当然だとは思うなよ

脱ぎ捨てられた着物、読んだままの本、万年敷きっぱなしの布団、その他にも用具委員会委員長である彼愛用の金槌や修繕用の板や釘やらなんらやでごちゃごちゃとした部屋。
大きな溜息を吐きながらそれらをてきぱきと片付けているのは、食堂のお手伝い兼行儀見習いとしてくノ一教室に所属する5年生の岩倉紅葉。

「やー、いつも悪いな、紅葉」

そういいながらも文机に向かいガチャガチャと何かを作っているのは、彼女の恋仲である6年生、食満留三郎。
そんな彼の姿をちらりと見て、もう慣れましたから、と小さく呟く。
既に感謝の気持ちも消え失せているであろう留三郎の言葉に、紅葉は微かな苛立ちを感じた。
無言のまま、留三郎が作業をする音だけが部屋に響く。

「(忙しいのはわかるけれど、これを当然だとは思わないで欲しい。でも、私がこうやって甘やかすからいけないのかしら?)」

手だけを無言で動かしながら、紅葉はそう思ってもう何度目かもわからなくなった溜息をばれないように吐き出す。
すると、それに全く気付かない留三郎はあれぇ?と言いながら文机の引き出しや周辺の道具箱をひっくり返し始めた。
つい先程片付けたばかりなのに突然そんなことをされ、紅葉は思わず大きな声を上げてしまう。

「何してるんですか留三郎さん!!今片付けたばかりなのに!!」

咎めるようなその声を聞いて、留三郎は驚いて、その後ムッと眉間に皺を寄せた。

「…しょーがねーだろ、お前が片付けるとどこに何があんのかわかんねぇんだから。あーぁ、もういっそお前この部屋に住んだらどうだ?そっちのほうが俺も助かるし、もういっそ所帯持っちまうか」

じと、と、その鋭い目つきで彼は紅葉を睨んで、そのあとけらけらと笑う。その目つきと言葉に、冗談だとわかっていても彼女の頭にかっと血が上る。
その怒りのまま、たまたま近くに落ちていた本を手に取り、全力で留三郎の頭に叩きつけた。

「いってぇな!!いきなりなにすんだよ!!」

ばしんと小気味いい音を立てて叩かれた頭を押さえ、留三郎は彼女を振り返り怒鳴りつけた。しかし、その勢いは見る間にしおしおと枯れてしまう。
何故なら、そこにはまるで般若のような紅葉が立っていたから。

「留三郎さん」

「は……はい…」

「私、くノたまでも行儀見習いで、食堂のお手伝いもしていますけれどね」

ごごごご、と真っ黒いオーラを背負って、それでも普段と同じ可愛らしい笑顔を浮かべる紅葉に、留三郎は背中を妙な汗が伝ったのを感じた。

「貴方の下女ではないんですよ」

温度を感じさせない声でそう言うと、彼女は打って変わってどすどすと足音荒く留三郎の前を通り過ぎ、扉をぶっ壊す勢いで部屋を出て行った。

微妙な笑顔のまま顔面蒼白で彼女の出て行った扉を留三郎が見つめていると、入れ替わりに薬草を取りに言っていた伊作が戻ってきた。

「留さん、何かあったの?紅葉ちゃん、何か怒ってたみたいだけど…」

首を傾げてそう言う伊作に、留三郎は大きな溜息の後がしがしと頭を掻いて、今あったことを全て話した。
暫く黙って話を聞いていた伊作だったが、その顔は見る見るうちに歪む。
そして、大きな溜息を吐いたかと思えば、眉を下げて留三郎を見た。

「留三郎、それは全面的に君が悪い」

「なんでだよ!!」

「何でって…それ、本気で言ってるの?」

ぎゅっと眉を吊り上げて睨んできた伊作に、留三郎はうっと言葉に詰まった。

「紅葉ちゃんは好意で部屋の片付けやら色々としてくれてるんでしょ?なのに、君はそれに甘えて、感謝の気持ちすら忘れてさ。そもそも所帯を持とうだなんて簡単に言うけど、彼女だって目標があって学園に通っているんだよ?それを考えた上での発言だったの?」

そう言われて、留三郎ははっとした。
ぎゅっと拳を握って自分の発言を悔やんでいる留三郎を見て、伊作はいつもの優しげな笑顔でぽんと彼の背中をひとつ叩いた。

「ほら、早く謝って仲直りしておいで」

こくりと頷き、慌しく部屋を飛び出していった親友の背中を見送って、伊作はやれやれと苦笑いを零した。


その後何とか紅葉を宥めすかして謝り倒した留三郎は、自分の身の回りのことは自分でするようになり、少し大人になりましたねと彼女に笑われた。

「…でも俺、所帯を持とうなんて言ったの初めてだったんだぞ」

ぶすくれたようにそう呟いた留三郎に、紅葉は柔らかい笑みを浮かべる。

「知ってます。でも、あんな状況じゃあ落第点ですよ」

「……ま、そりゃそうだよな」

愛らしい笑顔で“落第点”と見事な駄目出しを貰った留三郎は、はは、と乾いた笑いを零しながらも、内心どうすれば及第点をもらえるのかを必死に考えていた。


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