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ぎゅっと、忍装束の帯を締めなおし、私は地を蹴った。

「今日こそ…!!」

そう心に決めて、走り出す。

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私の名前は岩倉紅葉。忍術学園くノ一教室4年生、入学した時からくノ一教室で、体力自慢としてちょっと有名でした。
4年生になったらもっと有名になり、6年生ですら私の体力には一歩及びません。
そんな私の目標は、忍たま6年ろ組、体育委員会委員長、七松小平太先輩。
6年生の先輩に体力を褒められ、「アンタなら七松小平太のいけどんマラソンについていける」と言われ、有頂天のまま参加した噂のいけどんマラソンとやら。

結果は、足元にも及びませんでした。
見る見るうちに七松先輩の背中は山に消え、体力には自信がありますと豪語した私は、同じ学年の面倒見がいい優しい男の子に気遣われながら、ついていくのがやっとでした。
そんな情けない、井の中の蛙だった私は、その日から体育委員会のいけどんマラソンに参加し、七松先輩を追いかけ始めました。

何度か走ると、元から基礎がしっかりしていたらしい私はあっという間に今まで以上の体力を身につけ、同じ学年の滝夜叉丸くんには余裕でついていけるようになりました。
しかし、そのまま七松先輩を追おうと思うと、必ずと言っていい程、ある問題が発生します。

「紅葉!!また三之助と金吾がいないぞ!!」

「うっす!!金吾拾ってきまっす!!」

「すまん、頼んだ!!三之助ぇぇぇぇええ!!!」

同学年とはいえ新参者の私は、滝夜叉丸くんには敬語です。
そんなことは置いといて…いけどんマラソンの最中、どこかで必ず3年生の次屋三之助くんが無自覚方向音痴といういらない特殊能力で迷子になります。
あと1年生の皆本金吾くんがスタミナ切れで気付いたらはぐれてます。
2年生の時友四郎兵衛くんは頑張り屋さんであまりはぐれることは無いんですが、如何せん無口なので倒れてしまっても気付かず置いてくることがあります。

そんなこんなで毎回七松先輩を追えず、あっという間に二月ほど経ってしまいました。

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ある日、七松先輩が校外実習で不在のため珍しくマラソンが無い体育委員会に参加したところ、滝夜叉丸くんと金吾くんに言われました。

「紅葉先輩は、どうしていけどんマラソンに参加するのですか?」

「それはね、体力をつけたいからだよ。私はこれでもくノ一教室では一番体力があったんだ。けど、初めていけどんマラソンに参加した時全然ついていけなかった。それで、私は自惚れていた事に気付き、まだまだ鍛えなくてはと思ってね」

「…くノたまなのにいけどんマラソンを完走できた時点で十分凄いぞ、紅葉」

「いいえ、自分まだまだっス!!滝夜叉丸くん!!」

そう、まだまだなのだ。目指すべき七松先輩は、きっとまだまだ先。

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それから更に二月ほど経った、夏真っ盛りのある日。

「よーし、お前たち!!今日もいけいけどんどーん!!」

七松先輩の掛け声に滝夜叉丸くんが「はいはい、どんどーん」と返事をしているうちに、また七松先輩の背中はあっという間に消える。
私たちは5人固まって走る。今日は金吾くん考案の電車ごっこスタイルなので、三之助くんも迷子にならないだろう。
調子の良い私は滝夜叉丸くんに一言断り、その縄から抜け出す。

そして、ぎゅっと、忍装束の帯を締めなおし、私は地を蹴った。

「今日こそ…!!」

そう心に決めて、走り出す。

一歩一歩、呼吸を乱さないように走る。
遠く遠く彼方の向こうの、七松先輩に向かって、早く、ひたすらに。
しばらく走ると、息も出来ない状況になる。

そんな状況で、私は楽しいような、辛いような、なんともいえない気持ちになってきた。
体力自慢といわれた私、有頂天だった私、経験不足な私、努力が足りない私、マラソンを楽しんでいる私、走るのが好きになった私、そんなことを考えていると、ふと、いつからか胸に生まれていたらしい気持ちに気がついた。



七松先輩は、どんな子が好きなのかな?
お淑やかで女の子らしい子?それとも活発で明るい子?
私みたいな体力バカは、好みじゃないかなぁ?


ねえ七松先輩、私は私でいいですか?


鬱蒼と茂った森を、一転突破で駆け抜ける。
その先に滝があり、その景色の一点を見た途端、夏の夜空を彩る花火のように私の感情は爆発した。

辛い、休みたいという選択肢は、どんどん消えていく。
このまま終わる訳ない。マラソンも、この気付いたばかりの恋も。
どうでもいい訳ない、私の気持ちも、意地も、目標も。


七松先輩の、背中が見えた。


周りの景色なんて消えて、必死に足を動かす。
私が追いかけていても、七松先輩も同じようにどんどん先へと駆けて行く。
肺が裂けそうなほど苦しい。足も重い。
それでも私は、ただただ追いかけた。

七松先輩と、肩を並べた。

先輩は凄く驚いて、でも屈託ない顔で、笑った。



「なに泣いてるんだ、紅葉」



そう言われて、先輩に追いつけた事実がひたすら嬉しくて、私は上手く息ができなくなって、ついに足を止めて、そのまま倒れた。

ひっく、ひっくと嗚咽を漏らすものの、呼吸も落ち着かないので、息をするのも大変になってしまった。
そんな私に合わせて七松先輩も足を止め、倒れた私の隣にしゃがむ。
先輩は恐ろしいことに呼吸が乱れていない。

「なあ、紅葉、なにを泣いている。滝夜叉丸たちはどこだ?マラソン辛かったのか?どこか怪我したのか?泣いてちゃわからんぞ?」

息も絶え絶えな私に対して、質問攻めで更に答えを急かす七松先輩。
私は必死に、今の思いと、自分の気持ちを、言葉にする。

「はっ、はぁっ、やっ、と…七松、先、輩に、追い、つけ、ましたっ…」

「ああ、あれは驚いた!!まさか追いつかれるとは思ってなかった!!」

「ずっと、追い、かけて、ましたっ、気付、い、たら、追って、ました」

「そうだな!!ずっと参加してたもんな!!」

途切れ途切れの私の言葉に、しっかり返事を返してくれる七松先輩。
倒れたままの私の汗だくのおでこを、豪快にぐちゃぐちゃと撫でてくれる。
そんな先輩に、私は涙を流しながらも満面の笑みで、続ける。伝える。

「はいっ、やっと、捕まえ、ましたっ」

「………私をか?」

こくりと、力いっぱい頷いて、私は七松先輩の忍装束の袖を掴む。

「好き、ですっ、七松、先輩っ」

ひっく、と嗚咽が零れる。
それでも笑顔という、矛盾だらけの、私の告白。
七松先輩は珍しく顔を真っ赤にして、呆然と私を見つめていたが、しばらくして小さく呟いた。

「…そうか、私は紅葉に掴まってしまったか」

そう言って恥ずかしそうに笑う七松先輩に、私は抱き締められた。


2人同時に切ったゴールのテープ

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そのあと、随分経ってからやっと滝夜叉丸くんたちが合流した。
どうやら三之助くんが電車ごっこのままあらぬ方向へ進み、みんな仲良く崖に落ちていたということだった。
おつかれっした!!と、滝夜叉丸くんに声を掛けたらそっちはどうだったと気遣いをいただいたので、事の末端をお話したところ、七松先輩に無事追いつけたというところで絶叫され、色々あって恋仲になったといったら気絶されてしまった。

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