いいふうふのひ。

活気あふれる人々の声が飛び交う店内で、私は湯飲みになみなみと注がれた緑茶を啜る。
今日は休日。私、時友三葉は、年上の同級生である斉藤タカ丸さんと彼のご実家がある町に来ています。
というのも実は昨日の夜、遊びに誘った同級生全員が予定ありでしょぼくれていた私を見かねたタカ丸さんが、ご実家での用事が済んでからでもいいなら近所のお店を一緒に回ろうかと気を使って誘ってくれたんです。
ちょっと待たせちゃうけど、といつものように柔らかく笑った彼に大きく頷いた私は、今こうしてタカ丸さんのご用事が終わるのをお茶を飲んで待ってます。
タカ丸さんはなるべく急ぐからね、と言っていましたが、私待つのは嫌いじゃないので全然平気。
お店の中に優しく差し込む秋の日差しに、温かいお茶と鼻孔を擽る甘味の香り。タカ丸さんのご実家近くのこのお茶屋さんの店主ご夫婦は、昔からタカ丸さん親子と仲良しらしく、ひとりで待っている私に手が空いた時に声を掛けてくれます。
それを見た常連のお客さんも声を掛けてくれて、退屈なんてことは全然ありません。
それに、にぎわう町を行き交う人々を見ているのも、とても楽しい。
もう一度ゆっくりお茶を啜りながらふと顔を上げたその時、私の視界に一組の若いご夫婦が飛び込んできた。
その光景を見て、私はついつい笑ってしまう。

「新婚さん?ふふっ、けんかかなぁ?」

私の視界に飛び込んだ若いご夫婦は、本人たちは至って真剣でも周りから見たら仲睦まじいと捉えられてしまいそうなくらい微笑ましくて。
悲しそうに俯いて数歩先を歩くきれいな若奥様と、まるで機嫌を伺うかのように彼女の周りにチョロチョロと纏わりつくすてきな旦那様。
おどけたように変な顔をして見せたり、腰をぐっと折り曲げて謝り倒す旦那様はすっかりへそを曲げているのか徹底的に無視を貫く若奥様に苦笑いが零れている。
新婚さんならではの光景に、私はくすくすと笑いが止まらない。
旦那様が話しかければ、若奥様は旦那様とは反対側のお店の前に陳列されているお品物を見たり、旦那様が若奥様の腰に手を回そうとすれば、若奥様はすんでのところでそれを避けてしまったり。

「ふふふっ、あの旦那さんは、一体どんなことをして奥さんをあんなに怒らせちゃったのかなぁ?」

小さな声でそう呟いた私は、でも、と湯飲みでそっと口元を隠して微笑む。
きっとあのご夫婦は、おうちに帰ったらすぐ仲直りするんだろうな。旦那様が素直にごめんねって謝って、そしたらあんなに怒ってる若奥様も、唇を尖らせながら目が笑ってるんだ。しかたない人ねって、わざと怒った風に呟いて。
何度かお話に聞いた山田先生のところみたいに、たくさんの喧嘩とたくさんの仲直りを積み重ねていくんだろうなぁ。
関係は少し違うけど、前に一度、三木くんと盛大に喧嘩した時のことを思い出す。あの時は収拾がつかなくなって、結局6年生の立花仙蔵先輩と潮江文次郎先輩に仲裁してもらったんだっけ…その時に潮江先輩が三木くんに、仙蔵先輩が私に一発ずつ拳骨を落としながら言った言葉。

『怒鳴ってばかりでは話し合いにならんだろうがバカタレィ!!威圧をするな!!相手が話せるようになるまでじっくりと待て!!冷静になってしっかり相手の考えを聞け!!自分の意見ばかりを押し付けるな!!』

『三葉、泣いてばかりでは何もわからん。意見の相違で衝突したのならば、その相違を明確に伝えてしっかりと話し合え。泣いたり黙りこくったりするのは確かに女の特権かもしれんが、それでは何も解決せんぞ』

ひりひりと痛む頭を押さえて三木くんと一緒に聞いた先輩のお説教。それはとても的を得ていて、怒るとすぐに怒鳴り散らしていた三木くんは一呼吸挟んで静かにお話しするようになったし、私は泣くのを堪えてちゃんと自分の意見を相手に伝えられるようになった。
それの積み重ねで、喧嘩自体も前よりずっとずっと少なくなったなぁ。
きっとあのご夫婦も、これからどんどん喧嘩の回数が減っていくんだ。喧嘩自体がなくなることはないだろうけど、これからずっと一緒にいるんだもん。そのうち『ああ、そんなくだらない理由で喧嘩したこともあったなぁ』って、2人で寄り添って笑うんだろうなぁ。
だって、今日は11月22日。
こんな天気がいい『いいふうふのひ』に、仲直りできないわけがないもんね。
そんなことを考えながらパタパタ足を動かして笑っていたら、人ごみの中からひときわ目立つ金色の髪を揺らしたタカ丸さんが走ってきた。

「ごめんね三葉ちゃん、おまたせぇ」

「タカ丸さん、お疲れさまでしたぁ」

「随分ご機嫌だね?何かいいことでもあった?」

僕もちょっと休憩、と私の隣に腰かけたタカ丸さんに、今しがた見ていた光景をお話しする。ちょうど若夫婦は曲がり角を曲がる直前だったから、ほらほら、あのご夫婦だよと彼にだけ聞こえるような声でそっと指をさした。
陽だまりのような笑顔で相槌を打ってくれていたタカ丸さんは、私の指し示した人物を見ると、ふにゃりと笑って頭を撫でてくれた。

「退屈はしなかったみたいだけど、本当に随分待たせちゃったね。お詫びにお団子でもおごるよ」

「はわっ、ありがとうございます!!」

「ふふ。注文してくるから、ちょっと待っててね」

予期せぬ嬉しい申し出に、私の頭はすっかりお団子一色。運ばれてくるお団子に想いを馳せながら、秋の休日を存分に堪能したのです。










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たんぽぽの綿毛のような髪を揺らしながら、秋の日差しに照らされる少女をこっそり一瞥したタカ丸は、小さい頃から良くしてもらっている茶屋の店主を見つけてそっと声を掛けた。

「おじさん、三葉ちゃんがお世話になりました」

「おっ、タカちゃんおかえり!!用事は済んだのかい?」

「ええ…あの、それより…」

気付いた店主に駆け寄ってきた女将さんに手早く団子の注文をしたタカ丸は、ますます声を潜めて言いにくそうに口篭りながら、先程聞いたばかりの三葉の話の中で引っかかったことを店主に問う。

「なんか、さっき店のそばを饅頭屋のあん姉ちゃんが泣きそうな顔で歩いていったんだけど…」

何かあったんですか?と続けようとしたタカ丸だが、ふと茶屋の店主の表情が陰り、その先は声にならなかった。

「…お父さんから聞いてないかい?あんちゃんね、タカちゃんが家を出るちょっと前に嫁いだだろ?かわいそうに、まだ嫁に行って一年も経ってねぇってのに、旦那がよ…」

ゆっくり目を伏せた店主は、小さな声で続けた。不幸な事故だったと。
そこまで聞いて、タカ丸はそっと溜息を吐いた。
彼が幼い頃、よく遊んでくれた近所の饅頭屋さんの看板娘。嫁に行ったはずの彼女がこんな早くに里帰りかと不思議に思ったが、三葉の話と茶屋の店主の話を聞いて納得する。

「…そっか。三葉ちゃんには、−−−………」

愛する者の早すぎる逝去に嘆き悲しむ妻と、突然すぎて自分が亡くなってしまったことに気が付いていない旦那が、とても幸せそうな、仲睦まじい若夫婦の痴話喧嘩に見えたのだろう…


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