業報

冬が近づき、どんよりと重たくなった空を眺めながら、くのいち教室4年生の時友三葉は上機嫌で町への道を歩いていた。

「三葉ちゃん、ちゃんと前を見ないと危ないよ」

その小さな背中に優しい声を掛けるのは、6年は組の善法寺伊作。転んで怪我したら大変だと微笑む彼に返事をするが、三葉の視線は空から外れない。
きっとそろそろ空から落ちてくる少女の髪にも似た白を待望しているんだろうなぁ、と緩む頬を抑えきれない伊作は、仕方ないなぁ、と呟き、冷えた小さな手を自身の掌でそっと包み込んだ。

「三葉ちゃん、手、冷たいね」

「伊作先輩のおてては、とってもあったかいですねぇ」

目の前の少女に慕情を募らせる彼はしかし脳裏に浮かんできた可愛い紫色の不機嫌そうな顔に眉を下げ、そうかな、と言葉を濁して少女の手を引いた。
今日、伊作と三葉は学園から近い町へ薬草を仕入れに向かっている。同じ保健委員会である後輩、3年生の三反田数馬と出掛ける予定だったのだけれど、なんの不運かはたまた幸運か、前日に足を挫いてしまった数馬は同室の友人である作法委員会の3年生浦風藤内にお使いの代打を頼んだ。けれど藤内はその少し前に作法委員会委員長の立花仙蔵に明日の授業の予習を手伝ってもらう約束を取り付けており、理由を話して予習の手伝いをお断りに行った先の作法室でたまたま居合わせた三葉が代わりを申し出て、本日のデートと相成った。
勿論、伊作が約束の時間にやってきた三葉に誰よりも驚いたことはいうまでもない。
しかし転がり込んだ超幸運を逃す手はないと、邪魔が入らないうちにさっさと学園を出た伊作と三葉。普段は不運大魔王とまで言われる伊作も、彼女と一緒にいるときは不運に見舞われないので浮足立つのも無理はない。
ちょっとくらいは抜け駆けしたっていいよね、と誰にでもなくそっと呟いた彼は自身の手で容易く包み込める小さな手を温めながら、色付く木々の間を穏やかな気持ちで歩いていた。

だがその時、2人の耳に何か重たいものが地面に転がる音が飛び込んだ。
不思議に思い顔を見合わせた伊作と三葉は、きょろきょろと周囲を見回して音源を探す。その間も、どすん、どすんと重く響く音は聞こえ続けている。

「…なんだろ、この音…岩が落ちるみたいな…」

「最近雨降ってないですし…土砂崩れ、じゃないですよねぇ?」

手を繋いだまま顔を見合わせしきりに首を捻る2人は、山道をもう少し先まで歩き、徐々に近くなる音源に誘われるように道を外れ、飛び上がるほど驚いた。

「なっ、なにしてるんですかぁ!!」

伊作より一瞬早く声を上げた三葉は、普段の穏やかな表情を怒りに染め上げて駆けだした。しかし咄嗟に繋がれた手をぐっと引かれ、伊作の背後に押しやられる。
ぷんぷんと怒る少女を背中に隠した伊作は、切れ長の瞳から優しさを消し去って、先程から聞こえていた音を発生させていたらしき人物を見据え、無感情な声で何をしているんですか、と問いかけた。
そこにいたのは、3人の男。歳は伊作と同じくらいか、もう少し上くらいの彼らは、あろうことか山道から少し外れた場所にある墓地で、笑いながらお地蔵様を蹴り倒していたのだ。
いかにもお育ちが悪そうな彼らは声を掛けた伊作にへらへら笑いながら罵詈雑言を吐き捨て、お構いなしにお地蔵様を放り投げ、卒塔婆をへし折り、墓石を蹴り倒す。
あまりにも罰当たりなその行為に、彼の背後にいた三葉が涙を浮かべて叫んだ。

「やめてやめて、なんてことするんですかぁっ」

その悲痛な声に、伊作の怒りがどんどんと膨らんでいく。人ならざるモノと関係が深い少女は、理不尽な暴力に嘆き悲しむ“なにか”が視えているのだろうか。
大きな瞳を潤ませて必死に男たちの悪ふざけを止めようと喚く少女にまで飛んできた罵声に、普段温厚な色を湛える伊作の瞳が、深く淀んだ。
男たちに聞こえるくらい大きな溜息を吐いた伊作は、何かを察知した少女が口を開く前に小さな体を抱え込み音を奪う。

「言って聞いてくれる人間だったら、僕もこんなことしなかったんですけど」

そう吐き捨てて、彼が懐から取り出したのは何の変哲もない扇子。しかし、彼は保健委員会委員長。薬の扱いを得意とし、またその効能も熟知している。
だからこそ彼を知る人々は、彼が扇子を取り出したのを見るや蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのだが、あいにく男らは知らない。
パチリ、と軽い音を立てて開かれた扇子がふわりと宙を舞い踊り、男たちは揃ってひくりと鼻を鳴らした。芳しい花の香りのような匂いが一瞬だけ鼻孔を擽り、なんだこの匂いはと呟いて鼻を擦ったのを見届けた伊作は、その香りを吸い込まないように気を付けながら冷徹に言い放つ。

「即効性に特化した痺れ薬さ。効き目こそ短いけど、熊でも半刻は動けなくなるよ」

依存性も副作用もないからこれを天罰のかわりだと思って安心して反省してね、と仄暗い笑みで言い放った伊作に怒り狂う男たち。しかし即効性に嘘偽りはないようで、すでに呂律が回っていない。ますます締まりの悪くなった口からだらしなく涎をたらし、情けなく這いつくばり蠢く男たちを見下ろした伊作が踵を返したその瞬間、今まで静かだった木々が突然ざわめき出し、冷えた空気が淀みを巻き込みぐるりと渦を巻く。
一斉に飛び去ったカラスの喚き声に驚いた伊作が何だと周囲を伺えば、抱えていた少女が男たちを見据えてガタガタと震えていた。

「三葉ちゃん?」

「ひっ、ひっ…い、伊作先輩…」

白い喉から零れ落ちた、引き攣った名前。寒さもあるが、それとはまた別の理由で真っ白になった指が示す方に視線を向けた伊作は、一気に背筋を駆け抜けた悪寒に目を見開いた。
彼の視界にまず飛び込んだのは、めちゃくちゃに荒らされた墓地の真ん中、枯葉が積もった地面に無残に倒されたお地蔵様。胴体から離されてしまい寂しく転がる頭…その眼の部分から、どろりと垂れる赤。
驚いて短い悲鳴を漏らせば、あちこちに転がるお地蔵様の砕かれた場所からどんどんと赤が迸った。
青褪めた2人に尋常ではない雰囲気を感じ取った男たちも、何とか必死に身体を蠢かせて周囲を伺い、同じように青褪める。
木枯らしに混じって高くて低い音が鼓膜を揺らす。その音は、ひっきりなしに許さないと呪詛のように繰り返していた。
突然のことに恐れ戦き、三葉を抱きしめてその場にへとりと腰を落としてしまった伊作のすぐ近く。へし折れた卒塔婆が散乱する墓石のあった場所から、歪んだ青白い手がぬっと飛び出す。
指だけで地面を掻いて進むそれは迷うことなく墓を荒らした男の一人の手首を掴むといとも容易く男の体を地面に引きずり込んだ。悲鳴すら上げる間もなく地面に消えた男の隣で、動くことが出来ない男たちが助けを求めて呻く。
火事場の馬鹿力か、そのうちの1人が何とかこの場から逃れようと山道目指して這いずった。が、その背中に、地面に転がっていたはずのお地蔵様が一体、また一体と纏わりついていく。石像にのしかかられ骨を砕かれた男を見て、一番得意げに墓を荒らしていた男が掠れた声で必死に許しを乞うていた。
ごめんなさい、許してくださいと謝り続ける男。その光景を愕然と眺めるしかできない伊作は、男の足に纏わりついたモノを見て大急ぎで抱えていた三葉の目と耳を塞ぐ。
震える少女を守ることで精いっぱいだった彼の耳を劈いた凄惨な悲鳴と、視界を占める血飛沫。
ぐっと噎せ返って目を瞑った伊作が恐る恐る瞼を持ち上げると、そこからは、赤も男たちも消えていた。



とてもじゃないが買い物などできる状態ではなくなってしまった三葉を背負い、学園に帰る。
その途中の静かな山道で、伊作は虚ろな瞳で、あれこそ天罰だったのかな、と呟いた。しかしその言葉に、三葉はブンブンと首を振るとポロポロ泣きながら、彼の柔らかくうねる髪に顔を埋めて、ちがいます、としゃくりあげた。

「か、神様も、仏様も、あんなことしません…ひどいことされたって、ちゃんと謝れば許してくれます…あれは、あれは…っ」

嗚咽交じりの三葉の言葉のその先は、木枯らしに浚われ掻き消えた。

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