五年ぶりの襲撃

「調査兵団にするって?コニー、お前八番だろ!?前は憲兵団に入るって……」
「憲兵団が良いに決まってるだろ、けどよ……」
「エレン、お前の昨日の演説が効いたんだよ」

エレンの驚きの声にコニーが否定した。二人の会話にトーマスも仲間に加わる。もしかして、ジャンと口論した時のことだろうか。
「イ、イヤ!オレは……アレだ、そう!ジャンだ。オレはアイツと同じ兵団に入りたくねえだけだ!」
「調査兵団に入る理由になってないぞ」
「うっ……うるせえな!自分で決めたんだよ!」
「そう照れるなよ。やるべきことは解ってるけど踏ん切りがつかないこともあるさ。それにお前だけじゃ――」
固定砲を整備しながら会話に花を咲かせる。

訓練中の私語は慎むべきだが、周囲に上官の姿が見えないのを良いことにエレン達はお喋りしながら大砲の整備をしている。

「サシャ、どうしたの?」
皆が楽しそうに話していると、すうっと割って入って来たサシャが、汗を流し笑みを浮かべている。彼女の様子を不審に思ったナマエが声を掛ける。
「上官の食糧庫からお肉盗って来ました」
「サシャ……お前独房にぶち込まれたいのか?」
「バカって怖えぇ」
ちらりと肉の塊のような何かが見えた。

瞬間、空気が凍りついた。盗みが露見したら上官達の逆鱗に触れてしまう。サシャの頭の中は既に肉のことしかないのだろう。くすねて来た肉をどう調理して食べようか――彼女の頭の中を支配しているのはそれだけだ。
「後で皆さんで分けましょう!スライスしてパンに挟んで……」
「戻して来い」
「そうだよ、土地が減ってから肉なんてすごく貴重になったんだから」
ミーナもコニーに賛成する。

王都に住まう住民以外、もう何年も肉を口にしてないのだ。壁に囲まれた限りある土地で生産される家畜の肉は、元々高値だったが五年前の強襲以降、その値は更に高騰した。だから、エレン達が肉を目にするのはとても久し振りなのだ。

身が引き締まった赤身の肉。霜降りも程良くついており、どんな調理をしても美味しく頂けそうだ。
口の中はじゅわっと涎が広がったものの、脳裏にちらつく上官達の顔。きっと訓練兵達に隠れて食べていたに違いない。食べても良いならいくらでも食べたい。食べることが大好きなサシャだけでなく、この場にいる全員が共通して思っている。

育ち盛りにとって、食べ物が少ない今の情勢はとてもきついのだ。お腹いっぱいご飯が食べられるなら、これ以上幸せなことはない。
食糧難に拍車が掛かってから、生産者になるよりも兵団に所属すれば食いっぱぐれることはない。十二歳にしては、あまりにも現実的な考えで兵団に入団した人間もいるくらいだ。それ程、食糧難は深刻な問題として壁の中に暗い影を落としている。

エレン自身も二年間の開拓地生活で、厭という程味わっている。味のないスープで食い繋いで来たが、兵団に入団してから具が入ったスープを飲むようになった。
「大丈夫ですよ」
サシャはしゃがんで用具入れの蓋を開け、そこに肉の塊を隠す。
「土地を奪還すればまた……牛も羊も増えますから」
「え?」
「なるほど……ウォールマリアを奪還する前祝いに頂こうって訳か!食ったからには腹括るしかないもんな!」
トーマスが力強く言う。

サシャの言葉は、魔法のように周りを勇気付けたのだ。
「わ、私とナマエも食べるから!取っといてよ!」
「何突っ立ってんだよエレン、作業に戻んねえとバレちまうぞ」
「お昼はまだ先だよ」
サムエルから、トンと肩を叩かれた。美味しそうな肉塊を見て生唾を飲み込んだサムエルも、ナマエもミーナもサシャの提案に乗った。
「上官が来るかもしれないからお喋りはここまでにしようぜ」
皆は笑顔で各々の作業に戻って行く。エレンの近くで、ミーナとナマエが視界に収まり切れない広大なウォールマリア領を眺めている。
「ナマエ。マリア領を奪還出来たら、人類の初勝利……だよね」
ミーナとナマエが明るく笑っている。

エレンも故郷のシガンシナへ思いを馳せた。トロスト区壁上から見下ろしたウォールマリア領内には巨人が彷徨うろついている。
五十メートルの壁上から地上にいる巨人の姿を見下ろせば、十五メートル級の巨人ですらちっぽけだ。
エレンはナマエとミーナの背中を見つめながら、拳の震えが止まらなかった。

青空を見上げる。清々しい程の晴天だ。あれから五年経った。人類は、三分の一の領土と二割の人口を失って漸く尊厳を取り戻しつつある。一度も巨人に勝利したことすらないのに、今なら勝てるような気がするのだ。
戦え。戦い続ける限り、人類は負けない。戦うことを辞めた時が本当の敗北だと思う。反撃はここからだ。少し強めの風が吹いて――。
エレンの目の前で超大型巨人がこちらを睨んでいた。

突如いきなり蒸気を含んだ爆風が壁上にいるエレン達を襲った。
「熱ッ……!」
爆風に踏み留まることも出来ず、いとも簡単に身体は吹き飛ばされる。固定砲も、用具入れも。全て爆風に曝されて吹き飛び、周りは蒸気と砂塵で視界が覆い尽くされてしまう。呼吸をするのもままならない中、エレンは叫んだ。
「皆……立体起動に移れ!」
「全員無事か!?」
「サムエルが負傷した!サシャが何とか踏ん張ってくれたけど」
ナマエが全員の状況を教えてくれた。突然の出来事に混乱しながらも、エレンは仲間達に声を掛け、自分もアンカーを壁に打ち付ける。頭に飛来物がぶつかったサムエル以外、皆無事だと報告を受けたエレンが、次に取る行動はただ一つ。グッとグリップを握り締め――、頭上の破壊神を睨み付ける。
「門が――破壊された……!」
ナマエの泣きそうな声がした。

大きな地響きのような音と振動が空気と共に伝わって来る。あの巨人に何をされたのか、エレンはすぐに理解した。
破壊された壁の破片が四方八方に飛び散る。破片がトロスト区の街を容赦なく破壊する光景を、全員釘付けになる。まただ。五年前と全く同じだ。
トーマスもミーナも息を呑み、小さな悲鳴を上げた。目の前で壁が破壊された光景を見たコニーは悔しそうに呻く。
「まただ、また巨人が入って来る!ちくしょう、やっぱり人類は巨人に……」
「サシャ、サムエルは任せた!固定砲整備第四班戦闘用意!目標、目の前!超大型巨人!これは好機チャンスだ、絶対逃がすな!」
エレンは超大型巨人を見据え、素早くブレードを柄に装着する。

沸々と身体の奥から湧き上がる怒り。母が巨人に食べられるのを、見ていることしか出来なかった。無力なあの日から五年。腰には巨人を殲滅する機械がある。
立体機動のガスを勢い良く蒸かせ、超大型巨人に取り巻く風を上手く受け流して壁の上に着地した。
「よう……五年ぶりだな」
蒸気を上げている超大型巨人は、あの日と全く変わらず醜い顔でこちらを睨み付けていた。

超大型巨人は緩慢な動作で、壁上に設置されている固定砲を薙ぎ払った。レールも破壊されて散る。その様子を見てエレンは確信した。五年前もあの巨人は分厚い壁ではなく、開閉扉を蹴り破った。
扉が壁に比べて薄いことが解っていないと出来ない行動だ。

超大型巨人は他の巨人と図体の大きさが桁違いだが、一番大きな差は知性を備えていることだ。その分厄介な敵である。敵はエレンを捉え掴み掛かろうと手を伸ばして来たが、素早くアンカーを発射して筋肉が剥き出しの腕に一旦着地し、一気に項へ向かって駆け登った。超大型巨人の動きは鈍い。
一気に背後に回って項を刈り取るため、再びアンカーを飛ばして後ろに回り込んだ。

勝てる。もう五年前の無力な自分ではない。そう思ったエレンは力の限り、ブレードの切っ先で敵の項の肉を削ごうとした時、超大型巨人は身体から熱い蒸気を発し始めた。
「熱!?」
視界は悪くなったけれど、歯を食いしばって項目掛けて刃を振り下ろしたものの、刃は虚しくも空を欠いただけで手応えは全くなかった。

目標を外したのかと焦ってしまう。超大型巨人が立っていた場所を確認するが、大きな足跡しか残されておらず超大型巨人は忽然と消えていた。
「……消えた」
「エレン、お前が倒しちまったのか!?」
壁上に登ったコニーがエレンへ駆け寄る。
違う。五年前と同じで突然現れて、消えたのだ。あんな大きな図体を見間違える筈ない。一体どんな方法で消えたのか、謎が残るだけ。
「すまん、逃した……」
「何謝ってんだ。俺達なんて全く動けなかった……」
「オイ、そんな話してる場合か!?壁が破壊されたんだぞ!」
「早く塞がないと巨人達が入って来る!とにかく……住民を避難させないと!」
ナマエが叫んだ。

破壊された門から砂塵がもやもやと昇る。もうすぐそこまで巨人達が迫って来ているかもしれない。五年前の悪夢が再び足音を大きく立ててやって来る。その事実にエレンは歯噛みした。
「何をしているんだ訓練兵!超大型巨人出現時の作戦は既に開始している!直ちにお前らの持ち場に就け!そしてヤツと接触した者がいれば本部に報告しろ!」
慌ててやって来た上官の顔には苛立ちが滲んでいる。元々は、超大型巨人出現時の訓練だったというのに実践と化した。エレン達は敬礼をした後、直ぐに本部へと向かうために街へ戻ることにした。
「先遣班の健闘を祈ります!」




立体起動で街中を素早く移動して本部へ目指す。トロスト区内は警鐘の音に包まれ、それが更に恐怖を煽り立てる。住民達はパニック状態に陥り、我先にウォールローゼに避難しようと押し寄せる。
五年前の二の舞いになることを恐れているのだ。あの出来事は、多くの人間に悪夢として頭に刻み込まれている。
エレンは遠くなる壁の穴へ目を向けた。
「所持する財産は最小限に!落ち着いて避難して下さい!」
駐屯兵による避難統制も、あまり意味を成していないようである。五年前のシガンシナ区陥落の様子がフラッシュバックする。壁の破片に押し潰され、巨人の餌食にされた多くの住民達。壁に囲まれた人類最南端の箱庭の中は、仮初めだとしても――幸せは確かにあった。それらを奪う権利も、壊す理由だって誰も持ち合わせていない筈なのに。

母の瞳は、息子を想う気持ちで溢れていた。
エレンは母親に憎まれ口ばかり叩いていたけれど、本当は自分に向けられる視線の意味を解っていた。健やかに育って欲しい。ただ、それだけ。
家族だから。どうしても照れ臭くてずっと知らない振りをしていた。
「クソッ!」
出来ることなら、一言だけでも謝りたかった。二度と口を聞くことが出来なくなるなんて、思わなかった。あんな辛い思いは、もうしたくない。


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