夢見る子供に終止符を

ミーナと別れて本部を飛び出したナマエは、アンカーを発射させて街中を飛び回る。建物は巨人との戦いの爪痕が遺されていた。石造の建物はボロボロに崩され、蹴り飛ばされた壁の破片も道端に散らばっている。前衛の駐屯兵の気配もない。やはり、全滅した報せは本当のようだ。

トロスト区の美しい景観は破壊され、最早見る影もなくなってしまった。超大型巨人によって破壊された穴からは、絶えず侵入する巨人達の姿が跡を絶たない。大きな足音を響かせて、我が物顔で街中を闊歩している。
「酷い……」
ナマエはぽつりと呟く。
状況は考えるまでもなく、予想以上に悲惨だった。

ナマエが所属する第四十三班は、巨人の掃討を任されている。街に蔓延っている巨人を発見したら、速やかに始末することが任務内容だ。歴戦の猛者が集う調査兵ならいざ知らず、ここにいるのは壁の強化を任務にしている駐屯兵と、昨夜訓練兵を卒団した新米兵士だけ。
駐屯兵でさえ、一体の巨人を仕留めるのに苦戦している状況なのに、新米兵士に務まるのだろうか。荷が重い任務なのは誰の目から見ても明らかだった。

「先遣班が壊滅したのは本当だったんだな」
第四十三班・班長のマークが悔しげに言った。このままでは前衛が後退して、巨人が中衛部まで入り込むのも時間の問題だろう。
「……あそこ!十時の方向で巨人と戦っている!」
「どうする?オレ達も行くべきか?」
「……当たり前だろう、少しでも人数が多い方が良いに決まってる!」
サラが前方を指差した方へナマエが目を向けると、駐屯兵の前衛部隊が一体の巨人の討伐を試みているが苦戦している。

マークの指示にナマエ、サラ、フランク、クリストファーは頷いた。調査兵団が出払っている以上、この街を守ることが出来るのは駐屯兵団と訓練兵団だけだ。
「良し、行くぞ!」
マークの号令に一斉に立体起動を吹かせてアンカーを発射した。

オレンジ色の屋根の瓦を蹴り、ガスと遠心力で前へ跳躍する。風を上手く使って街中を飛びながら進んでいると、建物の隙間から巨人の姿が右端にチラリと見え隠れした。
「マーク、左に避けて!右から巨人が――、」
ナマエが先頭にいるマークへ叫んだその時、大きく無骨な手が彼を乱暴に掴んだ。一瞬の内の出来事にサラとクリストファーは呆気に取られしまい、フランクとナマエは一旦近くの屋根に転がるように着地した。

巨人の手にすっぽり掴まれてしまった彼は、自分の状態が良く解らない表情をしていたが、次第に恐怖で顔を歪め絶望的な悲鳴を上げる。巨人は泣き叫ぶマークを無感情に見つめているだけ。
「クソ、今助けるからな!」
仲間を助け出そうとフランクが飛び出すのをナマエが慌てて止めに入れば、苛立ちを露わにするフランクが食って掛かって来る。
「ナマエ、何で止めるんだ!退けよ!!」
「巨人に掴まれた状態のマークを助けたらフランクも道連れになる!マークは……もう助からない!」
「仲間を見捨てるってのか……?」
ゴリゴリと骨を噛み砕く音と共に仲間の泣き叫ぶ声が辺りに響く。

仲間の助けを求める悲痛な声に、ナマエは固く目を閉じた。
「見捨てたくない……、でも彼は、マークは助からな――」
「――っ、勝手に決め付けるな!」
立ち塞がるナマエを押し退けたフランクが巨人の分厚い皮膚にアンカーを突き付けて飛び出す。

押し退けられた衝撃で固い瓦に尻もちをついたナマエにとって、ブレードを翳して巨人に迫る同期の姿は一人の立派な兵士として映った。サラの悲痛な声が後ろから聞こえた。
「ああ……、そんな――!」
訓練でしか扱ったことのないブレードを、生身の巨人に対して上手く扱えることはなかった。フランクの斬撃は巨人の手首に少しの傷を作っただけで、彼の身体も簡単に巨人に掴まれてしまった。絶望の色を宿したフランクの瞳がナマエとぶつかる。

助けてくれと、フランクの瞳から読み取ることが出来たのだが――。
「うわあぁぁ!やめろ、やめてくれぇぇ――」
ナマエも、クリストファーも、サラも顔を青くして二人が喰われて行く様子を見ていることしか出来なかった。二人の断末魔は、巨人の歯が二人の頭をかち割るまで続いた。五年前の襲撃と何ら変わらない光景が目の前で繰り広げられる悪夢。
悪夢なら、良かったのに。

「ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさ、い」
サラが譫言みたいに震えながら繰り返す。

夥しい血が巨人の口から垂れ辺りをしとどに濡らし、鉄が錆びたような生臭い臭いが鼻腔を刺激する。
「立つんだ!ナマエ、サラ……巨人アイツが気を取られている内にここから離れよう。ここにいたら僕達も危ない……!」
同期を食すことに夢中になっている巨人へ視線を向けたまま、クリストファーからの指示を受けてナマエはよろりと立ち上がった。とにかく、一旦ここから離れることが先決だ。




暫く立体機動で街中を移動してから、三人は手頃な屋根に着地する。幸いなことに巨人に出くわすこともなかったが、遠くから砲撃の音が聞こえている。まだ撤退の鐘は鳴りそうにない。
「あの時……フランクを止めずに皆でマークを助けていたら、誰も死なずに済んだのかもしれない。あの時……私は、選択を間違ったのかもしれない……」
こちらへ助けを求めたフランクの瞳が脳内にこびり付いて離れない。

ナマエが二人を助けないと判断した理由は、技術的な面で未成熟だからだ――、こんなの言い訳に過ぎない。巨人に対する恐怖が少なからずあったのだ。外の世界に行くために調査兵になりたくて仕方がなかった癖に。
三年間の訓練が無駄だと言われているみたいで、歯痒く――悔しかった。

外の世界がとてつもなく遠く感じてしまう。
「――ナマエ、君の判断は間違ってなかったと僕は思うよ……。巨人に捕まった相手を助けるには僕達の技術じゃ足りない。それに、僕はとても怖くて身体が動けなかった!あんな厳しい訓練をして来たのに……」
「マークが、フランクが巨人に捕まって次は私なんだって思ったら、死にたくないって……もう嫌、嫌よ、こんなの!」
クリストファーとサラが自身の本音をヒステリック気味に吐露する。“人類は巨人に勝てない”という事実に怖じ気付いてしまったことの悔しさが言葉に滲み出ている。サラは涙声で呻きながら膝から崩れ落ちてしまった。後悔してもマークとフランクは還って来ない。

悪夢ではない、正真正銘の現実にナマエは歯噛みする。生温い空気も、断末魔の叫び声も。全部現実に起きている出来事なのだ。
ナマエはサラの言葉を無言で聞き、泣いている彼女へひざまづいて背中を優しく撫でる。
「サラ……、撤退の鐘はまだ鳴っていないよ」
「もうあんな思いしたくない!あんたは死ぬのが怖くないの!?」
涙で濡れた蒼い瞳がナマエに向けて、痛いくらい見つめて来る。彼女が投げつけて来る視線は、まるであんな光景を目にしても巨人と戦えるのかと問うようなものだった。

死ぬのは怖い。死にたくない。人間の原初的欲求は何らおかしいことではない。だから、ナマエは一瞬答えに詰まってしまった。
「やるしか……ないんだ。オレ達は“兵士”だから――どんなに過酷な状況でも住民の避難が終わるまで、ここで巨人に立ち向かわないといけない。まだ戦っている仲間達がいる。兵士を選んだのはオレ達自身だろ?違うのか、サラ?」
ナマエの代わりに、クリストファーはサラに兵士として自分達のやるべき事を明確に述べる。その口振りはまるで彼自身にも言い聞かせているようだった。彼の言葉は鋭い刃となり、ナマエの心に現実を突き付ける。

外の世界を夢見る子供時代は終わったのだと。
「今日を生き延びる。それだけを考えよう?」
「生き、延びる……?」
「生き延びればまた皆で笑い合える」
生きていれば、サラの大事な家族や友人とも。
ナマエがそう付け加えれば、ヨロヨロと覚束ない足取りでサラは立ち上がり、何とか任務を続行することにした。

戦況は先程よりも明らかに悪化しており、前線が後退していた。前衛部は完全崩壊、中衛部に配属された班にも影響が出始めている有様なのに、未だに撤退の鐘は鳴る気配もしない。依然避難は遅れている様子だった。
補給支援部班に出会うこともなかった。
「左前方に巨人が一体!多分八メートル級だ」
クリストファーが巨人の姿を発見した。巨人はのっそりとした動きで街を踏み荒らしている。
「ナマエとサラはヤツの脚の腱を削ぎ落とすんだ!オレが項を削ぐ!」
「了解!」
クリストファーの指示にナマエは今一度グリップを強く握り締める。

これから生まれて初めて巨人を討伐するのだ。立体起動装置の訓練では、巨人に見立てた模型で訓練していたが本物は訳が違う。
そう思うと、緊張して掌に汗が滲みグリップが滑らないようナマエは気を引き締め直して、狙いの標準を定めた。

脚の腱を削げば巨人は立つことすらままならなくなり、動きを封じることが出来る。ぐらつく巨体を支えることが出来ず、無様に項を晒すだろう。その隙に項を刈り取れば巨人は死滅する。
ナマエは立体機動のガスを吹かせるとアンカーを巨人の脚に向けて発射した。サラも同じようにアンカーを発射して、ワイヤーを巻き取りながら巨人へ向かって飛んでいたが、上からクリストファーの叫び声が聞こえた。

「――サラ!!」
同時に横から小柄な巨人が飛び掛かり、彼女の身体に齧り付いた。悲鳴を上げながら巨人の口の中へ消えて行く同期の姿を、ナマエは一瞬目の端て捉えた。ワイヤーを巻き取る動きをそのままにナマエは巨人の脚にブレードを突き立てて刈るも、動揺したせいで脚の腱から少しずれてしまう。

そのままクリストファーは項へと迫るが、物陰に隠れていたらしい別の巨人にワイヤーを掴まれて建物に激突してしまった。
「――あっ!」
その様子を目撃したナマエも手元が狂って建物にアンカーが刺さらず、石畳に身体を打ち付けられて何度か転がる。咄嗟に受け身を取ったものの、身体は傷だらけになってしまった。
「痛っ……」
擦り傷から血が滲む。痛みに我慢してヨロヨロと立ち上がったナマエは、クリストファーが激突した建物方へ目を向ければ、既に巨人が彼を齧っていた。

巨人の口から血が垂れていた。
「そんな……、待ってよ……」
情けない声が口から零れ落ちる。生き残っているのは自分だけという事実に、打ちひしがれた。地獄のような光景に暫く茫然としていると、ズシンと地面が震える振動が足元から伝わって来る。慌てて振り向くと十五メートル級の巨人がこちらに向かって走って来るところだった。捕食者のような鋭い瞳孔の巨人を確認したナマエは、急いでアンカーを発射し寸での所で躱した。もう少し遅かったら巨人の手に潰されていただろう。

グリップを握る手が震えてしまう。後ろから迫る巨人への恐怖はあの日――巨人に追われた時を彷彿させた。

マークも、フランクも、サラも、クリストファーも皆巨人の腹の中だ。巨人は建物に激突しようとも、諦めもせずに逃げる人間を掴もうとする。建物は壊れ瓦礫が転がり、破片がそこら中に飛び散った。巨人の手が行く手を遮り、上手く方向転換出来ずにナマエの身体は屋根の上に投げ出されて固い屋根瓦に叩き付けられる。

はぁ、はぁと荒い呼吸を繰り返すだけで力が入らず起き上がることも出来ない。そのまま屋根の上でごろりと横たわり、こちらへ近付いて来る巨人をナマエは無防備に見つめた。
皆死んでしまった。私が無力だったばかりに、助けることが出来たかもしれないのに。仲間を助けることが出来なかったことが悔しかった。生き延びることに精一杯で、誰かを助けようと手を差し伸べる余裕すらなくてそんな自分に嫌気が差す。

何のために訓練兵団に入団して三年間を過ごしたのか。五年前の悔しさを糧にして来たのではなかったのか。何度も何度も、頭の中で自問自答する。
自問自答する必要はなく、ナマエは答えを知っていた。“兵士”になるという覚悟が足りなかったということを。

外の世界を夢見る子供のままで、エレンのように強い覚悟を持つことが出来ないことを心のどこかで自覚していた。だから、ミーナが調査兵団に入団する覚悟を聞いて羨ましい気持ちになったのだ。

何かを得るには、何かを捨てることを身を以て学んだのではなかったか。反対を押し切って、調査兵になるために家名をも捨て去った。その覚悟だけでは、どうやら足りないらしい。他に、何を捨てれば良いだろう。彼女が外の世界に飛び出すには、後何を犠牲にすれば良いのか。

何かを捨てる覚悟が出来ないまま、外の世界は見れない。自嘲気味に嗤う気も起きなかった。
「本当最悪な気分……」
ナマエは、脚と腕に力を入れてゆっくりと立ち上がる。風がさわさわと頬に触れる。滲んだ傷が沁みてじくじくと痛む。

腰に装着している機械も、両手に握っているこの武器も何のためにあるのか。壁の外に行きたいならば、今この場であの巨人を討伐しなければならない。ここで逃げて生き残るより、戦って生き残りたい。ミーナだって、後悔したくないからと言っていたではないか。一緒に海を見に行こうと言ってくれた親友のためにも。
「私も後悔はしたくない――!」
グリップを強く握り、巨人を睨み付けた。

不思議と先程までの身体の震えは治まった。迫って来る巨人の動きがスローモーションのように見えた。効率良く討伐出来る方法は頭の中に既にイメージ出来ている。
脚の腱を削げば敵の動きも鈍くなるし、何より項が刈り取りやすくなる。逆手にグリップを握れば、刃の角度がさらに鋭利になり肉を削ぎ落としやすくなるのだ。

一気に屋根から飛び出してアンカーを近くの建物へ打ち付け、敵との間合いを詰めた。ワイヤーを巻き取る力と並行してガスを吹かせ、重力と風を上手くコントロールする。
グリップに力を入れて、思いっ切りブレードを巨人の腱へ目掛けて振り翳した。鋭いブレードの切っ先は巨人の脚の腱を捕らえ、ぬるりとした生温い液体が辺りに飛び散って爆ぜる。
巨人は上手く走ることが出来なくなり、前のめりに倒れ込みナマエの目の前に項が差し出される。勢いを殺さずに目標の項へとそのまま突き進み、項を深く抉り取った。

蒸気を発しながら巨人の身体は朽ちて行く。辺りは熱い蒸気が舞い上がる。ナマエは石畳に着地して、荒い息を吐きながら自分が初めて討伐した巨人を眺めていた。巨人の返り血で濡れた頬から蒸気が昇る。グリップを通して掌に残る生身の巨人の肉を削いだ感触。
巨人の返り血で濡れた両手は再び震えていた。ふらりと足元から力が抜け落ち、冷たい石畳に座り込んでしまった。視界がじんわりと滲み始め塩辛い雫が頬を伝って、ぱた、ぱたと黒い石畳に落ちる。

この震えは恐怖からなのか、生き残ることが出来たことに対してなのか解らなかった。
「皆助けてあげられなくて……ごめん、ごめんなさい……!」
街中で一人、ナマエは一頻り泣いた。巨人に喰われて逝った班員達への謝罪は、誰かの耳に届くこともなく湿った空気の中に消えた。空を覆う雲が厚みを増し、濃い灰色に変わるとポツポツと雨が降り始め――頬を流れる涙が雨と混ざり合う。

この世界で生き残るために戦うことを選んだのだ。暫く静かに涙を流していたナマエはジャケットの袖で目元を拭ってから、他の班員と合流するためにアンカーを噴射した。
まずは、この街を守る役目を果たすために。


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