悪足掻きという名の博打

リフトの車輪が軋みながら下降して行くと、補給室の全貌がぼんやりと広がった。幸いなことに、補給室に侵入した巨人の数は七体のままのようだ。薄暗い照明に照らされた巨人達は、より一層不気味に映える。七体はそれぞれ好きなように補給室を彷徨うろついている。大好物の人間がいないか周囲を見回し、まるで探検ごっこでもいているようだ。

ナマエ達はリフトの中で息を潜め、身を寄せ合う。一気に緊張感に溢れ、皮膚を刺すような痛い空気に包まれる。ナマエは、緊張と恐怖で震える指先を引鉄に絡めた。全員、マスケット銃を構えて巨人達が集まって来るのを待つ。
臭覚なのかはたまた視覚で判断したのか解らないが、どうやら彼らは人間達の存在に気が付いたようだ。ゆらりゆらりとまるで何かに導かれるようにリフトの周りに集まり始め、鼻先が銃口に触れてしまう程近寄って来た。
薄暗い照明の中、巨人達は不気味な笑みを貼り付けたまま人間達を窺う。ナマエは集まって来る巨人を見据えた。

目と鼻の先に巨人がいる。どんなに興味を持っていても、やっぱり怖い。その証拠に心臓の鼓動がマルコやアルミン達、巨人にまで聞こえてしまう程うるさく暴れている。今日は目の前で仲間を助けることも出来ず、喰われる場面を厭という程目にした。惨い現実の中で足掻いた末、ナマエは生きるために戦えば勝つことを知った。だから、もう一度足掻くのだ。
誰かが、息を呑んで短い悲鳴を上げるとマルコが窘めた。
「落ち着け!まだ十分に引き付けるんだ!」
ぞろぞろと七体全ての巨人が集まる。

生臭い息を放つ分厚い口がすぐ目の前にある。容易く口に放り込まれてしまう。どの位待ったのか、ナマエは解らない。恐怖で体感時間が狂っているのだ。例え一分しか経っていなかったとしても、永遠のように感じた。熱い肌に覆われた大きな手で乱暴に掴まれてもおかしくない。全員が、マルコの号令を震えながら待った。

「――用意……撃て!!」
十分に彼らを引き付け、マスケット銃が巨人の両目に向かって火を吹いた。耳を刺すような発砲音が、煉瓦造りの壁に反響して鼓膜が大きく震える。弾が発射される度に振動で両手がビリビリ痺れても、なり振り構わず撃ち込んだ。散弾を全て使い切るために、リフト組は引鉄を引く指を止めなかった。

火薬臭い硝煙がナマエ達と巨人達の視界を奪う。その隙を見て、天井に隠れていた七人が一斉に巨人へ飛び掛かり項を抉る。肉片が飛び散った。視界を奪われた巨人達は呆気なく絶命する。
「サシャとコニーが取り逃がした!援護を!」
全体を見ていたマルコが切羽詰まったように叫んだ。二人は項を刈り取ることが出来なかったようで、床に座り込んでしまっている。どうにかして二体の項を削がなければ、作戦が失敗してしまう。ナマエはマスケット銃の標準を巨人に合わせ、引鉄を引いたものの空気が抜けた情けない音がしただけだった。このままでは二人が喰われてしまう。作戦失敗かと思いきや、ミカサとアニが瞬時に二体を始末した。
「サシャ、ケガはない?」
「お陰様でっ!」
「ならすぐに立つ!」
「全体仕留めたぞ!補給作業に移行してくれ!」
ジャンの報告でナマエは力が抜けた。マスケット銃を握る手は、ぐっしょりと濡れていた。未だ嘗てない程緊張した。補給室に歓喜の声が響く。

一か八かの勝負事に勝ったのだ。今までの緊張から解放されたマルコがふらりとよろめく。マルコの顔には玉のような汗がびっしりと浮かんでいた。全員の命を背負って、決死作戦の指示役を務めた証である。他の同期達もマルコへお疲れ様の意を込めて、肩を叩いたり軽く声を掛けてからガスの補給作業へ移って行く。
「マルコ、大丈夫?」
「あ、ああ……!良かった、これで……」
ナマエがマルコに声を掛けると、ホッとしたような表情でマルコが見返してくれた。これで漸く、生きて壁の向こうへ戻れる。
「壁を登れる。マルコが絶妙なタイミングで指示を出してくれたお陰だよ、ありがとう」




それぞれガス補給が終わった者から我先に壁を登るために慌ただしく外へ飛び出して行く。新たな巨人がこちらに侵入して来ないということは、外にいるあの奇行種が巨人達と戦っている証拠である。他の巨人と一体何が違うのだろうか。
「ほら、早くここから出るぞ」
「え、あ……」
もしも――。人間と共生出来る巨人がいたらどうだろう。これ以上不必要に人間が死ぬことはない。命を無駄遣いすることもない。百年間分の憎しみと憎悪の連鎖を、断ち切る勇気がなければ成し得ないだろう。

ガスを補給しながら、ナマエはずっとそのことを考えていた。五年前のシガンシナ区で咽び泣いていた一人の母親の姿が蘇った。そんな時に、ジャンに声を掛けられて上手く反応出来なかったのだ。
「お前のガス管もう満タンだぞ」
「わっ、本当だ!」
「こんな危ない所でぼんやりするなよ。早く壁を越えるぞ」
呆れた溜息が一つ吐かれた。巨人に囲まれた場所で物思いに耽ることが出来るなんて、一体どんな神経をしているのか自分でも良く解らなかった。ジャンの後を追うように、ナマエも窓から飛び出して屋根に登ると目を疑うような光景が広がっていた。

「……何だよ、これ」
「共喰い、してる」
辺りの建物は崩壊し、そこかしこに転がっている巨人の死体から蒸気が発していた。

あの奇行種が甲高い叫び声を上げ、周りの巨人に身体を捕食されていた。巨人同士が共喰いをするなんて初めて聞く。その異様な光景に、二人共眼を奪われてしまう。奇行種の両腕部分は齧り取られ、肩の付け根辺りまでしか腕の肉が残っていなかった。おまけに身体の傷が修復出来ない様子だ。
屋根の上には、もう既に壁を登ったと思っていたミカサ、アルミン、ライナー達もいた。彼らも眼下の光景に息を呑んでいる。
「どうにかしてあの巨人を解明出来れば……この絶望的な現状を打開するきっかけになるかもしれないと思ったのに……」
「同感だ!あのまま喰い尽くされちゃ何も解らず終いだ!あの巨人にこびりついてるヤツらをオレ達で排除して……とりあえずは延命させよう!」
ミカサが捕食されている奇行種を見て悔しさを滲ませると、ライナーも平然とした口調で同意する。

今、彼らは何と言ったのだろう。延命、と言ったのか。その言葉にジャンが異議を唱える。
「正気かライナー!やっと……この窮地から脱出出来るんだぞ!?」
「例えば、あの巨人が味方になる可能性があるとしたら、どう……?どんな大砲より強力な武器になると思わない?」
「……本気で言ってるのか!?」
それまで黙っていたアニまで、ライナーの言葉を受けて提案する。あの奇行種がこちらの味方になれば心強いと思う。共に生きる道はあるのだろうか。
「正気だ。とにかくオレはあの巨人を助けに行く!ベルトルト、アニ、お前らはどうする?」
ライナーの傍にいるベルトルトとアニが無言で頷く。

この三人が共に行動するなんて珍しい。特にアニは誰ともつるまないから、余計にそう見えるのかもしれない。重い足音がこちらへ近付いて来るのに気が付いた。ナマエは、屋根から地上へ飛び出そうとする彼らを呼び止めた。
「――待って三人共!あの奇行種の様子がおかしい」
「あいつは……トーマスを喰った奇行種……!?」
アルミンが歯を食いしばった。新たに現れた一体の巨人は、奇行種へと狙いを定めたようだ。互いに睨み会うこと数秒。突然奇行種が怒ったかのように吼え、左右の巨人に両腕を噛み付かれたまま猛スピードで走り出す。両腕に噛み付いて離れない二体の巨人を振り払った後、素早い動きで巨人の首元ごと齧り投げ飛ばした。

建物は巨人に衝突されて凄まじい衝撃で崩れ、辺りは瓦礫と巨人の肉片が散らばり、蒸発する熱気が辺りに立ち込める。目の前で繰り広げられる光景は、まるで獣同士の狩場のようだ。本能のまま殴って蹴って急所である項を潰す。奇行種の無駄のない戦い方に全員が圧倒されてしまうが、どこか他の巨人とは違う何かをナマエは感じた。でも、この違和感の正体が何なのか解らない。
「オイ……何を助けるって?今目の前で暴れているのはただの化物だ」
想定外の出来事ばかりが起きる。

ジャンの顔はすっかり青冷めていた。彼の故郷であるトロスト区が、現在進行形で滅茶苦茶に破壊されているのだ。奇行種は散々暴れ周り、膝から崩れ落ちて力尽きたように前のめりに倒れ込んだ。
「もう良いだろ?ずらかるぞ!あんな化物が味方な訳ねえ。巨人は巨人なんだ」
「――ジャン、やっぱり人間って巨人になれるのかな」
「意味解んねぇこと言ってんだ――」

蒸気が立ち込める中、肉が千切れる厭な音がすると奇行種の項部分から、ゆらりと人影らしきものが現れる。水蒸気が風に流されて、全員が目を疑った。

「何で、エレンが……?」
どうやら気を失っているようだ。ミカサがすぐに建物から飛び降りてエレンの元へ走って行く様子を、ナマエはただ見ていることしか出来ない。
ミカサがエレンに抱き着いたまま、子供みたいに泣きじゃくる。まるで迷子の子供が母親を見付けて、安心したような泣き方だった。ナマエは信じられない気持ちで、ミカサに抱えられた人物を眺めている。黒に近い焦茶色の髪。薄い唇。目を閉じていても解る生意気そうな顔の造り。

やはり、どこからどう見てもエレンだ。三年間、同じ釜の飯を食べて過ごした同期を見間違える筈ない。エレンは元々巨人だったのか。本人はそのことを知っていて、尚黙っていたのだろうか。
「一体……、何があったんだ」
アルミンが弱々しく言葉を発して、エレンの左手を握る。どうも幼馴染の二人は、エレンが巨人化出来ることを知らない様子だ。

解らない。人類は余りにも巨人に対して無知過ぎる。
「これをエレンが――やったってことか……?」
辺りは蒸気に包まれ、骨だけになった巨人の残骸と戦いの爪痕が残されて、廃墟同然の街だけが虚しく広がっている。乾いた風がジャンの言葉を攫う。その問いに答える者は誰もいなかった。




非常識な事態に皆立ち尽くしていると、背後から鋭い声が飛んで来る。慌てて振り返ると、そこには数人の駐屯兵達が戦闘態勢のまま立っていた。彼らは酷く狼狽しており、疑り深い視線を投げている。
「本部周辺に集まった巨人達が同士討ちしている様子を我々も目撃している。その少年が……巨人の項から出て来た瞬間もだ」
「一体どういうことだ?答えられる者はいないのか?これはヴァールマン隊長直々の命令だ。……拒否すればどうなるか、解るな?」

有無を言わさない威圧的な態度は、脅えを隠すためのように見える。不躾な視線からミカサがエレンを隠す仕草をする。駐屯兵達が送る視線が、肌に刺さって痛い。奇行種が巨人を撃退しているところを、彼らも目撃していたようだ。あの出来事をどう言えば良いのかナマエも解らず、詰問されても何も言葉が出て来ない。

そもそも、この場にいる全員が事態を呑み込めていないのだ。解っていることは、奇行種の正体がエレンだったということだけ。
「百四期訓練兵、ライナー・ブラウンです。オレ達はガスを補給するために、あの奇行種の習性を利用しました。アイツは……、巨人だけを攻撃するようでしたので、これ以上本部に巨人を侵入させないためには打って付けでした」
「……成る程。それで、何故奇行種の項から人間が姿を現したのだ!」
「――、恐れながら申し上げます。どうして彼が巨人の項から出て来たのか、我々も解り兼ねています。解っていることは、彼が我々の同期の訓練兵という事実だけです」

ライナーが臆することなく駐屯兵の詰問に淡々と答えた。自ら進んで物事に取り組んだり、危険を買って出る。彼は百四期の中で、一番頼りになる存在である。
「そんな説明で、ヴェールマン隊長が納得するとでも思っているのか?」
「しかし……!我々もこの状況が良く解っていないので……、これ以上説明しろと言われても出来兼ねます」
「エレンを一体どうするつもり……?」
解らない、とライナーが言っても駐屯兵達は納得せず更に語気を強めるだけだった。解らないものは解らないと正直に話しているのに、彼らは全く取りつく島もない。ミカサが警戒したまま低く唸った。
「納得するも何も……、私達も解らないとしか言えません。彼が目を覚ましてから、事情聴取をした方が良いのではないでしょうか?」
「訓練兵ごときが我々に楯突くつもりか?それなら、お前達全員をヴェールマン隊長の元に連行する!大人しくするんだ!」
「――ッ、エレンに触るな!!」
「なっ何するの、離してっ、」
ナマエの言葉が癇に障ったのか、無遠慮な手で肩を掴まれる。いや、彼らは最初から連行するつもりでやって来たのだろう。兵規違反など侵していないのに、あまりにも不当過ぎる。

「オレ達人間同士が争ってる暇はねぇだろ!巨人が侵攻してるんだぞ!?」
「そんなこと訓練兵に言われなくとも解っている。しかし今は、それどころじゃない!」
「あ、あの!僕とミカサがヴェールマン隊長に詳しく説明しますから……彼らを解放して下さい!拘束するのは僕らだけで十分だ!」
混乱の中、アルミンが大きく叫んだ。ナマエも抵抗する力を弱める。

アルミンと駐屯兵が暫く睨み合う。互いの主張が空気の上でぶつかり合うが、どちらも引こうとしない。
「僕達が知っていることと見たことを全てご報告いたします!僕らがヴェールマン隊長の元に行く代わりに、彼らを解放して下さい。エレンが目を覚ましてくれれば、全容が明らかになる筈だ」
「で、でもこの人達はエレンのことを……」
「だ、大丈夫だよ、ミカサ!彼らはエレン本人から話を聞くまで手出しは出来ないだろう。それに僕はエレンが敵だとは思っていないよ」
「……アルミンがそう言うのなら」
「……それではお前達をヴェールマン隊長の元に連れて行く」
どうやらアルミンの提案に駐屯兵が呑んだようだ。

両手に巻かれた縄が解かれて、じんじんと痺れて痛い。手首を見ると、ほんのりと腫れていた。
「アルミン、ミカサ……本当に良いのか?」
「緊急事態で人手が足りないのに、僕達全員が拘束される必要はないだろう?エレンが目を覚ますまでの辛抱だよ」
「……そう、だな。きっと暴れまくって疲れて眠っちまってるだけだ」
「ライナー。君が一番頼りになるから言うけど、他の皆をよろしくね」
「おい、妙なことを言うな。お前らがちゃんと戻って来れるよう待ってるからな」

数人の駐屯兵達がアルミン達を連れて行った。ミカサは未だ気を失っているエレンを、駐屯兵の男から遠ざけるように担ぐ。彼女の黒い瞳が一瞬だけ、こちらへ向けられたようか気がした。
「お前達には守秘義務を課す。ここで何があったのか誰かに聞かれても口外するな。破れば兵規違反と見做して地下牢行きだ。お前達訓練兵はこれから我々駐屯兵団と合流して、次の司令が出るまで他の訓練兵達と共に本部で待機せよ」
自ら進んで囮のような役割を買って出るあたり、アルミンは勇気がある。ナマエには出来ない行動だった。

エレンが目を覚ますまで彼らは手を出さない筈だと言っていたけれど、了解したとは言われていない。アルミンの言葉は不安がるミカサを宥めるためのものに違いない。それよりも、エレンに危害を加えようとするならミカサが黙っていないだろう。駐屯兵団が何人立ちはだかっても、首席で卒団した彼女ならきっと切り抜けられるかもしれない。用意周到なアルミンは、念には念を入れてあの行動を起こしたのだろうか。
全てはナマエの憶測に過ぎない。
これでやっと壁の向こうへ戻れる。


 -  - 

TOP


- ナノ -