偶像に心臓を捧げよ

「お前が教えてくれたから……オレは、外の世界に……」

巨人が口先にいる獲物を飲み込もうと、力任せに閉じようとする。そうはさせまいと踏ん張っているエレンの眼に映るのは、こちらへ手を伸ばしている必死の形相をした幼馴染の姿。
「エレン、早く!!」
それが一瞬で視界から消えた。

未だ嘗てない程左腕が爛れたかのように熱を帯びた。痛い。骨折よりも痛くて、気が狂いそうだった。ぐらりと身体が傾いて、エレンは巨人の腹の中へ転がり落ちて行く。
ぶよぶよとした弾力性を持つ肉壁で出来た空間は、人間で言うところの胃袋だろうか。そこで息絶えた仲間達の無残な姿を目にした。虚ろな瞳は何も映していない。血生臭くてじっとりと湿っていて不快だ。噛み千切られた腕と脚が焼け付くように痛い。でも、心の方がもっと痛かった。

こんな筈じゃない。五年前とは違う。
故郷を蹂躙されて、母親を喰われた。巨人に勝つために、もうこれ以上大事なものを奪われないために血も滲むような厳しい訓練をして来たのに。
どうして奪われるのだろう。命も夢も希望も何もかも。少しでも希望を持つことすら、許されないとでも言うのか。母親が巨人に喰われて死ぬ光景は、何度も悪夢として蘇る。あの時は見ていることしか出来なかった。もうあの時の自分とは違う筈なのに。
巨人を殺す技術だって身に付けた。血の滲む三年間、母を喰った巨人の顔は忘れやしない。それなのにエレンは巨人の腹の中にいる。
「駆逐してやる……。この世から一匹残らず……オレが……この手で……」
悔しい気持ちと憎しみの気持ちに支配される。それらが綯い交ぜになってドロドロとした負の感情が溢れて肥大する。

そこから先は記憶にない。言いようのない憎しみと怒りが渦のように巻い上がらせ、激しい殺意が膨張する。器から溢れた殺意は留まることを知らずにエレンを染めた。
向かって来る巨人へ有りっ丈の憎しみを込めてなぎ倒して、踏み付ける。肉が潰れる感触と生温かい血液が飛び散る。建物が崩れる。永遠と湧き上がる殺意に身を任せ、殴って――蹴り倒して――踏み付ける行動を繰り返す。自分達を地獄に突き落とした巨人達を、今は自分が蹂躙している快感。

建物のことなどどうでも良い。今は一匹でも多く巨人やつらを――、
「殺シテヤル……」
「……エレン?」
懐かしい幼馴染の声に、エレンは我に返った。

今にも泣きそうな顔をしたアルミンがこちらを覗き込んでいる。目の前には、ミカサがエレンを何かから守るかのように立ち塞がっている。
エレン達三人は、大勢の駐屯兵達に何重にも取り囲まれていた。彼らは恐怖と怯えに染まった瞳でこちらを睨んでいる。一体何があったのか解らなかった。
「エレン、知っていることを全部話すんだ!きっと解って貰える!」
アルミンが必死に頼み込んでくるが、自分がどうして駐屯兵に取り囲まれているのか、状況に追い付いていない。臨戦体勢の駐屯兵達が騒めく。彼らは更に、敵意を露わにしたことだけは見て取れた。
「あいつはオレ達を喰い殺す気だ……!」
何故、敵意を向けられているのだろう。公に心臓を捧げた兵士同士。それに同じ人間同士なのに。街に侵攻した巨人はどうなったのだろう。住民達は避難出来たのだろうか。

解らない。記憶がない。どこから記憶がないのか、それすらも曖昧だ。アルミンが巨人に喰べられそうだったから、あの時は必死で――。ふと、巨人になって他の巨人を殴り、踏み潰して殺していた風景が脳裏に過る。さっき見たものは夢の筈だ。
腕だってちゃんと付いて――。
エレンは己の左腕を凝視する。不自然に裁断されている袖に違和感が募り、背中から厭な汗が流れた。
「イェーガー訓練兵、意識が戻ったようだな!今貴様らがやっている行為は人類に対する反逆行為だ!貴様らの命の処遇を問わせて貰う。下手に誤魔化したりそこから動こうとした場合はそこに――榴弾をブチ込む!躊躇ためらうつもりもない!」
顔面を恐怖の色に染まったキッツが、エレン達に向けて吠えていた。その言葉通り、固定砲がいつでも発射出来るよう準備万端のようだ。

「率直に問う。貴様の正体は何だ?――人か?巨人か?」
誰もがエレンが答えるのを固唾を呑んで待っている。緊張した空気が辺りを支配した。アルミンとミカサから視線を感じる。
エレンには、質問が良く解らなかった。

人か、巨人かという質問の意図が見えない。どこからどう見ても人間なのに、駐屯兵達は怯えた表情を崩さない。まるで化物を見るかのような目付きだ。まさか本当にエレンは巨人だとでも言うのだろうか。
「質問の意味が解りません!!」



本部で決死の補給作戦を終えた訓練兵達は、無事にガスの補給も出来て壁を登ることに成功した。上官から装備を万全にして次の指令まで班編成で待機と言い渡されている。
疲れ果てた者や仲間を巨人に喰われて怯えている者、慰めている者など様々だった。

コニーがクリスタに、今までのあらましを話していた。クリスタが大きな空色の瞳を歪ませ、痛ましい表情をしたままコニーの話を静かに聞いている。
「ごめんなさい。何度も皆の補給の救援を志願したんだけど……」
「せっかく私達はガスの補給が出来たのにな。皆に知らせる!つって飛び出したのはコイツだ」
「じゃあ、今ここにいない人達は全員……」
涙を馴染ませるクリスタ。その先を言わなかったが、周囲の様子を見れば一目瞭然だった。
「本当か?あのミカサもか?」
彼女の隣にいるユミルが辺りを見渡す。
「いや、ミカサはジャン達と一緒に遅れて来たと思ったんだが――ジャン、まさかミカサは負傷でもしたのか?」
コニーがジャンに声を掛けた。

重苦しい空気がナマエ、ジャン、ライナー、アニ、ベルトルトを包んでいる。
「オイ、お前らどうしたってんだよ?さっきから一言も喋らないで何かあったのか?」
「オレ達には守秘義務が課せられた……言えない。尤も、どれ程の効果があるのか解らんが……」
「守秘義命令?」
「何だそりゃ?」
「隠し通せるような話じゃねえ……すぐに人類全体に知れ渡るだろう。それまでに人類があればな」
ジャンが言葉短く答えると、そのまま黙り込んでしまった。当然コニー、ユミル、クリスタが解る訳もない。

ナマエもジャンの言う通り、時間の問題だと思っている。
「エレンは――何故巨人化出来るようになったんだろう……」
小声でジャンに咎められる。
「お前……!地下牢にブチ込まれたいのかよ」
「何でもない。今のは忘れて」
ナマエは、青白い顔をしたまま力なく首を横に振った。胸の内がもやもやして仕方がない。
どうしてエレンは巨人になれたのだろう。巨人は元を辿れば同じ人間だったのかもしれない。その答えを、三年間過ごしてきた同期がずっと隠し持っていた可能性があるのだ。求めていた答えがこんなにも近くに落ちていたなんて。

突然大きな振動と共に砲声が響いた。周りにいる駐屯兵も訓練兵も砲声が上がった方へ目を向けた。向こうの方に煙が上がっている。しかも煙は壁の中から上がっていた。
「砲声!?」
「何故一発だけ?」
ナマエは跳ね上がるように立ち上がり、煙がもくもくと上がっている方角を見た。榴弾を落としただけであんなに煙が舞うだろうか。
「巨人の蒸気か!?」
誰かが叫んだ。周囲が騒つく中、ライナーが煙が上がっている方角へアンカーを発射して勢い良く飛び出した。後を追うようにアニ、ベルトルト、ジャンも飛び立って行く。ナマエも彼らの後を追うと、信じられない光景が広がっていた。

蒸気を発している不完全な形をした巨人の上半身。赤い筋肉の筋に骨が剥き出しの状態で、巨人が壁の中に出現したのだ。ナマエは手頃な屋根に着地する。背後から続々と人が集まって来る。
蒸気が上がっているため良く目を凝らしてみると、どうやら巨人の肋骨部分が空洞になっているようだ。空洞部分にはミカサとアルミンの姿があった。
肉の繊維が千切れる音がすると、中からエレンが姿を現した。
ナマエも、周りに集まっているジャンやライナー、アニ、ベルトルトも目の前の光景に呆然とすることしか出来ない。

蒸気を発していた不完全な巨人の上半身が、雪崩のように崩れ始める。砂塵が舞う中、前へ進んで出て来たのはアルミンだった。腰には立体起動装置がない。武装解除したようだ。
「彼は人類の敵ではありません!私達は知り得た情報を全て開示する意思があります!」
「命乞いに貸す耳はない!目の前で正体を現しておいて今更何を言う?ヤツが巨人でないと言うのなら証拠を出せ。それが出来なければ、危険を排除するまでだ!」
「証拠は必要ありません!」
あんなに必死で叫んでいるアルミンを初めて見た。

いつもエレンとミカサのお守役のようなポジションにいて、誰にでも優しく接し、ずば抜けた頭脳を持っているのに、内気でシャイな男の子。ナマエはずっとそう思っていた。

「そもそも我々が彼をどう認識するかは問題ではないのです!大勢の者が見たと聞きました!ならば彼と巨人が戦う姿も見た筈です!周囲の巨人が彼に群がって行く姿も――」

巨人が巨人を殺す。あり得ない光景に目を疑った。あの奇行種は全くと言って良い程、人間に興味を示さなかったし、巨人の弱点を突いて確実に殺していた。他の巨人にはない“知性”があるということだ。
「つまり巨人・・は彼のことを人類と同じ捕食対象として認識しました!我々がいくら知恵を絞ろうとも、この事実だけは動きません!」
「迎撃体制を取れ!ヤツらの巧妙な罠に惑わされるな!奴らの行動は常に我々の理解を超えている。人間に化けるということも可能という訳だ!これ以上、奴らの好きにさせてはならん!!」
彼の声は先程よりも一層上擦り頑なに何も寄せ付けないように叫び、大きく右腕を振り上げる。

もうここまでか。全員が思った時、アルミンが鋭い視線を向けたのをナマエは見逃さなかった。
「私はとうに人類復興のためなら心臓を捧げると誓った兵士!!その信念に従った末に命が果てるのなら本望!!彼の持つ“巨人の力”と残存する兵力が組み合わされば、この街の奪還も不可能ではありません!!人類の栄光を願い!これから死に行くせめてもの間に!彼の戦術価値を説きます!!」
全身全霊を掛けたアルミンの主張。彼の剣幕と覚悟を目の当たりにして、この場にいる全員達が身動ぎ一つ出来ない。
呆けたようにただ突っ立っているだけだ。

「よさんか」
緊迫した空気に似つかわしくない、どこか飄々とした口調。ジャケットに薔薇の紋章が刻まれている。ゆっくりとした歩みで前に進む壮年の男の姿に、皆釘付けだ。
「相変わらず図体の割には小鹿のように繊細な男じゃ。お前にはあの者の見事な敬礼が見えんのか」
「ピクシス司令……!」
「今着いたところだが、状況は早馬で伝わっておる。お前は増援の指揮に就け。ワシは――あの者らの話を聞いた方がええ気がするのう」

トロスト区を含む南側領土を束ねる最高責任者。人類の最重要区防衛の全権を託された男が現れた。ピクシスと呼ばれた男は、この状況をどう打開するつもりなのか。街には巨人が今も侵入し続けている。人間同士が争っている時間はない。



「トロスト区奪還作戦だと!?」
「これからか?」
「嘘だろ!?扉に開いた穴を塞ぐ技術なんかないのに……」
あの後、ピクシスに命じられた小心者のキッツによって部隊編成が行われた。

これにより、待機していた訓練兵達も共に部隊へ編成されて広場に整列する。整列してしたものの、皆一様に目に生気が宿っていない。戦意喪失しているのだ。
「上は何考えているんだ?もうトロスト区に入ったって無駄死にだろ!?」
「穴を塞げない以上、ウォールローゼの扉を死守するしかないのに……」
「畜生……そんなに手柄が欲しいかよ……!?」
皆口々に言いたい放題である。実戦経験の多い調査兵団が壁外調査での留守中に、トロスト区奪還作戦を成功させるのは難易度が高過ぎるとナマエも思っている。
「嫌だ!死にたくねえ!家族に会わせてくれ!!」
ナマエの近くにいるダズが泣きながら喚いた。彼は既に限界を超えているようで、先程からずっと喚いている。マルコが窘めてもお構いなしだ。
「そこのお前、聞こえたぞ!任務を放棄する気か?」
「ええ、そうです!この無意味な集団自殺には何の価値も成果もありません!」
「……人類を、規律を何だと思っている!私にはこの場で死刑を下す権限があるのだぞ!?」
「良いですよ、巨人に喰い殺されるより百倍良い……!」

自暴自棄になった人間は、怖いもの知らずだ。周りにいる訓練兵達は二人のやり取りにどう反応して良いか解らないでいた。周囲に動揺が伝播して、いつ不安が爆発するか解らない状況に変わって行く。
死にたくない。だけど、このまま無謀な奪還作戦に参加したくないと大きな声で言える訳がない。どっちを選んでも待っているのは死である。

規律を失った烏合の衆を纏めるには、強いリーダーが必要だとナマエは思う。しかし巨人の恐怖に屈してしまっている今、大人数を鼓舞出来る程のリーダーシップなんてものを、彼女は持ち合わせていない。ナマエが出来ることと言えば、今やるべき事をやることくらいだ。
「私だって死に方くらい選びたい……」
誰かが本音を零すと、あろうことか駐屯兵の男が彼女に賛同する。

隊列から外れようとする男に、ジャンが詰問した。
「ここを去ってどこに行くんすか?」
「娘に会いに行くんだよ。お前らにはオレの気持ちなんて解らないだろうな?親にとって、子供は何よりも大事なんだ。どうせこの扉も破られるのだから、行かせて貰うぞ」
男の答えに、ジャンもナマエも言葉を失ってしまった。



「巨人と戦う必要がない?」
アルミンが奪還作戦のポイントをミカサやピスシスの部下にも説明を続けていた。
「巨人は通常、より多数の人間に反応して寄って来るのでその習性を利用して、大勢で誘き寄せて壁際に集めることが出来れば大部分を巨人と接触せずにエレンから遠避けることが出来ると思います。
倒すのは後で大砲を利用して損害を出さずに出来ると思いますし。ただし、エレンを無防備にする訳にもいかないので少数精鋭の班で彼を守るべきだと思います。それに穴から入って来る巨人との戦闘も避けられません……。そこは精鋭班の技量に懸かっています」
「……よし解った。そこを踏まえて作戦を練り直そう」
アルミンは、自分の思い付きがトロスト区奪還作戦として実用されることに疑問を感じているようだ。エレンもそれを察知して、敵は巨人だけではないと言う。

つまり人類同士が足を引っ張り合っていることを暗に指していて、ピクシスもその現状を解ってる上で実行に移すと決めたのだ。
「ただ、この作戦はエレンが確実に岩を運んで穴を塞ぐことが前提です。その確証が乏しいままこの作戦をやることに疑問を感じるのですが……」
「確かに根幹の部分が不確かなまま大勢を死地に向かわせることに何も感じない訳ではないが……ピクシス司令の考えも理解出来る」

一つは時間の問題である。今この瞬間も、破壊された扉から巨人が侵入している。
街に巨人が充満すればする程、トロスト区奪還の成功率が下がって行く。加えてウォールローゼが突破される確率が高くなる。
「そしてもう一つ。人が恐怖を原動力にして進むには限界がある……」
恐怖に染まった人間を突き動かすには、アルミンが立てた作戦に賭けるしかない。
「巨人に地上を支配される前、人類は種族や理の違う者同士で果てのない殺し合いを続けていたと言われておる。その時に誰かが言ったそうな――もし、人類以外の強大な敵が現れたら人類は一丸となり争いを止めるだろうと……。お主はどう思うかの?」
「そんな言い伝えがあるんですか。それは随分と呑気ですね。欠伸が出ます……」
「お主もワシと同じで品性がひん曲がっておる」
ピクシスはエレンの答えに愉快に笑う。笑う度に、目尻に刻まれた皺が更に深くなった。

強大な敵――巨人が出現してから一度として、人類が一丸となり戦って来たとはエレンには思えない。三年前の悪名高い口減らし政策を、思い返せば容易に理解出来る。
「まあ……そろそろ一つにならんとな。戦うことも難しいじゃろうて」
そう言ってピクシスが歩みを止めて眼下を眺める。地上では有象無象の輩が騒いでいる様子が見て取れた。

彼が一つ大きく息を吸い込んで、腹の奥底から声を出して叫んだ。ビリビリと震えた空気が辺りに伝わる。効果は覿面で騒ついていた空気が一瞬で、水を打ったかのようにしん、と静まり返った。
眼下から、数え切れない程の大勢の視線に曝される。
「この作戦の成功目標は破壊された扉の穴を――塞ぐことである!!穴を塞ぐ手段じゃが、まず彼から紹介しよう。訓練兵所属エレン・イェーガーじゃ」
ピクシスの隣で、エレンは敬礼する。人類に心臓を捧げるには、彼は余りにも若過ぎる。



壁の上にいるピクシスの隣で敬礼したエレンを見たコニー、クリスタ、ユミルなどの百四訓練兵は驚きを隠せないでいた。
「エレン!?」
「何でアイツがあんな所に――、司令の隣にいるんだよ?」
「まさか――今ここであのことを公表するというの……?」
ナマエはエレンの姿を確認して、何となく奪還作戦のあらましが見えたような気がした。

目の前に聳える堅牢な壁の上に立っているエレンを見つめていると、同期の彼が随分遠くに行ってしまったと錯覚してしまう。
「彼は我々が極秘に研究して来た巨人化生体実験の成功者である!彼は巨人の身体を精製し、意のままに操ることが可能である!!」
「なあ……今、司令が何言ったか解んなかったが――それはオレが馬鹿だからじゃねえよな!?なあ!?」
「ちょっと黙っていてくれ……馬鹿」
ピクシスの言葉に、コニーやユミルをはじめとした周囲の人間は騒然とした。

烏合の衆を纏めるにはエレンが何故巨人化出来るのか理由付けが必要であるが、“巨人化生体実験”は無理がある。誰もそんなこと本気で信じていないナマエも何も言葉を失ってしまった。
「塞ぐって一体どうやって……?」
泣き喚くダズを抑えていたマルコはピクシスの言葉に動きを止める。マルコと同様の疑問を浮かべる者が大半だった。

作戦内容は、正に巨人を持って巨人を制するような内容だった。まず、巨人化したエレンが前門付近にある大岩を持ち上げ、破壊された扉の穴を塞ぐ。駐屯兵団・訓練兵団はエレンが岩を運んでいる間、他の巨人がエレンに近付けないようエレンを守ることである。
つまり、残りの兵士達は囮役となって巨人の意識をエレンから外らせることが任務である。至ってシンプルで且つ解りやすい作戦だが成功率が計れない。

“エレン・イェーガー”という不安定な存在を信じることが、この作戦の前提なのだとナマエは思う。
巨人化したエレンが人間に目もくれず他の巨人を殺していた様子を多くの人間が目にしているが、嘗て類を見ない作戦内容に“やりましょう”と首を縦に振るなどあり得ない。
案の定、口々に反発の声がそこかしこから上がった。

「嘘だ!!そんな訳の解らない理由で命を預けてたまるか!オレ達を何だと思っているんだ!?オレ達は……使い捨ての刃じゃないんだぞ!!」
ダズは胸の中に抑え込んでいた不満をついに爆発させた。

彼の言葉を皮切りに、あっという間に周囲に立ち込めていた重苦しい空気が限界値へと達して燻っていた不満の導火線に火が着いた。
「人間兵器だとよ……」
「そんなまやかし、真に受ける奴が何割いるって見積もってるんだろうな。オレ達を馬鹿にしやがって」
「人類最後の時を家族と過ごします!!」
「今日ここで死ねってよ!オレはこの作戦から降りるぞ!」
続々と隊列から仲間達が離脱して行く。

駐屯兵団・訓練兵団はすっかり統率力と秩序を失ってしまった。離脱する仲間を粛清しようと駐屯兵団隊長が刃を仲間に向ける。彼らの様子を、ナマエは胸に燻る焦燥を抱いて歯を食いしばることしか出来なかった。
「ワシが命ずる!今この場から去る者の罪を免じる!一度巨人の恐怖に屈した者は二度と巨人に立ち向かえん!!巨人の恐ろしさを知った者は、ここから去るが良い!そして――」

緊張感が走った。ダスがゆっくりと離脱するために歩き出す。他の者達もピクシスの演説に耳を貸さず去ろうとする。
「その巨人の恐ろしさを自分の親や兄弟、愛する者にも味合わせたい者もここから去るが良い!!
――四年前の話をしよう。四年前のウォールマリア奪還作戦の話じゃ!あえてワシが言わんでも解っておると思うがの、奪還作戦と言えば聞こえが良いが、要は政府が抱え切れんかった大量の失業者の口減らしじゃった!皆がそのことに関して口を噤んでおるのは、彼らを壁の外に追いやったお陰で我々はこの狭い壁の中を生き抜くことが出来たからじゃ!
ワシを含め、人類全てに罪がある!!」

あの悪名高い作戦で二割の人口を切り捨てて、今日まで人類は生きている。
幸いなことに五年間、ナマエは一度も食べることに困ったことはなかった。彼女は勘当されたとは言え、カラネス区一帯を仕切る商会の家柄なので食べる物は有り余っていたし、兵団に入団してからも飢えることはなかった。
少ない食糧は、市民よりも兵団に優先されるからだ。彼女が口に出来たパンもスープも、誰かの犠牲のお陰なのだ。
「ウォールマリアの住民が少数派であったがため、争いは表面化しなかった。しかし、このウォールローゼが破られれば人類の二割を口減らしするだけじゃ済まんぞ!最後のウォールシーナの中だけでは残された人類の半分も養えん!!
人類が滅ぶのなら巨人に喰い尽くされるのが原因ではない!人間同士の殺し合いで滅ぶ!!我々はこれより奥の壁で死んではならん!!どうかここで――ここで死んでくれ!!」
ピクシスの大演説は、その場にいる全員の魂を強く揺さぶった。

今何をするべきなのか。ピクシスの言葉によって統率力を失っていた烏合の集団は一つに纏まった。人類の未来のために今心臓を捧げる時なのだ。ナマエはそう思った。


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