蛇と嘯く

忍術学園の、いつもの光景。
それは校庭で1年生が仲良く駆け回る姿だったり、委員会活動を行う生徒の姿だったり…その中に混じる何かを探して茂みをかき分ける伊賀崎孫兵の姿も、いつもの光景。

「ジュンコー?ジュンコー?どこにいるのー?」

いつもどんな時も彼と一緒にいる、赤蝮のジュンコ。自由気ままな彼女は、今日も今日とて勝手にお散歩に出かけてしまったらしい。
ジュンコが危険な蝮だからというよりも、ただいつも一緒にいるジュンコがいなくなったということのほうに焦る孫兵は、蛇が好む藪の中を這い蹲って、彼女の美しい赤を探す。

「ジュンコー、どこ行っちゃったんだよぉ…お願いだから帰ってきてよぉ…」

まるで嫁に逃げられた夫のように情けない声を上げて愛蛇を探し回る孫兵。そんな彼の耳に、愛しい愛しい声とあまり馴染みのない声が飛び込んだ。
茂みをかき分け、藪に飛び込み、声のほうへと這いずっていけば、彼の視界に飛び込んだのは細い赤と小さな桃色。
女性=爬虫類が嫌いとインプットされている孫兵の脳に一瞬ひやりとした想像が駆け抜けたが、聞こえる声は両方ともとても穏やかなもので、いぶかしんだ孫兵はジュンコに駆け寄りたい衝動を抑えて、そっと聞き耳を立てた。

「……うんうん、そうなんだぁ…」

「シャー、シャァァ…」

「えっ、それで…ほぁぁ、今も?」

「シャァァー…」

「そっかぁ、それは困ったねぇ…うん、大丈夫だよぉ、私に任せてね」

蛇の威嚇音に返事をするように言葉を発した桃色は、とん、と軽く胸を叩いた後にすっくと立ち上がり、躊躇無く赤蝮を首に巻きつけると歩き出す。
普通の人から見れば、異常な光景。
生き物を…特に爬虫類をこよなく愛する孫兵も一瞬目を疑ったが、桃色の装束を纏った少女に見覚えがあり、あれは、と小さく呟いた。

「くのいち教室4年生の、時友三葉先輩…?何でジュンコと…どこへ行くんだろう?」

以前生物委員会で世話をしていた鶏が死んでしまったときにもひょこりと現れて、鶏の『想い』を代弁してくれた不思議な少女。
噂によれば彼女には不思議な力があり、そのせいで色々辛い思いをしていたと友人である次屋三之助から聞いたことがあった孫兵は、彼女とジュンコの不思議な行動が気になってこっそり後をつけることにした。
藪を抜け、出門表にサインをした三葉は正門から裏山へと進んでいく。孫兵も野外鍛錬ですと嘯いて出門表にサインをして後を追い、夕日のせいで真っ赤に染まった裏山に足を踏み入れる。
木の幹も、葉も、地面でさえ真っ赤に染まり、なんだかいつもの裏山とは違う場所のような感覚に襲われつつある孫兵は、三葉の背中を見失わないように、気付かれないように距離をとって付いていく。

「一体、どこまで行くんだろう…」

通り過ぎた茂みがガサリと鳴り、茜空を飛ぶカラスの鳴き声に不安が掻き立てられる。聞いた時は特に興味もわかなかった彼女の噂話が今になって孫兵の脳裏に蘇り、妙なことに巻き込まれたらどうしようという小さな恐怖が彼の心のうちで鎌首を擡げた、その時。
裏山の中腹ほどにある小さな沼のほとりで、三葉が立ち止まった。

「ジュンコちゃん、ここ?」

しゅるしゅると体を伝って地面に降りたジュンコに問い掛けた三葉の声で現実に戻された孫兵は、慌てて近くの大きな木の幹に隠れる。そろりと顔を覗かせて伺えば、ジュンコはまるで三葉の問い掛けに肯定を示すかのようにこくりと小さな顔を上下させる。
まるでしっかり意思疎通している、いや、意思疎通というより最早会話が成立しているその姿に、孫兵は双眸を見開いた。
驚愕のあまり呼吸が荒くなりつつある彼の眼前で、三葉は普段と変わらないのんびりした顔で足元に落ちていた木の枝を拾い、沼の水面をぱちゃぱちゃと叩く。
何をしているんだろう、と無意識のうちにごくりと喉を鳴らした孫兵は、次の瞬間水面が風もないのにゆらりと不自然に揺れるのを見た。

「…な……」

小さな沼から、音もなくぬるりと姿を現した、大きな大きな白い蛇。
突然のことにさすがに驚いて悲鳴をあげそうになった孫兵は両手で自身の口を押さえた。
軽く見ても三葉の背丈の三倍はありそうな白蛇は、水の中から出てきたにもかかわらず全く水滴を落とさない。
その不自然さが、一層孫兵の恐怖を掻き立てた。
まさか、ジュンコをあの蛇への生贄にするつもりなんじゃ…と、妙な事を考え始めた彼が阻止しようと一歩を踏み出そうとした瞬間、静かな森の中に、大丈夫ですかぁ?と、柔らかな声が響く。

「ああ、おめめが…ちょっと待っててくださいねぇ」

そう言って優しく笑った三葉は、懐から取り出した苦無を白蛇の左目に向ける。飛び出そうとした瞬間の間抜けな声に戸惑ってしまった孫兵の足元に、キン、と太陽の光を反射する何かが落ち、彼は顔を歪めた。
世間一般の『普通』から外れているものは、人でも何でも、畏怖の対象になる。
きっと目の前の白蛇も、そうなのだろう。

「…痛かったですねぇ…怖かったですねぇ…」

恐れ戦いた者にやられたのか、それとも強さを驕る者にやられたのか

「でも、もう大丈夫ですからねぇ」

足元に落ちた錆びた刀の切っ先から視線を上げた孫兵は、大きな白と小さな赤に擦り寄られて楽しそうに笑う三葉を見て、眼差しを和らげた。
そのままくるりと踵を返した孫兵は、足音を立てないように来た道を戻る。沈み行く太陽が最後に一際強く照らした彼の表情は、何とも穏やかな笑みに彩られていた。





その日の夜、就寝準備をしていた孫兵の元に珍しく自ら戻ってきたジュンコは首に何かを巻きつけており、それに気付いた孫兵は彼女の小さな頭を撫でながら優しく問い掛けた。

「ジュンコ、変わった首飾りをしているね。三葉先輩に作ってもらったのかい?」

優しい手つきに頭を摺り寄せながら、ジュンコは彼と視線を合わせる。

「それとも、あの大きな白いお友達から貰ったのかな?」

そのまま手を伝いしゅるりと首に巻きついたジュンコの体を撫でながら、彼は友人に見せるものより甘い笑みを浮かべた。

「今度は僕も誘ってよ。お友達の白い蛇さんと、三葉先輩…僕もジュンコの友達と、仲良く、なりたいな」

照れ笑いでそういえば、ジュンコはまるで「いいわよ」とでも言うように、孫兵の頬に小さな頭をコツリとぶつけた。



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後日、ジュンコの誘いにより三葉との邂逅を果たした孫兵は、彼女の口からあの白蛇が実は神様の使いであることと、あの日ジュンコが首に巻いていた首飾りの正体がお礼としてもらった冬虫夏草であることを聞かされて腰を抜かしかけた。

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