木蓮の風

そろそろ寒さも和らいでこようかという季節の変わり目、珍しく暇を持て余していた仙蔵が自室で読書をしていると、カコ、と天井からかすかな音がした。
そちらに視線すら向けずに手元にあった手入れしたての手裏剣を打ち付ければ、それは天井板に刺さる寸前に白い指によって受けとめられ、仙蔵の文机に突き刺さった。

「見事な車がえしの術だな、紅葉」

「お褒めの言葉をありがとう、気配がぼくだと気付いていたくせに手裏剣を打ってきた意地の悪い仙蔵くん」

嫌味に毒舌で返し、すたりと天井から降りてきた人物の名は岩倉紅葉。この忍術学園で唯一の、くのいち教室6年生の少女である。
そこそこ可愛らしい容姿に、どことなく人懐っこそうな顔立ちをしているのに、彼女の瞳と性格はどこまでも冷めている。よく言えばクールな性格なのだが、彼女を知る人物は声を揃えて言う。
あれはクールどころではない、液体窒素だと。
しかしそんな彼女にも、ウマが合う人物はいるわけで。
それが友人が部屋を訪れたにもかかわらず本から視線を外さない立花仙蔵くんである。
この2人が一緒にいると周囲の気温が一気に3度ほど下がり(勿論気のせいだけれど)氷河期の到来だなんだと騒がれるのだが、当の本人たちは一切気にしない。それこそがこの2人の『気兼ねない』間柄だからだ。

甲高い鵯の鳴き声が遠く響く部屋に、しばしの沈黙の後仙蔵の声が転がる。当然視線は本に向けられたまま。

「何か用か?」

友人に対してかけるには、あまりにもそっけなく冷たい言葉。しかし言葉の奥底には、確かに温度がある。
それを6年間共に学び、共に生活してきた紅葉含む他の6年生たちは知っているので、怒ったり萎縮したりは決してしない。

「……饅頭を……持って……きた。一息つかないか?」

そして同じく、紅葉の言葉にも、友人たちは眉を顰めたりはしない。彼らはちゃんと知っているのだ。クールだなんだと言われる彼女が本当は人付き合いが苦手で口下手で恥ずかしがり屋であがり症で、打ち解けた人間相手でもそっけない態度しかとることができないということを。
紅葉の言葉を聞いて、仙蔵はやっと本から彼女の顔へと視線を動かし、クククと笑った。

「紅葉、今何かを伏せただろう」

「………。」

「隠しても無駄だぞ。私は面白そうな話は聞き逃さんからな」

「………本当に、意地が悪いな仙蔵は」

「それはお互い様ではないのか?」

新しい季節を運ぶ風の匂いがそっと吹き込む部屋で、穏やかではない会話。しかしどこか楽しそうに聞こえるのは、彼らが『友情』という絆で結ばれているからだろう。
小さく笑いながら勝気な瞳で紅葉を見つめている仙蔵の涼やかな瞳に映っていた彼女の顔が、ふいに緩んだ。

「…さすが。正門から少し離れたところで恐らく小平太が掘ったであろう塹壕に伊作が饅頭を持ったまま落っこちていたから、それを持って伊作は見捨ててきたんだ。一息つかないか?」

桃色の唇が柔らかく紡いだとんでもない大事件に、仙蔵はきょとんと一瞬だけ目を見開くと、次の瞬間読んでいた本を放り出し、腹を抱えて笑い出した。

「はっはっはっは!!それはいいな、よし休憩するか」

笑いながらぱしりと膝を叩き、でかしたぞと笑う仙蔵に、紅葉の目尻もつられて下がる。

「しかし仙蔵、いやに饅頭の数が多い。その本の礼に長次にも声を掛けてあげよう」

「そうだな、小平太も匂いを嗅ぎつけ飛んできそうだから襲われる前に誘ってやるとしよう」

「とすると、寂しがり屋の文次郎が『仲間外れにするなんてひどいよー、僕も仲間に入れてよー』なんて泣き出しそうだな?」

「はっはっはっは!!紅葉はよくわかっているな。仕方ない、鍛錬馬鹿にも声を掛けてやるか」

「仙蔵は優しいな。ではぼくも見習って、茶を入れてくるついでに伊作が塹壕に落っこちていたことを留三郎に教えてあげよう」

「おいおい紅葉、それではこれからお茶会が始まることが留三郎と伊作にもばれてしまうぞ?」

「そうか、しまったなぁ。しかしまあ、致し方ないよなぁ?」

「ははは。そうだな、致し方ないな」

致し方ない、致し方ないと笑いあいながら、クールと言われる2人は揃って部屋の扉を大きく開ける。
入れ替わりに飛び込んできた温かい風は、これから始まる楽しいお茶会を待ちわびる2人の心情を現すような心地よさだった。


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