月光蝶

俺、潮江文次郎率いる会計委員会は、学園を運営する上で欠かせない存在、各委員会の予算管理をまかされている。
連日続く帳簿計算に俺はもう慣れたもんだが、後輩たちはそうでもない。徹夜続きの活動に1年生の2人…任暁佐吉と加藤団蔵はとうにリタイア、3年生の神崎左門も目を開けたまま寝言を言ってやがるし、上級生になったばかりの4年生、田村三木ヱ門も先程遂に相棒である火器の名前を叫びながら倒れた。
くっきりと濃い隈をこさえた後輩たちを邪魔にならんよう部屋の隅に蹴飛ばして、俺は愛用の10kg算盤を弾き続ける。

暫く帳簿計算を続け、ようやっと終わりが見えてきたその時、ふわりと花の香りがして顔を上げた。
微かに鼻腔を擽る、覚えのある香り。
算盤を弾いていた手を止め、気配を探る。すると、丁度俺の頭上、天井裏からくすくすと小さな笑い声が聞こえてきて、無意識に溜息を吐いた。

「幸せ逃げるわよ、文次郎」

俺の吐いた溜息をころころと鈴を転がすように笑いながら部屋に降り立った、藍色の装束を纏ったひとりのくのいち。

「………お久しぶりです、岩倉、紅葉先輩」

「久しぶり。相変わらず凄い隈ねェ…ちゃんと寝てるの?」

くのいちは部屋の隅で寝ている後輩たちを視界の隅に捕らえ、声を潜めてそう言った。
この女…否、このひとは、2年前にこの学園から卒業し、女だてらに戦場を駆け回る戦忍。そして、元会計委員…俺の先輩にあたるひとだ。
卒業前から優秀だった彼女の活躍は風の噂で聞いている。その腕前から多忙を極め、見目麗しい容姿も相まって多くの城から色々な意味を含めて声が掛かっているとも。
だが当の本人は全ての誘いを蹴り、フリーのくのいちとして気紛れに暗躍し、そして、月に一度くらいの頻度で、この花の香りを纏い学園…いや、正しくは、会計委員会に顔を出していた。紅葉先輩が卒業され、俺が5年に上がったばかりの頃は毎月のように顔を見せてくれることが内心嬉しかった。だが6年生になり、俺自身も就職を控えた今、彼女の行動がどんどん理解できなくなった。

「……まだどの城にも仕えず、独り身なんですか?」

彼女の質問に答えないまま、俺は嫌味をきかせて問い掛ける。
もう何度も投げた言葉。だが紅葉先輩は決まって、美しく微笑みながら頷くのだ。

「だって城仕えとか息苦しいんだもの。縁談も同じ、好みじゃないのに夫婦になれだなんて冗談じゃないわ」

猫のように目を細め、音もなく俺の隣に腰掛けて、戦忍のわりに綺麗な手で俺の頭を撫でる。その際またふわりと花の香りがして、胸が締め付けられた。
それと同時に、なんとも言えない苛々が募っていく。

「紅葉先輩…忍がそんな香りを漂わせていたら、忍べませんよ…」

無理矢理口角を上げて、俺は開きっぱなして放置してしまっていた帳簿に視線を落とす。

このひとは知らない。
猫のように気紛れで、鳥のように自由で、月のように美しい彼女に恋焦がれている哀れな男がいることを。
このひとは知らない。
たった2年という時間が、どれだけ重い鎖になっているのかということを。
このひとは知らない。
一つの城に留まってくれれば、迷うことなく追っていくのに。いっそ嫁いでくれれば、諦めがつくのに。
このひとは知らないんだ。だから、いつも綺麗な笑顔でここへ来る。無邪気な笑顔で、無意識に、俺の想いを踏み躙る。

いつの頃だか、気付かないうちに俺の中に芽生えた鬱陶しいこの感情。三禁三禁と毎日のように口にしていた俺が、まさかこんなことになるとはな、と自嘲した日が懐かしい。
だがどうしたって消し去ることができなかったこの想いに、早くとどめを刺してくれ。
そう思いながらも決して顔には出さず、俺は口角を上げたまま右手の拳に力を籠めた。

すると突然、俺の頭を撫で続けていた手が止まり、くすくすくす、と酷く満足そうな笑い声が聞こえてきた。
眉を顰めて帳簿から視線を上げると、そこには案の定、にぃと目を細めて喜ぶ紅葉先輩。
何がそんなに面白かったのだろうかといぶかしんでいると、紅葉先輩はぐいと顔を寄せ、俺の耳元で囁いた。

「残念、今は仕事中じゃないわ……それにね、好きな人に逢う時くらい、お洒落したいじゃない」

私だって女の子だもん、と首を傾げた紅葉先輩を見て、全ての思考回路が停止する。
仙蔵が見たら間違いなく爆笑するだろう。彼女の細められた瞳に、間抜け面の俺が映っている。
そんな俺を見て、紅葉先輩はますます笑みを深めた。

「やだ、気付いてなかったの?気紛れな私が飽きもせず、こんなに頻繁に文次郎に逢いに来てたのに」

気紛れだという自覚はあったのか、と全然見当違いな事を考えながら、徐々に動き出した思考。それと共に熱を帯びていく俺の頬と耳。

「でも今日は大好機ね、後輩たち寝ちゃってるし、文次郎もやっと気付いてくれたみたいだし?」

ねえ、祝言はいつにする?なんて悪戯に囁かれて、ずっと蓋をして押し留めてきた俺の想いは遂に決壊の時を迎えてしまった。
焦がれに焦がれたしなやかな体を抱き寄せて、ゆるりと弧を描く唇を塞ぐ。俺の背中に回された腕がぎゅうと深緑の装束を掴んだ感触で、よくわからない何かがとてつもなく満たされていく。

「俺が卒業したら、速攻で迎えに行きます」

息継ぎの合間にそれだけ告げると、彼女は頬を染めて嬉しそうに笑った。
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甘…甘いかこれ!?でも一度やってみたかった先輩くのいち×悶次郎(笑)が書けて大満足です!!男前な文次も好きですが、あうあうしてる文次も好きです。でも決めるとこは決めるよ!!
当サイト記念すべき初キリリクのたまご様、こ、こんなんでよろしいですか?書き直し承りますから遠慮なく仰ってくださいね!!
改めまして、十万打キリリクありがとうございました^^



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