暴君との約束条項

「意味がわからない」

くノ一教室6年生である岩倉紅葉は、そう言って目の前に立つ恋仲の男を睨みつけた。

「え?何で?」

しかしそんな睨みも何のその。全く気にも留めない様子で、目の前の男はきょとんとしている。

「何で?はこっちの台詞よ、七松」

どんぐりのような目をぱちぱちと瞬かせて、七松小平太は首を傾げた。

「だって私たち結婚前提で付き合っているんだろう?だったらそろそろそう言う話もしないと」

だろ?なんてにかっと笑う目の前の男に、ヒクヒクと頬が引き攣る。
話が通じない奴だとは思っていたけれど、ここまでとは。さすが暴君…そんなことを思いながら、紅葉は痙攣する頬を押さえた。

「だからって、何で突然亭主関白みたいな宣言をするのよ…」

「亭主関白じゃない。私はただ約束を」

「その約束の内容が亭主関白だって言ってんのよ!!普通の町娘とかならまだしも、くノ一を目指す私にそんなこと言ってはいわかりましたなんて言うと思ったの!?」

「なに怒ってるんだ?」

「だーもー!!!」

あまりの暴君っぷりに、紅葉は地面をだんと激しく踏み鳴らした。完全に癇癪を起こしている。

「相変わらず怒りっぽい女だなぁ」

「誰の所為だと思ってそれを言ってんの!?大体七松は卒業したらプロの忍として働くつもりなんでしょ!?なのに“私より早く寝るな”“私より遅く起きるな”とか馬鹿じゃないの!?それに“飯は美味く作れ”ってそれはあれか!?不器用な私に対しての嫌味か!!」

額に青筋を浮かべながら紅葉は怒鳴り散らす。聞けばかなり自己中心的な七松小平太の“約束”は確かに理不尽なもので、卒業したら同じくプロのくノ一として働きたいと思っている彼女には無理難題といえるものだった。
更に言えば、くノ一教室でも群を抜いて不器用と名高い彼女。その料理の腕前は悪い方向に相当なもので、一時期は山本シナ先生により調理禁止令まで出されたほど。それを知っている男にそんなことを言われては、嫌味以外に取り様がないと思う。
だがしかし、怒鳴られている当の本人はやっぱりきょとんとして彼女の言葉に首を振る。

「違うぞ、嫌味じゃない。それにまだある」

「まだあるの!?」

マイペースというか、動じないというか、とにかく安定の暴君に驚いた紅葉は深い深い溜息を吐いて、もう何を言われてもツッコむのは止めようと額を押さえた。暴君相手のツッコミなど疲弊するだけだと悟ったらしい。

「“いつも綺麗でいろ”“つまらん嫉妬はするな”」

そんな疲れ果てた紅葉には構わず、小平太は指折り数えながら語っていく。

「…くノ一として、というよりも女として“いつも綺麗でいろ”っていうのはわかるけど、“つまらん嫉妬”って何よ」

「私は浮気はせん」

「本当にィ?」

「…多分しないと思う」

「でも七松、結構そういうことスキよね?」

「……しないんじゃないかなぁ?」

「おい。最初の断言どこ行った」

「ま、少し覚悟はしておけ!!」

徐々に自信がなくなっていく小平太の言葉に、ついついツッコんでしまった紅葉。もう腹が立つどころの騒ぎではない彼女に、小平太はあっけらかんと笑ってそう言った。
しかし次の瞬間、太陽のような笑顔はなりを潜め、真剣な瞳があきれ返っている彼女を貫いた。

「“私より先に死ぬな”一瞬でもいい。絶対にだ」

唐突に真剣みを帯びた空気に、紅葉は思わず息を呑む。なんともいえない感情が渦巻く胸を無意識に押さえ、彼女は震える唇で何とか言葉を紡ぎ出した。

「そ…、そんなの…そんなのわからないわよ…だって私は、卒業したら、」

七松と同じ、プロのくノ一になるんだから。そう言おうとしたが、それはよく響く小平太の言葉によってかき消されてしまった。

「私の嫁になるんだろう?」

疑いなど微塵もない、この先ずっと共に居ることを信じきった純粋な瞳で、小平太はじっと紅葉の揺れる瞳を見つめ、そして、にかりと笑った。

「だから、お前は黙って私についてこい!!」

その一言と笑顔で、紅葉の中の怒りだとか戸惑いだとか悩みだとかは全部綺麗に吹っ飛んでしまった。
暫く唖然と、ただひたすら甘く高鳴る胸を押さえ、その後頬を染めて小さく頷く。
それを見た小平太は、よしと満足そうに頷いて、ぎゅっと紅葉を抱き締めた。

「…家も夢もあんたのために捨てるんだから、絶対幸せにしなさいよ」

「ああ、するさ。私の愛する女は、生涯お前ただ1人だからな!!」

逞しい体に包み込まれながら、紅葉は潤む瞳で小平太を睨みつけ、それでも笑顔で勝気に笑う。
それを見た小平太もまた自信満々に頷いた。








「あ、滝夜叉丸先輩!!あんなところで七松先輩と岩倉先輩が抱き合っへぐ!!」

「金吾!!見ちゃいけません!!」


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