愛してるなんて言わなければよかった

6年長屋の一室に、ごりごり、ごりごりという音が響く。
同時に鼻を突く臭いが漂い、私は思わず顔を顰めた。

「伊作、臭い」

「紅葉、それ面白いと思って言ったの?」

「は?…ぁあ、いさくくさい、いさくさい!!ヒュー!!」

「ヒューじゃないよ、もう…」

自分で誤爆したくせに、伊作はじとりと私を睨みつけてあてつけがましく溜息を吐いた。
そんなつれない恋仲の背中に、私は手元に転がっていた薬筒をひとつ投げつける。

「何よその態度。折角食満が夜通しモグラとタコ退治でいないって聞いて夜這いしに来たのに」

「よっ、夜這いとか言っちゃダメ!!紅葉はおっおっ女の子でしょ!!」

投げつけた薬筒を振り向きもせず掴んだと思ったら、私の発言でお手玉みたいに筒を弄んで、その後落として、伊作は怒鳴りながら頭から薬草を被った。

「はぁ?別にいいじゃない。露骨にセ「コラ!!」とかま「ダメぇ!!」とか言ってないし」

「今僕が被せなきゃ言ってたじゃないか!!もう!!少しは恥じらいとか持ったらどうなの!?いつもいつもいつも小平太と下品な話で盛り上がってさぁ!!」

「えー、恥じらいって何処行ったら売ってんの?」

「非売品です!!」

「じゃあもう手遅れだわ、かーちゃんの腹ん中の不良在庫と化した」

そんなやりとりに飽きが来て、私は整えたばかりの自分の爪を見つめる。
伊作は暫く頭を抱えていたが、そのうち大きな溜息と共にやっとこさ乳鉢や薬草を片付け始めた。まだブチブチなんか言ってたけど。

「溜息吐くと幸せ逃げるらしいよ」

「逃がす幸せもないよ」

「確かに」

「冗談だよ!!」



あらかた部屋を片付けた伊作は、やっと確保したスペースに布団を敷き、私を呼んだ。
暇潰しに食満の文机の引き出しを漁って、発見した春画を丁度きっちり並べ終えた私は、四つん這いで彼に向かう。

「…紅葉、君ほんと恥じらいないの?」

「…伊作、君はアレかね、私に恥らって欲しいのかね?」

さっきから恥じらい恥じらいと喧しいこの恋仲の男に、逆に問うてみた。
すると、急に布団の上で正座して頬を染めて、なんか語り出した。

「そっ、そりゃ、僕だって男だもん。女の子が可愛く恥じらう姿っていいと思うよ!!紅葉は見目可愛いけど、中身はまるでオッサンじゃないか…」

「ほうほう、伊作くんはそれで勃つもんも勃たないと」

「そういうところがオッサンだって言ってるんだよ!!」

「え、でもそれ承知で恋仲になったんだよね?」

「そっ…それは…そう、だけど…」

さっきまでの勢いはどこへやら。私の一言に急にへこたれた伊作は俯いて、たまにはいいじゃないか、と呟いた。
私はぽん、とひとつ膝を叩いて、ぴっと人差し指を立ててこう提案した。

「よし伊作、じゃあ交換条件」

その言葉に伊作はぽかんと首を傾げる。

「交換、条件?」

「そう。私だけいつもと違うことするなんて癪だから、伊作も一緒にいつもと違うことしよう!!」

「癪って…まぁ、そういうことなら」

「よし、交渉成立!!じゃ愛してるって言って!!」

布団の上で顔をつき合わせていた伊作の腕を掴んで嬉々としてそう言うと、伊作は顔を真っ赤に染めて慌てふためき出した。

「はっ、はぁぁぁ!!?」

「だって伊作いつも好きとは言ってくれるけど、愛してるって一回も言ってくれないんだもん。ほら、恥じらう私が見たいんでしょ?」

さっさと言っちまえ、そう暗に告げて顔をぐっと近づける。

「ちょ、そんな、心の準備が…」

「男がそんなことでどうすんだ!!覚悟決めろ!!」

「紅葉すごく男らしい!!」

さあさあさあ、と迫ると、やっと覚悟を決めたらしい伊作がごくりと喉を鳴らした。
私の瞳をじっと見て、再度確認するように問いかける。

「ほ、本当に、言ったら紅葉も恥じらってくれるんだね?」

「任せろ!!」

「その返事と態度が既に恥じらいの欠片もないけど…信じるよ…」

そう言うと、伊作は徐に私の腕を掴んで布団に押し倒した。
私が痛くないように、でもいつもと違い強引に、腕を掴まれる。
そして普段より少し低い、欲を滲ませた掠れた声で、彼は私の耳元で囁いた。

「…愛してる、よ…紅葉」

その一言に、私は瞳を閉じる。
いつも温厚で、優しくて…そんな彼の意外な一面に、私の心臓は急にドキドキとうるさく高鳴る。
まあ演技でも…と思っていたが、体は正直なようで、かぁっと顔に血液が集まる。
彼の瞳を真っ直ぐ見れなくなって、私は顔を逸らす。
だが、どうしても視線だけは逸らせなかった。
潤んだ瞳で見つめた先にいる伊作は、驚いた顔で私を見つめていた。

どれくらいの時間が経っただろうか、しばらく茫然と私を見つめていた伊作は急に片手で顔を覆った。

「かっ…か、可愛い…!!」

指の隙間から目を覗かせ、頬を染めてそう呟く。
その態度に急に面白くなくなって、私は伊作の腹を膝で蹴り上げた。

「ごぶぅぅ!!」

「ヤらないんならどいて」

腹部を押さえてもんどりうつ伊作を上からどかして、私は少し乱れた髪を整える。

「な、にを…」

「小平太までがっつけとは言わないけど、もう少し漢になったら?」

そう吐き捨てて、伊作の部屋を出て行く。
据え膳状態であんな乙女な呟きをされたら、折角のヤる気も失せる。
伊作があんな乙女じゃ、私はいつまで経っても素直になれやしない。

「好きでオッサンやってんじゃ、ないってーの…」

憎憎しげにそう呟いて、私はくのいち長屋に向かって跳んだ。




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「はぁ…小平太と綾部のやろー…俺の貴重な睡眠時間を…って伊作まだ起きてたのか?何かあったってあぁぁぁぁ!!!俺の隠しておいた春画がきっちり並べられているぅぅ!!勝手に掃除しないでよ母ちゃん!!」

「留三郎うるさい…母ちゃんでもなければ僕でもないよ…」

「どうし…はっ!!岩倉紅葉か!!あの女が来てたのか!!!」

「…うん、まぁね…」

「…で、どうしてお前はそんな凹んでんだ?」

「…気にしないで…」

明け方自室へ戻った留三郎がギャーギャーと騒ぐ中、布団に潜り込んだ伊作は体の熱をどうにも持て余し、眠れない夜を過ごしていた。

(思い出して、眠れない…!!!)


愛してるなんて言わなければよかった

お題:確かに恋だった

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