夢幻一夜

遠くから風に乗って祭囃子が聞こえてくる。
私は買ったばかりの浴衣のおまけとしてついてきた子冊子を見ながら、慣れない手付きで四苦八苦しながらも、何とか浴衣を纏った。
一目見て気に入った、紫地に華やかな百合模様の浴衣。
姿見に映る見慣れない自分を見て、少しだけ恥ずかしくなる。

「わ、もうこんな時間!?急がないと!!」

くるくると着付けのチェックをしていたときに目に入った時計。それは友人との約束の時間少し前を指していて、私は慌てて巾着を引っ掴み、なれない下駄を突っかけて玄関を飛び出した。
今日は町内の夏祭り。私は学校の友人と一緒に行く約束をしていた。それを親に話したところ、折角だからと父さんが喜んで浴衣を買ってくれた。
履きなれていない下駄は鼻緒が擦れて少し痛いけれど、必死に待ち合わせ場所まで急ぐ。
そこでは既に友人が待っていて、日暮れ前の暑い陽射しを鬱陶しそうに睨んでいた。あれは相当機嫌が悪そう。

「ごめんね!!お待たせ!!」

「もう!!5分の遅刻ですよ岩倉紅葉さん!!」

顔の前で手を合わせて謝ると、友人はまるで学校の先生のように腰に手を当てて眉を吊り上げた。
それがなんだかおかしくて、私たちは顔を見合わせてぷっと吹き出した。

「じゃ、いこっか」

「うん」

そう頷き合って、からころと二人分の下駄の音が蝉の声に混じって消えた。



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たくさんの屋台を抜けて、境内でお参りを済ませる。どこの屋台によるかを離していたその時、手から何かがするりと落ちる感覚がした。

「わ、巾着落とした!!」

「えぇ!?」

「ごめん、ちょっと拾ってくるから待ってて!!」

人ごみに紛れて手からすり抜けてしまった巾着を拾おうとした時、誰かの足が私の巾着を蹴飛ばす。慌てながらも何とか追いかけ、ついてしまった汚れを払いながら拾い上げて、ホッと一息。
早く友人のところへ戻ろうと顔を上げたら、目の前には小さめの池があった。

「大分遠くまで来ちゃった…」

天女池、と書かれた看板を見て、境内の奥まったところまで来てしまった現状を把握し、私は慌てて元居た場所に戻ろうとした、その瞬間。
ぶちりと大きな音を立てて、おろしたての下駄の鼻緒が切れてしまった。

「わっ、わっ!!」

新品の下駄の鼻緒が切れたことよりも、それによって崩れたバランスのほうに驚いて、悲鳴を上げながら迫る地面を見れずぎゅっと目を瞑った。
襲いくる痛みに覚悟を決めていると、突然お腹に硬いものが巻きつき、ぐいと重力に逆らう感じがして、瞑っていた目を逆に見開いた。

「大丈夫?」

背後から声が聞こえ、ぱちくりと瞬きを繰り返しながら振り返ると、そこにはサラサラの茶色い髪を揺らした綺麗な男の子が立っていた。
あまりの美少年っぷりにしばし呆然としてしまったが、助けてもらったのだということを理解した私は慌ててその少年に向かって頭を下げた。

「あ、ありがとうございます!!すみません!!」

「いや、いいけど。大丈夫?ひょっとして、迷子?」

そう言って、少年は首を傾げる。その弾みで高い位置でポニーテールにしている髪がさらりと揺れて、思わず見蕩れてしまう。でも仕方ない、美少年なんてなかなか拝めるものではないんだから!!

「いえ、ちょっと巾着を落としてしまって、追いかけてたらこんなところまで…」

「あはは、そうなんだ」

素直に何故ここにいるかを話すと、少年は気を付けないとね、なんて言って笑った。その笑顔がまたかっこよくて、まじまじと見つめてしまう。
すると、笑っていた少年がふと視線を落とし、あ、と呟く。
それに釣られて私も地面を見て、同じように、あ、と呟いた。

「そうだった…鼻緒、切れちゃったんだった…」

ぶっちりと見事に鼻緒が切れた下駄をどうしようかと眺めていると、少年が突然くすくすと笑い出し、片膝をつき、もう片膝を立てて地面にしゃがみこんだ。

「そんなに困った顔しないで。ほら、こっちの足に座って、ちょっと待ってて」

立てた片膝をとんとんと叩き、少年はにこりと笑って浴衣の合わせから手拭を取り出しそれを細く裂いた。
手拭なんて古風だなとか、上から見ると睫長いなとか、一体何をするんだろうとか、そんなことを色々と考えてしまったけど、見ず知らずの人に何てことをさせてしまったんだと私は慌てて顔の前で手を振った。

「い、いいですいいです!!大丈夫ですから!!見ず知らずの方にそんな…!!」

「田村三木ヱ門」

「はぇ?」

「田村三木ヱ門、私の名。歳は十三。今日は友人たちと祭りに来たんだけど自由な奴らすぎて現地解散になりかけてた。少し涼もうかと思って池のそばに来たら、君が転びそうになっていたので助けた。そのついでに鼻緒を直そうと思ったんだけど、これだけ知っていればもう見ず知らずじゃないよな?」

慌てた私に息継ぎなしでそういい切ると、田村三木ヱ門君と名乗った少年はさっと私の膝の裏を押して、膝カックンの要領で結構強引に座らせた。
悲鳴すら出なかったが、不安定な膝の上でバランスもとれず、私は仕方なく彼の肩に手を置いて、眉を下げながら彼の手を見ていた。
あっという間に元通り、とまでは行かないけれど、応急処置を済ませてくれた田村三木ヱ門君は、直した下駄を私の足元にちょんと置く。

「はい、できた」

「わぁ、すごい!!器用だね!!ありがとう!!」

彼の差し出した手に捕まって下駄を履くと、違和感のなさに感動までする。今時こんな器用なことが出来る男の子が居たなんてちょっとびっくり。
私は巾着を漁り、中から浴衣に合わせて買ったばかりのハンカチを取り出し、彼に差し出した。

「これ、良かったら貰って。手拭だめにしちゃったから…」

御礼にもならないけど、と照れ隠しに頬を掻いて、新品だから大丈夫と念を押し、彼の手に握らせる。

「…ありがとう」

少しだけ間をおいて、柔らかく微笑んだ田村三木ヱ門君。
その笑顔に騒ぎ出した心臓をばれないように押さえたら、彼がその笑顔のまま名前を教えてと首を傾げた。計算された上目遣いだ。
問われるままに答えようと口を開いたら、突然巾着から電子音が聞こえて、私と田村三木ヱ門君は同時に飛び上がった。
そうだ、携帯。友人のこと、すっかり忘れてた!!

「ちょ、ちょっとごめんね。…もしもし?」

『こらぁ!!アンタどこまで行ってんのよ!?』

「あ、今天女池の傍で鼻緒が切れちゃって…」

『はぁ!?天女池って………どこにも居ないじゃない!!』

「え?」

友人の怒り狂った声と、目を点にしている田村三木ヱ門君。
ひょっとしてわざわざ探しに池の傍まで来ているのかと視線を彷徨わせたら、またまた手を何かがすり抜ける感覚。

「わぁ!!また巾着落とした!!」

『何やってんのよ、もー!!』

携帯を耳に当てたまま、唖然としている田村三木ヱ門君にちょっとごめんとジェスチャーで謝り、ぼてりと落ちた巾着を拾い上げた。

「紐が緩いのかなぁ…………あれ!?」

一度の祭りで二度も落ちるなんて、と思いそう文句を言って顔を上げて、私はぎょっと目を見開いた。

つい今さっきまで目の前に立っていた田村三木ヱ門君の姿が、どこにもない。
代わりに、池の反対側ではあるが、友人の姿が見えた。

「あ!!いたー!!もう、どこ行ってたのよー!!」

通話を切って携帯を握った友人が眉を吊り上げて駆け寄ってきたが、正直それどころではない。
私はきょろきょろと周囲を見渡しながら、駆け寄ってきた友人の肩を掴んで揺さぶった。

「ね、ねぇ!!今ここに居た男の子どこに行ったか知らない!?」

「は?男の子?」

「髪が長くて、ポニーテールにしてて、茶髪で、ものすんごい美少年!!」

必死に問い掛けるも、友人は首を傾げるばかり。

「夢でも見たの?それとも、幽霊とか?」

最終的に呆れながらそう言われてしまい、私は肩を落として何だったのかと考える。そのときふと目に入った下駄を見て、決して夢や幻なんかではないと確信を得るのだが、友人は信じてくれず、かなり心配させてしまったお詫びにと屋台3件奢る羽目になってしまった。

「………また、会えるかな?」

一体どこの誰かもはっきりとわからないが、田村三木ヱ門、と言う名前さえ覚えていればきっとまたどこかで会えると、このときの私は疑いもしなかった。
後日、たまたま付けていたTVを偶然見て、ひっくり返ったんだけど。



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「あ、いたいた、三木ヱ門くーん!!」

「タカ丸さん、喜八郎、守一郎も…」

「私は無視か!!」

「どうかしたの?こんなところでぼうっとして…」

「………天女に、会った」

「へ?」

「名前は聞けなかったが、小さなからくりで何かを話して、そのまま消えた…」

三木ヱ門の話を聞いて不思議そうに首を傾げているタカ丸と守一郎。
そんな彼らをよそに、三木ヱ門は不思議な少女に握らされた百合の刺繍が入ったハンカチを大切そうに懐にしまい、水面を見た。
“賑やかな夜に天女が現れる”という言い伝えが古くからあるその池は、その後暫くしてから『天女池』と名づけられた、らしい。



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何だかよくわからない流れに…トリップしたことに気付かない天女、という新しい試み。そして後日某教育アニメで彼を見て、な、なんだってー!!?となります。全然名前呼ばれないしね!!なんかすみません!!
れん様、リクエストありがとうございました



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