呪歯

※怪談話注意




8月に差し掛かったばかりの夜。
そろそろ就寝時間も差し迫る時間、小腹がすいた三葉が夜食にと冷うどんを啜っていた時のことだった。
明かりが落とされ静まり返った食堂に、寝間着姿の1年は組が飛び込んできた。

「あっ、いたいた、時友三葉先輩!!」

「ふぇ?みんな、こんな遅くにどうしたの?」

わいわいと現れた良い子たちに驚きながらもしっかりとうどんを啜った三葉が首を傾げると、ずいと一歩前に出てきたのは1年は組学級委員長の黒木庄左ヱ門。

「あの、ぼくたち暑くて眠れなくて、それで、眠る前に怪談話でもしようかってことになったんですけど…」

と、そこまで喋った庄左ヱ門を押しのけるように前に出てきた笹山兵太夫が、甘えるように三葉の腕をとった。

「ねえねえ三葉先輩、また怖い話してよ、ね、いいでしょ?」

同じ委員会に所属しているからか、気兼ねなくねだってきた兵太夫に瞳を瞬かせた三葉だったが、次の瞬間にはほんわりとした笑顔になり、彼の頭を撫でながらこくりと頷いた。

「うん、わかった。兵ちゃんのお願いだもん、もちろんいいよ」

「やったぁ!!」

優しい彼女の二つ返事に大喜びの1年は組に、じゃあこれ食べ終わったら行くからお部屋でちょっと待っててねと笑った三葉。途端には組の可愛い笑顔が凍り付く。

「…三葉先輩、今うどん食べてませんでした?」

「うん、おいしかったよぉ」

「それで、それも食べるんですか?」

「うん、食べるよぉ」

間延びした愛らしい声と、小さな手…に不釣り合いな、一尺玉ほどもあろうかという爆弾おにぎりをぱくつきながらすぐ行くからねぇと笑うその姿を見て、団蔵が隣の伊助の腕を肘で突いた。

「なあ、なあ伊助、三葉先輩とさ、四郎兵衛先輩とさ、あと七松先輩としんべヱで大食い大会したらさぁ」

「喰らい尽くせこの世の全て」

「うわ怖ぁー…」

こそこそとしたその話を聞いて、は組全員が三葉からそっと顔を背けた。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「はい、お待たせしましたぁ」

その後あっという間に爆弾おにぎりを平らげた三葉は、1年は組の良い子たちに連れられて庄左ヱ門と伊助の部屋に来た。ワイワイと部屋に飛び込んだ良い子たちは順番にくるりと輪を描いて座り、兵太夫と三治郎が三葉を招く。
からくりコンビの間に腰を下ろした三葉はその光景を懐かしく思いながらも、順番に良い子たちの顔を見回してにこりと笑った。

「乱ちゃんいるけど、今日はしんべヱくんもいるし、百物語でもないから大丈夫そうだねぇ」

その一言で何かを思い出した乱太郎がびくりと肩を竦ませたが、三葉は特に何も言わず、早く早くと両隣から急かしてくるからくりコンビにお姉さんらしくはいはいと笑ってコホンとひとつ咳ばらいをしてから、ゆっくりと話し始めた。

「あるところに、笑顔の美しい女性がおりました。その女性の笑顔を美しく際立たせていたのは、真っ白でとてもきれいな歯です。
その女性はその美しい笑顔で幸せな結婚をして、義母ともいい関係を築き、幸せに暮らしていました。
しばらくして、2人は子供を授かりました。喜びでいっぱいの家庭でしたが、生まれた子は体が弱く、何故か1年たっても歯が1本も生えてきませんでした。
そのうちに義母が女性をなじるようになります。お前がそんな立派な歯をしているから、孫に歯が生えないのだと…ほとんど言いがかりでしたが、女性はそれを真に受けてしまいます。
ある日、旦那さんが1体の人形を抱えて帰ってきました。その人形には人間の歯が埋め込まれ、人形の体内にもたくさんの歯が詰め込まれていました。いわく、それは願掛け人形で、人形に抜けた乳歯を入れると立派な歯が生えてくるというものです。
ところが、その人形の中に入っている歯の中にひとつだけ真黒な歯がありました。
気にはなったものの、女性はそれ以前の問題に気が付きました。願掛けを行おうにも、子供には歯が生えていないのです。
やがて彼女に、ひとつの考えが浮かびました。自分の歯を抜いて入れればいいんだと。
思いつくなり彼女は鉗子で自分の歯を抜こうとします。しかし丈夫な歯はなかなか抜けず、激痛が走ります。それでも息子のためを思えば、やめるわけにはいきませんでした。
一刻もの間苦痛を繰り返し、やっと抜けた歯…無理に抜いたせいで大量の血が流れ、疲労から立ち上がることも辛いのに、彼女は必死の願いで人形に歯を埋めました。しかし、子供に歯は生えてきません。彼女はもう1本、さらにもう1本と歯を抜いて人形に埋め続け、とうとう彼女の自慢の歯は奥歯数本を残すのみとなってしまいました。
そんな苦行をつづけたある日彼女が目を覚ますと、子供の近くに置いておいた人形の首が外れ、歯が散乱していました。子供が散らばった歯を口に入れて遊んでいたのです。慌てて吐き出させましたが、彼女に不安が残ります。
あの禍々しい黒い歯が、見当たらなかったのです。
ひょっとしたら飲んでしまったのかも…そんな不安を感じながら過ごしていると、ある日、子供の歯茎に1本の歯が生えてきたのです。やっと苦痛が報われたと、女性も義母も大喜びでした。けれど、伸びてきたその歯は、黒かったのです。
そしてその日から、家の中で何者かの気配を感じるようになりました」

そこでいったん言葉を区切った三葉は、ゆっくりと息を吸うと、再び口を開いた。

「その気配は時に人の形になり、枕元に立ったり鏡に映ったりしました。その瞳には強い恨みの光を宿し、真っ白な顔で、真っ黒な歯を見せつけるように嗤うのです。
彼女は考えました。子供に生えてきたのは、この亡霊の歯なのかもしれないと…悪い予感は当たるもので、しばらくすると子供は高熱を出し、衰弱し、原因もわからないまま死んでしまいました。死ぬ直前の様子は壮絶なもので、抱いていた女性の肩を子供の力とは思えないくらい強く強く噛み、死んでからも離すのに苦労したほどです…」

ふう、と肩を落とした三葉は、そっと良い子たちの様子を伺った。怖がりのしんべヱと喜三太が体を寄せ合い震えているが、その他の子はなかなかに肝が据わっていて、皆真剣な顔をして話を聞いている。その中で慣れている三治郎と兵太夫、そしてどこか達観しているきり丸はこばかにしたような笑みさえ浮かべていたので、三葉はばれないようにフフッと笑った。

「…しかし、奇妙な出来事はそこで終わりません。子供に噛みつかれた女性にも、黒い歯が生えてきたのです。奥歯以外の全ての歯を失った彼女の口に、1本だけ黒い歯が生えている彼女の笑顔は、もう以前とは別物でした。性格も別人で、まるで、あの家で見た亡霊が憑りついているかのようでした。
ある満月の晩のこと、彼女は凶行に及んでしまいます。寝ている義母と旦那に襲い掛かり、口の中に包丁を突き立てて殺してしまったのです」

それを聞いて、団蔵と金吾が思わず自身の口を押さえた。真剣に聞いていた伊助と庄左ヱ門もこくりと喉を鳴らし、乱太郎はこそこそと虎若に身を寄せる。子供らしいその反応に思わず緩みかけた顔をきりりと引き締め、三葉は口を開く。

「そして、駆けつけてきた近所の人にしがみ付き、歯を立てながら彼女はこう懇願しました。
歯を抜いて、私の歯を抜いて、黒い歯を…そこまで言うと、彼女は自分の口に自ら包丁を突き立て、命を絶ちました…」

こんなものかな、と思いパッと顔を上げた三葉は、ぷるぷるとまるで小動物のように震えあがっている良い子たちに眉を下げて笑う。
一気に明るくなった雰囲気に、さすがだね、すごい怖かったね、と安堵の息を吐き出した1年は組…だが、三治郎、兵太夫、きり丸はすました顔で頬を掻いた。

「なんか、ただの事件みたいだね」

「確かに凄惨だけど、怖くはないよね」

「おれ合戦場でバイトしてたこともあるからなぁ」

と、非難轟々の3人を見て、三葉に珍しい感情が沸き上がる。

「ふふっ、じゃあこっちおいで。3人だけに、続きを教えてあげる」

普段より少しだけ意地悪な笑みで手招きした三葉に誘われ、部屋から廊下へと連れ出された3人は、その空気の違いに驚かされた。
大勢いる部屋の中では全然気付かなかったけれど、少し前まで暑いくらいだった空気が今はきんと冷えている。それなのに、頬を撫でる風は生ぬるくどこか薄気味悪い。
危機察知に長けている三治郎がじりりと一歩下がったその瞬間、今まで背を向けていた三葉がくるりと振り返り、あのね、とゆっくり言葉を紡ぎだした。

「お話のね、黒い歯。あれ伝染するの。だから気を付けてね」

さらりと告げられた不穏な言葉に、さすがの3人も頬を引き攣らせる。しかしもともと気丈なきり丸が、強気を装い鼻で笑った。

「そ、そんなこと言っちゃって。子供だましでしょ?騙されませんよ」

「本当だよきり丸くん」

微かに焦りが滲んだ言葉を、三葉がぴしゃりと遮る。らしからぬ強い口調にびくりと肩を跳ねさせた3人に、三葉は不気味に笑い、だってね、と続けたあとこほこほと数回咳き込み、小さな掌に何かを吐き出した。

「私、ほら見て、生えてるもん」

ころん、と掌に転がったのは、暗がりでも何故かよく見える真っ黒な歯。

「「ッギャーーーーーー!!!」」

それを見た途端、三治郎ときり丸は悲鳴を上げて飛び上がり、出たばかりの部屋に駆け込んだ。なんだかんだ言ってまだまだお子様だなぁと満足げに笑った三葉は、真剣な顔をして黒い歯をじっと見ている兵太夫に悪戯っぽく微笑んだ。

「あ、さすがに兵ちゃんにはわかっちゃったかぁ」

「そりゃ、ぼくも作法委員会ですから」

「ふふ、昨日掃除中に私が落として壊しちゃった生首フィギュアの歯、ちょっと使わせてもらっちゃった」

「三葉先輩も、なんだかんだちゃんとくのたましてますね」

「えへへぇ…でもちょっと意地悪が過ぎちゃったかなぁ?明日謝らないとねぇ」

「まあでも、三治郎もきり丸も、ぼくも、態度が態度でしたし…でも違うんです三葉先輩、ぼくが聞きたいのはそこじゃなくてですね」

夜も更けた廊下で声を潜め、兵太夫が視線を彷徨わせながらおっかなびっくり問いかける。

「そのフィギュアの歯、僕の記憶が正しければ修補待ちとして用具委員会の管理する用具倉庫に本体と一緒に置いてあるはずなんですけど」

いったいいつの間に、どうやって取りに行ったんですかと目だけで問う兵太夫に、三葉はふにゃりと笑って、あのねぇ、と無邪気に手を広げて見せた。
その足元の地面から、青白く光る無数の手がふわりと伸びる。

「怖がらせちゃおうと思ってちょっとねぇ、手伝ってもらったんだぁ」

などと呑気に笑う三葉と無数の手を見て、兵太夫はその場でぐるんと白目を剥いた。

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