やさしいむらさきいろ

もしその光景を目の当たりにした生徒がいたならば、きっと口を揃えてこう言うだろう。
珍しいこともあるもんだ、と。
何故なら普段は穴掘りにしか興味がない無表情な少年の目の前には怪我をした子狐がおり、怪我を手当てしてもらったらしき子狐の前には踏鋤ではなく破れた手拭を持った少年が立っていたからだ。
何の奇跡か、それともただの気紛れなのか。どちらにせよ子狐の怪我を手当てした少年、綾部喜八郎は、相変わらず感情が一切読めない声色で子狐に気を付けなよと呟き、その場を後にした。
子狐はそんな少年の背中を、キラキラとした瞳で見送っている。
少年の背中が小さくなっても、少年の姿が見えなくなっても、子狐はずっとその場所で、少年が紛れていった大きな大きな建物の中で賑やかに動き回る色を見ていた。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「なんか今日、タカ丸さん変」

休日の朝。相変わらず仲が良い4年生たちは今日も今日とて一緒に朝食を食べていた…が、珍しいことにそう呟いたのは綾部喜八郎で、その呟きを聞いた時友三葉は山盛りのご飯茶碗と自分の口をひたすらに往復していた箸を止め、こてんと首を傾げてみせる。

「そうなの?」

「うん。朝から部屋に来て僕を起こしたり、顔洗ってたら後ろから飛びついて来たり、三葉を迎えに行くときだって、ずっと僕にべったりだった」

無表情でぼそぼそと呟いた喜八郎は、おかしいでしょ?と同意を求めるように三葉を見る。視線を受け止めた彼女は首を傾げたままふぅん、と言葉にならない声を漏らして斉藤タカ丸を見た。
いつもと変わらない派手とも思える金色の髪、同学年の子たちよりも一回りか二回り大きな体躯、いつもニコニコ穏やかな笑みを浮かべている顔を見て、ぱちぱちと瞬き。

「…きっとタカ丸さんは、綾ちゃんともっともっと仲良くなりたいって思ったんじゃないかなぁ?」

「今更?」

「ふふ、仲良くなりたいって思うの、人それぞれだもん。仲良くしてあげて」

「………三葉が、そう言うなら」

瞬きの後、陽だまりのような笑顔でそう言った三葉に、最初は訝しげに眉を寄せた喜八郎もすぐ肩を落とし、三葉がそう言うなら、と素直に頷き食事を再開した。
食事を済ませた後、町へ出掛けるという三木エ門と守一郎を見送り、勉強をするから図書室へ行くという滝夜叉丸と別れた三葉は、うんざりした顔をしている喜八郎に纏わりつくタカ丸を見上げてふわんと微笑む。

「タカ丸さんは、どうするの?」

「ぼくは喜八郎と遊ぶよ!!」

「そっかぁ。綾ちゃんは?」

「僕は三葉と遊びたい…けど、昨日ほっぽり出したターコちゃんがあるから、とりあえずそれ完成させてくる」

珍しい返答を聞いた彼女はほんの少しの時間大きな瞳を瞬かせるが、すぐに顔を綻ばせて、小さな手を胸の前で組んだ。

「じゃあ、私はいつもの木の下で日向ぼっこしてるから、タカ丸さん、夕方までにはかえしてね」

そういうなり、彼女は気を付けてねと手を振ってその場から駆け出していく。小さな背中にはーい、と元気よく返事をしたのはタカ丸だけで、彼を纏わりつかせた喜八郎は最初こそ不愉快そうに眉を顰めたものの、すぐその違和感に気付いて首を傾げたのだった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
秋特有の乾いた風と冬を運んでくる匂い、そして暖かな日差しを受けて微睡んでいた三葉は、ふわぁ、と大きなあくびを零して高い空に腕を突き上げる。
遠くから聞こえてくる後輩たちの楽しそうな声に自然と笑みを漏らしてから、彼女はさてとと呟いて立ち上がった。
太陽の位置からして、もう半刻もしないうちにタカ丸は戻ってくるだろう。
確信を孕んだ瞳を細めて彼女が向かった先は食堂。休みだからか誰もいない静まり返ったそこでごそごそと何かを探した三葉は、ぎこちない手つきで、でも丁寧に何かを準備し作り上げていく。
そして出来上がったそれを大きな笹の葉で包んで、トコトコとどこかへと駆けていった。
廊下を渡り、運動場を抜け、正門に差し掛かる場所ですれ違ったのは今日一日喜八郎にべったりだったはずのタカ丸。彼はしきりに首を傾げながら歩いており、三葉を見つけるや否やブンブンと手を振りながら駆け寄ってきた。

「あっ、おーい、三葉ちぁゃん」

「あ、タカ丸さんおかえりなさぁい。お怪我とかはしてないみたいですね?」

「ん?うん、でもね、ちょっと変なことが…」

「あ、そのお話は晩御飯の時にでも」

今はちょっと急いでるんです、ごめんなさい、と告げた三葉はきょとんとしているタカ丸の横をすり抜けて正門を飛び出す…が、寸前でサイドワインダーに捕まり出門票へのサインを強いられた。

「珍しいねぇ、あんなに急いでどこいくんだろ?」

ぽかんとするタカ丸と、不思議そうに呟いた小松田さんは、裏山へと消えていく小さな桃色をしばらく眺めてから顔を見合わせる。
しかし不思議そうな視線を気にも留めない三葉は、がさがさと慣れた裏山の色付く木々を掻き分け、黄色い落ち葉の絨毯が敷き詰められた道を過ぎ、ちょっと苦手な沼を抜け、切り立った崖のそばにある開けた場所まで到達すると、そこでやっと足を止めた。

「えへへ、やっぱりここでしたかぁ」

上がりかけた息を整えながらそう言った三葉の目の前には、寄り添う三匹の狐。どうやら親子らしいその狐は、人間に見つかったというのに逃げるそぶりを見せず、それどころか体の大きな二匹の狐がまるで頭を下げさせるように子狐の小さな頭に前足を乗せていた。

「あ、いいえ、こちらこそ、タカ丸さんをちゃんとかえしてくれてありがとうございましたぁ」

無言で鼻をヒクヒクさせている狐にぺこりと頭を下げた彼女は、抱えていた包みをゆっくり開いて狐たちの前に差し出す。
中から出てきたのは、小ぶりなお稲荷さんが五つ。
おいしそうにてらてらと輝くお稲荷さんと笑顔の三葉を見比べた狐たちは、お礼でもするかのようにひょこんと頭を下げると、彼女の持つお稲荷さんをひとつずつ咥えてちょこんとその場に座った。
一番体の大きな狐の三角の耳が、ぴるりと震える。

「お礼なんていいですよぅ。それより、大した怪我じゃなくってよかったねぇ」

にこにことそう言った三葉に、親狐に挟まれた子狐は目を細め、ふわふわとした尻尾でゆっくり地面を叩く。
そして最後に三匹揃って律儀に頭を下げてから、狐たちは足音ひとつ立てずに赤く染まりつつある木々の奥へと姿を消した。
あっという間に景色に溶けた小さな背中を見送った三葉は、むふふ、と嬉しそうに笑って学園へと戻る。
今度はちゃんと入門表にサインをして、運動場を通り、彼女が最近お気に入りの日向ぼっこスポットへと足を運べば案の定、いつも通りの無表情で踏み鋤を抱えた喜八郎がそこにいた。

「あーやちゃん」

「!!三葉、何処に行ってたの?」

上機嫌に声を掛ければ、気が付いた喜八郎がはっと顔を上げ、彼女に駆け寄る。
どうやら彼女を探していたらしい喜八郎は見つけたことにホッとし、勝手にふらふらとしていたことにちょっぴり怒っているのか眉間に皺が一本。
日頃他人から無表情とよく言われる彼の表情豊かな一面をおそらく一番見ているだろう三葉は短くごめんねと謝ると、まだ何か言いたそうにしている喜八郎の口に残ったお稲荷さんをひとつ突っ込んだ。
突然の行動にさすがに驚いた喜八郎だったが、それよりも先に、三葉の小さな手が柔らかにうねる灰色の髪をふわりと撫でる。

「綾ちゃんは、やっぱり優しいねぇ」

色々と言いたいことも聞きたいこともあったのに、喜八郎は彼女のそのたった一言で口篭り、ほんのりと頬を染めて詰め込まれたお稲荷さんを頬張った。

[ 91/118 ]

[*prev] [next#]