小屋に棲む

私、時友三葉と、弟の時友四郎兵衛は霊感があります。
子供の頃はそれでよく変なものを視たり追いかけられたりして泣いていたんだけれど、忍術学園に入学してからそれぞれ波長の合う“寄せ付けない”人や“跳ね除ける”人と仲良くなって、視えはするんだけど、危ないことに巻き込まれる回数が格段に減りました。
だから、油断していたんだと思います。

数日前。とてもお天気がよくて、特に用事もなかったので、私と弟のしろちゃんは何となく学園から程近い渓流で釣りをすることにしました。
人よりちょっぴりとろくさい私と、水場ではそういった“モノ”を寄せやすいしろちゃんが用具委員会の委員長である食満留三郎先輩にさおを借りに行った時、留先輩はとても不思議そうな顔をしていたのに、その時の私たちは一切の違和感を感じず、ただ頭の中を占める“川に行って釣りをしなければ”ということだけしか考えていませんでした。
今になって思えば、多分“呼ばれて”いたんだと思います。

用具委員会からお借りした釣り道具を持って川に向かった私としろちゃんは、川原にある大きな石をひっくり返して、見つけた虫を餌に釣りを始めました。

「釣れるかなぁ、しろちゃん」

「たくさん釣りたいねぇ、三葉おねえちゃん」

自分たちが始めて釣りをすることなどすっかり忘れているように、私たちはじっと川に糸をたらして魚がかかるのを待ちました。
それから、どれくらいの時間がたった頃でしょうか。それすらも曖昧な私たちは、ふいに聞こえた石を踏み鳴らす足音に気付いて川原に視線を動かしました。
しかし、川原には誰もいません。
その代わり、視界の端に映ったのはこぢんまりとしたボロボロの小屋でした。

「三葉おねえちゃん、あれ、なんだろう…」

無意識に思ったのか、それとも何かに唆されて言ったのか…しろちゃんの呟きを耳にした私は、無性にその小屋がなんなのか気になり始め、さおをその場において小屋に向かいました。
その後を、とことことしろちゃんもついてきます。

「こんな小屋、あったっけ…?」

「わかんない…」

どこかふわふわとした足取りで小屋に近付いた私は、そばで見ると本当に酷い朽ち果て具合の小屋を見回し、ふと、側面にいくつも空いている穴に気がつきました。
その穴は丁度私の目線にあり、小さいものから大きいものまであります。

「なんだろう、この穴…材木が朽ちて空いたのかなぁ?」

「にしては、変な空き方なんだなぁ…」

「だよねぇ…あ、ここから中覗けそうだよしろちゃん」

いくつもの穴がある壁、その中心に丁度私の頭がぴったり入れられそうな大き目の穴を見つけた私は、うんと背伸びをして、興味本位でその穴を覗こうとしました。
その瞬間、鋭く鼓膜を揺らしたしろちゃんの声。
反射的に身を引こうとしたのですが、既に遅く、穴から突然延びてきた真っ白な手が私の顔を掴んだのです。
びっくりしてもがく私の狭まった視界に映るのは、真っ青な顔をしたしろちゃんと、穴という穴から出ている真っ白な指や手。
突き出した指や手はどれも爪が割れ、剥がれ、朽ち、腐り、骨が見えているものもありました。

「おねえちゃん!!おねえちゃん!!」

必死に叫び、私の体を掴んで懸命にそれらから遠ざけようとしているしろちゃん。けれど、弟にもいくつかの白い手が伸ばされようとしているのを見て、私は青褪めます。

「しろちゃん!!しろちゃん逃げて!!」

「やだ!!やだぁ!!」

「いいから逃げて!!早く!!」

いやだいやだと首を振る弟のまだ小さな体を振り払うようにもがき、逃げてと叫ぶ私の耳に届いた、更なる恐怖の音。
それは、今にもばたんと外れて倒れそうな扉の音。
小さな穴から出ている指や手の“持ち主”はきっと、扉が開けば出てきてしまう。
本能的にそう感じた私は、顔を掴む指を引き剥がそうともがきながら藁にも縋る思いで、誰か助けて、と呟きました。

その時です。私の顔の横から伸びてきた泥だらけの手が、私の顔を掴む白い手を掴んだのは。

「三葉を、離せ…!!」

「綾、ちゃん…!!」

凄みのある低い声と、彼の気迫に押されたのか、一瞬白い手の力が弱まり、私はすんでのところで綾ちゃんに助けられました。しっかりと抱きかかえられたまま小屋から離された私は、同じく駆けつけてきた小平太先輩に抱かれているしろちゃんの姿を確認して安堵の息を吐きます。
そんな私をぎゅっと抱き締めた綾ちゃんの体は、急いで駆けつけてきてくれたにもかかわらず、大量の冷汗で酷く冷えていました。

「綾ちゃん…」

「三葉…無事でよかった。どこか痛むところは?気分悪くなってたりしない?」

「大丈夫だよぉ、助けてくれてありがとう…ごめんね、心配かけちゃって…綾ちゃんの体、びっくりしたせいですごく冷たくなっちゃったね…」

そう言って、私を抱き締める綾ちゃんの冷たい手をぎゅっと握れば、落ち着きを取り戻した綾ちゃんは手の握り返してくれて、優しく微笑みました。

「おやまあ、三葉は温かいねぇ」

じんわりと耳を擽る温かい言葉で、先ほどまでの恐怖が和らいでいきます。

「じゃ、学園へ帰るか!!」

ほう、と吐き出された私の安堵の息を聞いた七松先輩が、しろちゃんを抱いたまま踵を返し、私を抱き上げた綾ちゃんが続き、夕焼けに照らされた川原にふたつの長い影が揺れます。
その影の先にある小屋の穴からはもう、白い手は伸びていませんでした。



帰り道、綾ちゃんに抱かれながら私はそもそも今日の渓流釣りへの衝動がおかしかったと思っていました。

「綾部先輩、ぼくの大好きなおねえちゃんを助けてくれてどうもありがとうございます」

「おやまあしろべ、どういたしまして」

「七松先輩も、ありがとうございます」

「おう!!気にするな!!」

そして、ここでやっと気がついたのです。
七松先輩に抱かれている弟の肩を、あの朽ち果てた白い手がしっかりと掴んでいたことに。
七松先輩が無意識のうちに触れた途端、空気に溶けるように消えた“ソレ”に誘われたらしい私としろちゃんは、その事件以降、あの小屋には近付いていません。




@(2周年企画/七草様、星花様)

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