初夏の夢の夜

ざくざくと夏特有の乾いた土を掘り起こしながら、僕は夜間鍛錬と称した趣味の穴掘りに今日も没頭。
掘って、掘って掘って、掘って…気付けば競合地帯が罠の目印だらけになった。
まあどうせどれだけ掘ったって明日の昼頃には6年生の不運保健委員会委員長の善法寺伊作先輩が大半の穴に落ちてを見つけて、同じく6年生の用具委員会委員長食満留三郎先輩が埋めちゃうんだけどね。

「…どうせ埋めるなら善法寺先輩ごと埋めてくれればいいのにな」

どこかから聞こえる蛙の声に紛れて、僕の心の闇がつい口をついで出た。
別に嫌いじゃないけど、好きでもない先輩。
僕の所属する作法委員会の委員長である立花仙蔵先輩の友人、後輩である浦風藤内の友人が所属する委員会の委員長、僕の掘った穴によく落ちる先輩、そして…僕と同じ女の子を、好きになったひと。

「………なーんちゃって」

頬を流れてきた汗を土塗れの手の甲でぐいと拭い、短く呟いた。
勿論、本気でそんなことを思ってはいない。いくら好きでもないからって善法寺先輩が生きたまま埋められそうになったら嫌だし、助ける。
だけど、だけどたまに、本当にごく稀に、頭の中にいる真っ黒な僕が耳元で囁く時があるんだ。
『掘った落とし穴の底に竹槍を仕込んでおくだけじゃないか』
って。そんなことをしたらどうなるか一番わかっている癖に、囁くんだ。
けろろ、と一際声高に鳴いた蛙の声が、僕の心臓を跳ね上げる。

「…バッカみたい」

今までの思考を散らすように短く呟いた僕は、踏子ちゃんの柄をきつく握り締めて、勢いよく地面を突き刺した。
その瞬間、手に響いた鈍い衝撃。何か硬いものを突いたような音が耳に届いて、僕は手を止めた。
研いでもらったばかりの踏子ちゃんの刃こぼれも気になったけど、それ以上に気になる、一瞬で蔓延した異様な悪寒。
侵入者かと思って穴から顔を出してみるが、周囲に不審な影は見えない。
気のせいかとも思ったけど、背中を這いずる悪寒は消えない。それどころかどんどん強くなって、僕は鳥肌のたった腕を無意識に摩った。
そして気付いたんだ。

「………音が、しない」

今の今まで聞こえていた蛙の声はいつの間にか止んでいて、夜間鍛錬につきもののどんどんギンギンうるさい声も、風の音も、何も聞こえない。完全な無音。
その無音の中で、僕の心音だけがどんどん大きくなって、本能がすぐここから逃げろと警鐘を鳴らしている。
ヤバイ、そう思った僕は踏子ちゃんを引っ掴んで穴から飛び出した。
そして長屋に向かって一歩を踏み出したその時、僕の背後から、ドサリ、と大きな音が聞こえた。
聞き覚えのある、土が落ちる音。
聞こえた音の大きさからして、今日一番最初に掘ったターコちゃんがある位置かな、と冷静に分析した僕は、なるべく冷静を装って静かに息を吸い込んだ。
そこでやっと、命に関わりそうな異変に気が付く。
足が、手が、身体が動かない。それどころか、声も出ない。
幸い呼吸は出来るようだけど、これが噂の金縛りってやつかな?
背後から聞こえてくる土が落ちる音は、徐々に僕に近づいてきているようだ。
ドサッ、ドササッ、ドサリ。
動けない僕に近付いて来る、土の落ちる音。
ばくばくとうるさい心臓が、僕の呼吸を妨げる。こんな状態でも結構冷静な僕の頭は、大抵の怪異なら寄せ付けない僕に近付いて来れる怪異ってことは相当ヤバイものなのかな、と頓珍漢なことを考えていた。
うん、これ結構混乱してるね僕。
ズシャリ。
とうとう僕のすぐ後ろ、今まで掘っていた穴に土が落ちる音が聞こえて、僕の肩が跳ねた。うなじの毛が逆立つような悪寒、しっとりとした暑さが残る夜だっていうのに、鳥肌が治まらない。
ごくりと唾を飲み込んだその瞬間、僕の足に、何かが絡みついた。
とてつもない力で僕の身体を闇へと引きずり込むそれが何かはわからないけれど、一瞬にして抵抗は無駄だと悟った僕は大人しくそれに引かれるまま奈落の底へと落ちていく。
諦めたように閉じた瞼の裏側に映った映像は、愛しいあの子の笑顔だった。







「綾ちゃぁぁん!!」

手に感じた柔らかなぬくもりと鼓膜を震わせた愛しい声に、僕は目を開く。

「綾ちゃん!!綾ちゃぁん!!そっち、いっちゃ、だめぇぇぇ!!!」

「三葉!!」

小さな手で、小さな体で、僕の腕を必死に掴んでいる大号泣の三葉を見て、雷に打たれたような感覚がした。
ぎちり、と痛々しい音を立てた三葉の肩を見て、僕は反射的に空いている腕を上げ、地面を掴む。何かが纏わりついている足をもう片方の足でがむしゃらに蹴り、腕力だけで身体を引き上げる。
暫く抵抗していると、突然ふっと悪寒が消えて、僕の体は勢い余って地面へと放り投げられた。まだ混乱が残る僕はそのままじっと、ぽかりと口を開けた穴を見た。
そこにあるのは、僕の大事な、踏子ちゃんだけ。
いつもと変わらないターコちゃん。いくつかが同じように口を開けているけれど、周囲には足跡も何も残っていない。明らかに非人為的な現象。

「綾ちゃん、綾ちゃん大丈夫!?お怪我してない!?」

ボロボロと泣きながら僕の体に怪我がないか確認する三葉を黙って見ていると、やっと今までの恐怖が体の心まで届いたらしい。
がたがたと震え始めた手で三葉の手を握り、はち切れんばかりに脈を打つ心臓を装束ごと押さえる。

「三葉…三葉…ぼく、僕……ッ」

「もう大丈夫だよ綾ちゃん、大丈夫、怖くないよ」

情けないけど恐怖で震えが止まらない僕に、三葉は優しく声をかけ、いつものほわんとした笑顔でそっと抱き締めてくれた。
その暖かさと三葉の匂いで、張り詰めていた緊張の糸がゆっくりと解きほぐされていく。

「びっくりしたねぇ。でももう平気だよ、もうどっか行っちゃったから大丈夫」

だから、僕はそこで気付いてしまったんだ。
恐らく三葉はいつもの第六感的なアレで飛び起き、僕の危険を察知して慌ててここまで駆けつけたのだろう。

寝間着のままで。

当然着替えるなんて考えも浮かばなかったから、本当にそのままで。
だから、今僕の頬に当たっている慎ましやかなものはつまり、寝間着という薄布一枚だけを隔てた三葉の、…。

「三葉…僕、こ、腰が抜けちゃったみたいで…もう少し落ち着くまで、このままでもいい?」

「もちろん。綾ちゃんがあんな目に遭うなんてすごく珍しいもんねぇ、落ち着いたら一緒に滝くんのところに戻ろうね」

怖かったのは事実だし、ああいう怪異に遭遇するのも初めてだから驚いたのも事実、正直一体何であんなことになったのか知りたいけど、そんなもの全てひっくるめてどうでもいいと思えるくらいのこの究極天国状態を逃すほど僕は馬鹿じゃない。
幸い他に応援を呼ぶ間もなかったみたいだし、こんな競合地帯のど真ん中なら万が一善法寺先輩に見つかったとしても到底辿り着けまい。
瞬時にそこまで計算した僕は、小刻みに震えるふりをしながら、思う存分三葉の控えめな膨らみを堪能した。



……ま、そのあとはまた別の意味で立てなくなっちゃったんだけどね。

[ 86/118 ]

[*prev] [next#]