こどもども

晴れたある日、昼下がりの校庭の隅でガンゴンゴン、と直しているんだか壊しているんだか良くわからない音が響いていた。

私、紅葉はさっきから響くその音を聞き流しながら、手近にある木の幹に手裏剣を打ち付けていた。

ガンガン、ゴッ
とすっ
ガン、ゴン、ガッ
とすっ

奇妙な合いの手を入れるように、要所要所手裏剣の刺さる音が小さく響く。

「…紅葉、何怒ってんだよ」

今まで聞こえていた乱暴な音が止まり、良く通る低い声が聞こえてきた。
私はその声に振り向きもせず、手裏剣を打ちながら低い声で「怒ってない」とだけ答えた。

「怒ってんじゃねえか」

低く唸るような彼のその声に、怒ってるのはアンタじゃないの、といいたくなるのをグッと堪えて、私は声のほうを向いた。

「別に何も怒ってないわよ」

何の感情も込めず、そう言う。
私の視線を受け止めた彼、6年は組の食満留三郎は、持っていた金槌を適当に工具箱に投げ込み、修理のために登っていた倉庫の屋根から跳び降りた。
音も立てずに着地した彼は一瞬だけ私に視線を投げて、倉庫の壁に立てかけてあった板を手に持ち、また倉庫の屋根へと跳び上がった。

そしてまた聞こえてくる激しい音を背に、私は手裏剣を打つ。


この殺伐とした空気の理由は、とっても笑える単純なもの。
私は暇を持て余していて、あまりにもいい天気なので昼寝でもしようと思い立ち、校庭をふらふらと歩いていた。すると、そこでいつものように委員会活動に精を出す、恋仲の留三郎を見つけた。
広いとはいえ同じ敷地内、でも偶然恋仲と会えて嬉しかった私は、彼に駆け寄りいつものように笑顔で「今日もお疲れ様」と声を掛けたのだ。
その声に振り向いた留三郎を見て唖然としたけど。
彼の顔には痣や擦り傷、切り傷までついており、何かあったのは一目瞭然だった。

「ど、どうしたの、それ」

驚いて彼の顔に触れようとした私の手を、留三郎は振り払った。

「…別に、あの鍛錬バカといつものやつだ」

あの“鍛錬バカ”と“いつものやつ”で、私は大体の事情は察した。
大方また文次郎と取っ組み合いの喧嘩でもしたのだろう。
今気付いたが、留三郎の周りに委員会の後輩が見当たらない。ということは、喧嘩により破損させたこの倉庫を自己修復しているのだろう。
私は振り払われた手を摩りながら、留三郎にばれないように溜息を吐いた。

後輩の面倒見が良く、なんだかんだで世話焼きの留三郎。
頼れるお兄ちゃん、なんて皆に言われている。ところがどっこい、一皮捲れば、彼はてんでお子ちゃまである。
後輩や友人にカッコつけて大人ぶっているけど、実は短気で怒りの沸点が低い。更に厄介なことに、まぁ稀だが、恋仲である私に八つ当たりをしてくるのだ。

普通ならばやんわりと受け止めればいいだけの話で、私も最初はそうしていた。
しかし、そのうち悪くも無いのに八つ当たりを受けて、機嫌を取るみたいに優しく下手に接しているうち、私の中にひとつの気持ちが生まれた。
−−何で私がこんなに献身的に機嫌取らなきゃいけないのよ−−
その気持ちが生まれてからは、お互い意地の張り合いになった。
さすがに手を上げられることはないけど、留三郎の機嫌が悪かったり物言いがきつい時は、ひたすら無視。
まるで恋仲らしくないお互いのその態度を数回繰り返すが、全く改善が見られないので、もう溜息しか出ない。
要は、私も留三郎もまだまだお子様ということ。

どすっ

一際強く手裏剣を木の幹に打ち、私は立ち上がってお尻についた砂埃を払った。
そして大きく跳躍し、留三郎のいる倉庫の屋根へと登った。
いきなりの私の行動に驚いたらしい留三郎は、手を止め私を見た。

そんな彼をじぃっと見つめ、私は今度こそ大きな溜息を吐いた。

「………悪ぃ」

この事態、実は折れるのはいつも留三郎だったりする。
居心地悪そうに逸らされた視線はうろうろと宙を彷徨い、最終的に自らの手を見つめる。

「悪いと、思ってんだ…いつも、紅葉に八つ当たりして…ちっせぇ男だって…」

いつもの頼れる雰囲気など微塵も感じさせない態度で、留三郎はぼそぼそとそう言ってぎゅっと金槌の柄を握った。
彼の目の前には、綺麗に修繕された屋根。
修理している最中、心を落ち着かせていたんだろうなあ、と思う。
私はもう一度、深く深く溜息を吐いて、肩を跳ねさせた留三郎を見る。

情けない顔をして、私の腕を掴む留三郎。
ああ、この顔を後輩や6年生の皆にも見せてあげたいよ。きっと大爆笑だ。後輩はドン引きじゃないだろうか、頼れる留三郎先輩はどこ?この人は誰?なんて聞かれそう。
そんなことを考えながら、私は留三郎の手を振り払い、自分の顔を押さえた。

むにぃっ、と、限界まで自分の頬を引っ張る。
べろべろー、と、まるでおちょくるように舌を出す。

唖然としている留三郎。

そんな彼に構わず、私は頭巾を取り、前髪の真ん中の一部分だけを引っ張り、ぴんと立たせる。
そしてくりっくりに目を見開き、口を窄めて、呆然と私を見つめる留三郎に、こう言った。



「にわとり」



ぶっは!!と、もの凄い勢いで留三郎が噴き出した。
屋根の上に蹲り、ヒィヒィ言いながら体を震わせている留三郎。
その様子を、私は顔面に掛かった彼の唾を自分の頭巾で拭いながら、満足げに見ていた。

しばらく経って、ようやく落ち着いてきたらしい、でもまだ頬を引き攣らせている留三郎。そんな彼に視線を合わせ、私は笑顔で問いかける。

「留三郎、もう大丈夫?」

私のその言葉に一瞬きょとんと目を瞬かせたが、次の瞬間、彼は後輩や友人によく見せる優しい笑顔に、愛しさを混ぜ込んだ、そんな顔でやっと笑ってくれた。
がしがしと強く、優しく、私の頭を撫でる。

「俺を、笑わせてくれたのか、紅葉」

彼の少しだけ汗臭い首にがっしりと抱きつき、私はこくんと頷いた。

「留三郎、怒ってんのヤダ、飽きた」

「ははっ、紅葉にはホント、敵わねえな」

留三郎にぎゅっと抱き締められ、そのまま、ごろりと屋根の上に寝転がる。

「俺、もっと大人になりてえ。紅葉が頼れるような、大人の男になりてえ」

「うん、せめて私に八つ当たりしなくなるくらいには大人になって。腹立つし面倒臭いから」

「…スミマセン」

留三郎の上に乗っかる形で抱き締められていた私は、反省しているらしい彼の薄い唇に、ちゅっと音を立てて口付けた。
頬を染める留三郎を見下ろし、私はにこにこと笑う。

結局、あれなのだ。
別に八つ当たりされても、腹が立つだけで、嫌いにはなれない。
長い無言の時間も、ギスギスした留三郎の態度にも、飽きてくる。
先に謝ってくるのは留三郎だけど、そんなに簡単に気分って変えられないし、だから私がいつもこうやって、彼を笑わせてあげる。
いいカッコしいの、お子ちゃま留三郎には腹が立つけど、でも結局。

「いいよ。留三郎、スキッ!!」

根本のこの気持ちは、どうしたって変わらないのだ。

「っははは、俺も、紅葉が好きだ!!」



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
しばらく抱き締めあってゴロゴロしていた私と留三郎だったけど、青空が夕焼けに変わった頃、片付けようと屋根を降りた。
そこで、大きな叫び声を上げる。

「なんっじゃこりゃ!!?」

顔を赤くした彼の視線の先には、私が手裏剣を打ちつけていた木の幹。
そこには数え切れないほど打ち込まれた手裏剣で、こう形取られていた。

−−笑って愛しい留三郎−−

「ああ、さっき留三郎が拗ねてる時に暇だったからやった」

私がケロッと言うと、彼は片手で赤い顔を覆い、拗ねてねぇ、と呟いた。
「すげえけど褒める気にならねえ」とか「誰が片付けると思ってんだよ、跡残るぞこれ絶対」とか言いながら座り込んで、手裏剣を抜いては側に置いてあった箱の中に片付けていく留三郎に、心の中で「ざまあみろ」とほくそ笑む。
女を、いや、くノ一のたまごを、いやいや、恋仲であるこの私を放っておいた貴方への可愛い悪戯ですよ。


翌日、留三郎は色んな人(主に5、6年生と先生方)にニヤニヤした生暖かい目で見られ「いやーお熱いですね」とか「若いっていいな」などと声を掛けられて、とっても居心地悪そうにしていた。


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