われて人生お終いだ。やっぱりこんなことになるのなら、いっそ気持ちを伝えておくべきだったと――ジャンは後悔した。
これは本日二回目である。それでもジャンは諦めたくなかったから、懸命に走っている。

ナマエとマルコと別れた後、ジャンもコニーとアニと共に囮役で街中に出ることになった。
「良いか、とにかく巨人を街の隅から離れさせないことだ。それだけに集中して十分に引き付けろ」
住宅の物陰で、偉そうな口調の駐屯兵の指示に耳を傾けていた。建物の屋根には、囮役が集まって巨人を呼び寄せている。
「解るな?お前達が交戦する必要はない。訓練生は三人一組になって地上を走る。壁際まで来たら上に飛べ!命は落とすな。万が一漏れた巨人は我々が倒す!」
ジャンは苦々しい思いで聞いていた。思わず舌打ちしてしまい、本音がぽろっと口から滑ってしまう。
「万が一?十が一くらいの確率じゃねえのか?」
「我々が危険を感じた場合は、自己判断で動いても構いませんか」
苦い顔をするジャンと対照的なアニが、表情一つ変えず冷静な色をした瞳で駐屯兵の顔を見据えている。

彼女は、常日頃から誰とも連まず、一人で行動していた。無愛想でぶっきらぼうな彼女とは、あまり言葉を交わしたことがない。時々ナマエやミーナと一緒にいるのを見掛けたことはあったものの、アニが誰かと仲が良いなんてことは聞いたことがない。正直に言えば、格闘技がとても強いという印象しかない。
「それでどうにかなるならな!」
アニの言葉に手短かに駐屯兵が答えた後、ジャン達が隠れている場所からそう遠くない場所で巨人が襲来して来た。建物が破壊され、砂塵が舞っている方へジャン達は目を向けた。
「――キルシュタイン班、続け!」
駐屯兵達が通りに飛び出し、ジャン達もそれに倣って飛び出した。

そこまでは割と順調だった。街と壁際を何往復もした。二体巨人を引き付けようと、それぞれが地上を走った。ここはジャンの地元だから、街の隅までの最短ルートは知っている。しかし、あんなに偉そうに自分達に指示を出していた駐屯兵が、巨人に捕まっていた。情けない叫び声を出して、助けを求めている。
「嫌でも……、自己判断で動くしかないね!」
ジャン、コニー、アニの後ろからは、三体の巨人が迫って来ていた。

しばらく走って十分に引き付けてから、そろそろ屋根上に飛び乗ろうと思った時、コニーの焦った叫び声がした。
隣を並走していたコニーを巨人から助けるために、ジャンは無我夢中だった。
「早く行け!!」
自分のせいで誰かが死ぬのはもう嫌だった。誰かの命を預かる重圧に耐え切れそうになかったから、勝手に身体が動いていた。
巨人の大きな手がジャンへ振り下ろされたが、自ら開けた穴に手が挟まって抜けないらしい。愚鈍な瞳をこちらへ向けるだけだった。
そろそろ一旦壁に避難しようと思い、カチカチと数回トリガーを押したが全く動かない。ズドンと後ろから巨人が近付いて来た気配がした。絶体絶命だった。肝心な時に故障するとは、本当に運がない。

ジャンは迫って来る巨人から懸命に逃げた。息が切れるのも構わず、街中を駆け抜ける。腰に取り付けている立体機動装置が使い物にならないと、やけに重たかった。
「……、何とかするさ!」
通りをしばらく走り、右折すると人の気配がない住宅地に出た。近くの家に身を隠すことにする。

家の中はすっからかんで、食べかけの料理がそのまま放置されていた。部屋の中は散乱していた。恐らく、着の身着のまま慌てて避難したのだろう。ジャンは通りに面した窓枠の下に腰を下ろす。
相当な距離を走ったので、ゼェゼェと荒く息を吐き出す。自分の運のなさに悪態を付いた。
「ちくしょう……、オレが足引っ張ってどうすんだ……」
いつまでもここに留まっている訳にはいかない。いつ何時、巨人が突っ込んで来るか解らないのだ。
追い掛けて来たあの巨人を遣り過すまで隠れて、その間に故障した立体機動装置をどうにかしなくてはならない。今日を生き延びて、明日マルコと一緒に内地に行く。そのために、ジャンはここで死ぬつもり毛頭ない。そう心の中で再確認する。

そっと窓から外へ目を向けると、一人の兵士が瓦礫の下敷きにされていた。表の通りには瓦礫の破片が散らばっており、激しい戦闘があったことを物語っている。
「何とか……なるのかよ?」
ジャンの胸に苛立ちと焦燥感が湧き上がる。のっそりとした足取りで巨人が近付いて来たので、ジャンは気配を殺して巨人が去るまでじっとする。
心臓の鼓動は迫り来る巨人に聞こえそうな程強く、早く、大きく打つ。呼吸も止めた。その状態がほんの数分、十数分の間だったか解らなかったが、獲物ジャンを見失った巨人は元来た方向へ戻って行く。

ジャンは遠くなる足音を聞いて、肺に溜めた空気を一気に吐き出した。厭な緊張で強張っていた身体が脱力する。
生きた心地がしなかったが、明日を迎えるために素早く外に出ると、ジャンは瓦礫に潰されて死んでいる駐屯兵の立体機動装置へ手を伸ばした。

「巨人がいなくなるのを待つことなんて――出来る訳がねえ!!」

カチャカチャと立体機動装置を取り外しに掛かる。しかしベルトの留め具が錆びているせいで、死体から立体起動装置が外せない。気持ちばかりが焦り、苛立ちが爆発した。
「クッソ!何だよ、ふざっけんなよ!こんな時に――!」
すぐ背後から、巨人の足音と地面が揺れる振動が伝わって来る。ヤケクソ気味に悪態を吐いても、ベルトの金具は頑なに動かない。顔から汗が垂れるも、手元はベルトの留め具を外そうと懸命に動かした。
「ジャン、落ち着け!!」
「ジャン!」

迫る巨人の背後から、マルコとナマエが飛び出した。
「マルコ!?ナマエ!?何やってんだ!?」
マルコが、巨人を誘導するよう壁際の方向へ走って行くと巨人もそれに倣う。
そのの後ろ姿を一瞥したナマエが、ジャンの元に急いで駆け寄る。
「あの巨人はマルコに任せて!それより――」
「ああ、解ってるって――だが、ベルトの留め具が外れねぇんだよ!」
ジャンの手元を確認したナマエは、ジャンの隣に屈んだ。
「私がベルトを動かないよう押さえてるから、思いっきり留め具を引っ張って!最悪の場合、私の立体機動を貸す!」
「は!?それじゃあ、お前はどうするんだよ!」
「巨人だらけの街に置いて行かれるのは嫌だよ!私の立体機動を貸す代わりに、私を抱えて壁を登って欲しい……!」
ジャンが作業しやすように、ナマエがベルトを押さえて固定させる。
「……っ、お前を抱えながら巨人の集団を掻い潜って――壁を登るのなんかゴメンだ!」
どちらも共倒れになるような結末は願い下げだ。
「こんな所で――オレもお前も死ぬ訳にはいかねえんだよ!」
ジャンは力の限り留め具を自分の方へ引っ張った。
錆び付いた留め具が、ギチギチと嫌な音を立てるがびくともしない。早くここから脱出しなければと気持ちが焦るばかりで、錆びた留め具に苛立ちが募って行く。

二人が留め具に苦戦していると、絶望の音が次第に大きくなって来る。わざわざ確認しなくても音の正体なんて解っている。
ジャンは口の中で、今日何度目になるか解らない悪態を付いた。
「おいナマエ!もうオレのことは良いから、お前は逃げろ!」
「後、少し――!」
ナマエが呻いた。死への足音が大きくなる中で悪戦苦闘していると、ガチャリと軋む音と共に留め具がベルトから外れた。
「――、やった!」
しかし喜んでいる暇などない。取り外した立体機動装置をジャンが身に付けて、逃げるまで間に合わない距離に巨人が迫って来ていた。

「こっちだよ!」
そう叫んだナマエが、アンカーを発射させて俊敏な動きで巨人の目の前を飛んで街中へ飛び立つ。

彼女を捕まえようと、巨人は手を伸ばし追いかけ始めた。自分の身代わりになって巨人を引き連れて去って行ったナマエに舌打ちしたジャンは、素早く立体機動装置を身に付ける。
アンカーを発射させて空中を飛ぶこと数回。片方のトリガーが硬くてアンカーが一本しか発射することが出来ず、バランスを崩して硬い石畳に身体を打ち付けられた。
「ちっくしょう……どうしてこんなにトリガーが硬てぇんだ!?」
必死の思いで取り替えた立体機動装置は、手入れを怠っていて錆び付いていた。きっと死んでいた駐屯兵も、アンカーが上手く発射出来ず右往左往している内に、巨人にやられてしまったのだろう。
大きな足音を響かせてまたもや巨人がやって来る。どんなに逃げても引っ切りなしだ。ニヤついた顔をしている巨人に腹が立った。万事休すかと思ったが、屋根からコニーの声が聞こえる。

ハッとして上空に目を向けると、コニーが飛び出して巨人の頭へ体当たりした。
「何やってんだ!?」
「どっちがだよ!早く飛べ!!」
ジャンは必死に走り出して硬いトリガーを押してアンカーを建物に打ち付ける。何とか飛行に成功したが、巨人が大きな口を開けてジャンへと勢い良く迫って来た。避け切れない。本当にこれで終わりだと、ジャンが“死”を感じた時。音も気配もなく、アニが巨人の上から静かに飛び出して奇襲を仕掛けた。

その後はどんなに飛びずらくても、建物に身体を打ち付けようともジャンは構わなかった。痛いと感じる余裕すらない。
一本のアンカーしか使えないため、通常よりも倍掛かる重力に対して絶妙に身体を捻って体勢を保つことに集中する。知らず知らずの内に、苦しい呻き声が口から溢れる。少しでも気が緩めば、遠心力であらぬ方向に身体が持って行かれそうになった。建物と激突しそうになりながらも、壁を目指す。
一本のワイヤーで空中を移動することなど、機動力トップクラスのジャンしか出来ない芸当だ。
視界には、夕陽に照らされた地元の光景がぐるりと猛スピードで回転する。建物と建物の空間距離を瞬時に把握して、適正に建物へアンカーを撃って疾走する。
やっと壁が見えた。着地をするべく、受け身の態勢を取り、転がるように着地した。後ろからコニーとアニも続いて着地した。

壁の上にはマルコとナマエが、青い顔をしてジャン達を見ていた。
「お前ら、無茶しやがって!」
ジャンはマルコとナマエとコニーに向かって叫んだ。
「無茶はお前だろ!」
「――ったく、生きた心地がしねぇよ……」
「本当、どうなるかと思ったよ!」
ジャンの言葉にそれぞれが反論する中、アニが何かに気付いたように四人に声を掛けた。
「……!あれを見て」
大きな足音が壁の上まで聞こえる。アニの言葉にジャンは街へ目を向けた。

そこかしこから黒煙が上がり、巨人が蔓延る。
すっかり変わり果ててしまった生まれ故郷に、巨人化したエレンがズシンと大きな足音を響かせて、破壊された扉の方へ大岩を持ち上げて運んでいる姿があった。
壁の上にいる全員がその光景に息を呑み、信じられないような眼差しをトロスト区の街へ向ける。エレンの姿を目にしたジャンは、マルコやナマエ、コニー、アニに指示を飛ばした。
「邪魔をさせるな!エレンを援護するんだ!!」

後一歩。後一歩で、人類は初めて巨人に勝利する。この機を逃してはならない。
ジャンを先頭に壁から飛び出した五人は、再び囮役なるためそれぞれ街の方へアンカーを飛ばす。
ジャンはお構いなしに、錆び付いた立体起動装置を操作した。無我夢中だった。


 -  - 

TOP


- ナノ -