デジャヴ・パニック

※死ネタ、流血、グロ注意









赤い月が不気味に輝く夜だった。

いつも通り授業を終えて、いつも通り委員会も終えて、晩ご飯をおなかいっぱい食べて、あったかいお風呂に入った。
それで、滝くん、三木くん、浜くん、タカ丸さん、綾ちゃんとちょっとだけお茶してお話して、また明日ねって手を振ってお部屋に戻って、布団に入って、寝たんだけど…どれくらいだろう?子の刻をちょっと回ったくらいかな?
とんとん、って扉を叩く音がして、私は目を覚ましたの。
眠たい目を擦ってお返事をしてみれば、遅くにすまんな、って立花仙蔵先輩の声が聞こえたから、私は起き上がって扉を開けた。

「ふぁぁ…仙蔵先輩、こんな夜更けにどうしましたかぁ?」

「ああ、やはりもう眠っていたのか三葉。起こしてしまってすまんな、だが、ちょっと来てくれないか?」

いつもの綺麗な顔を申し訳なさそうに歪めた仙蔵先輩にお願いされれば断るなんて考えは頭に浮かばなくて、私は一枚上着を羽織ると仙蔵先輩の後をとことことついていった。
赤い月に照らされる暗い廊下。ギシギシ軋む音に混じって聞こえる梟の声が何だかいつもよりも怖く感じて、気付けば仙蔵先輩の手を握っていた。

そうして連れて行かれたのは、何故か運動場。
また学園長先生が唐突に何か思いついたのかなと首を傾げていると、仙蔵先輩は私の手を強く引いて運動場の中心部に近付いていった。

「仙蔵先輩、また学園長先生が何か思い付いたんですかぁ?」

「いいから、おいで」

「委員会対抗の競争とかですか?それともお使いとかですかぁ?」

「いいから、いいから」

真っ黒の空に浮かぶ真っ赤な月。
真っ赤な月に照らされて、運動場も真っ赤に染まる。
何だか底知れない恐怖を感じた私は気を紛らわせるために仙蔵先輩に話しかけるんだけど、いつもは優しく話し掛けてくれる仙蔵先輩はただずっと、いいから、としか言わない。
それが余計に怖くなって、私は手を引いて足を止めた。
躓いちゃった、疲れちゃいました、寒いのでもう一枚上着を取ってきます、厠に行きたいです…色んな言い訳を思い浮かべて、口にしようとした瞬間、足を止めた私を振り向いた仙蔵先輩の顔を見て、私の喉から引き攣った悲鳴が漏れる。
仙蔵先輩の、涼しげな墨色の瞳が、真っ赤だったから。

「ほら、三葉、見てごらん?」

血の様な瞳の仙蔵先輩は、そう言ってやっと立ち止まり、運動場の真ん中にいつの間にかあった影を指差した。

「今日はね、南蛮ではお盆なんだ。だからきみをぜひしょうタいシタくテ、ヨびにいっタンだヨ」

自信満々な笑みを象る仙蔵先輩の唇が、三日月のように歪む。綺麗な声がどんどんひび割れていって、足元には

「せん、ぞ…せん、ぱい?」

吐き気を催すような鉄の臭いと、空に浮かぶ真っ赤な月を落としたような赤

「こ…れ、なぁに……?」

そして、浅葱、青、萌黄、紫、群青、深緑、桃色、深赤、黒、白、灰…色とりどりの、見覚えがある着物を着た、お人形

「なんだか、学園のみんなに、似てるお人形ですね…?すごく、そっくり…怖いくらい…」

それぞれが苦悶の表情を浮かべ、赤に染まり、あらぬ方向に体を捻じ曲げ、千切れ、砕け、ぶら下がり、地面に落ちているそれは

「ね?お人形、ですよね?ねぇ、先輩、ねぇっ!!」

どう見たって“元”人間で。
私は仙蔵先輩に掴みかかる勢いで、問い質した。
ううん、問い質そうとしたんだけど、仙蔵先輩はニタニタと笑いながら、鈍く光る何かを懐から取り出した。

「さあ三葉、いい子だね。いい子だから、じっとしているんだよ?そうしたら、そうすレば、私ガ、僕が、俺ガ、イイトコロニ連れて逝ってアゲるかラ」

ひび割れた声で、仙蔵先輩は笑う。
そこで、おばかな私はやっと気付いたの。
“コレ”は仙蔵先輩じゃない、って。
だって仙蔵先輩の綺麗な髪も、整ったお顔も、涼しい目も、自信満々な笑顔も、優しい手も、何もかもが、目の前の“ソレ”は真っ赤で、グチャグチャ。
気付いたところでもう遅くて、私は振り下ろされる真っ赤な腕を、呆然と見ていた。






「やあああああああッ!!!」

自分の悲鳴に驚いて飛び起きる。もう秋も深まって肌寒い夜なのに、私は汗だくだった。

「ゆ、ゆめ…?」

背筋を這い回る悪寒と、流れる冷汗。ばくばくと暴れまわる心臓が痛い。
それでも周りを見回せば見慣れた自室で、私は数回深呼吸をした後に深い安堵の溜息を吐いた。

「なんだぁ…よかったぁぁ…」

とてもとても、こわいゆめ。
でも、ゆめ。
鮮明に頭にこびりついてしまっている映像を追いやろうと大きく息を吸い込んだ瞬間、とんとんと扉を叩く音が聞こえた。

「遅くにすまんな、三葉」

扉越しに聞こえてきた仙蔵先輩の声に、私の背筋は凍りつく。震える両手で口を押さえ、呼吸も潜め、存在を悟られないようにできるだけ気配を消す。

「眠っているのか?ちょっと来て欲しいのだが」

とんとん、とんとん、と扉を叩かれるたびに私の心臓もばくばくと跳ねる。

「起きてくれ三葉、なあ、いい子だから、ちょっと来てくれ、三葉、三葉」

真っ赤な月に照らされて、扉に映る仙蔵先輩の影。

「起きろ三葉、おいで、三葉、起きろ、おいで、こっちにおいで、

軽く叩かれていた扉が、ドンドン、バンバンと激しく揺れる。最初は仙蔵先輩だったのに、その影はいつの間にかよくわからない“何か”に変わっていて、私の喉は気を失いそうなほどの恐怖で引き攣った。

もうだめだ。

…そう思った瞬間、私のお部屋の天井が大きな音を立てて落ちてきた。

「三葉!!無事か!!」

冷え切った私の体を包み込む、暖かな深緑。

「しっかりしろ、もう大丈夫だ」

絶対的な安心感をもたらす、聞きなれた声。

「怖かったな、怪我はないか?」

頬を擽る、つやつやの綺麗な長い髪。

「せんぞ、せん、ぱい…?」

「ああ、私だ。文次郎もいる。だからもう大丈夫だ、怖いことはもう起こらない」

暖かい掌で頭を撫でられて、綺麗な笑顔を向けられて、やっと私の体の震えが止まる。深緑をしっかりと掴みながら恐る恐る扉のほうを見てみれば、そこには怖い顔をした潮江文次郎先輩が立っているだけで、赤に照らされた不気味な影はもうどこにも見当たらなかった。
安堵のあまり深緑から離れなくなってしまった私の手。落ち着かせるようにぽんぽんと背中を叩く仙蔵先輩は、私を膝の上に乗せるとゆっくりと体を揺らして、それから口を開いた。

「…夜間鍛錬に出ていた文次郎がな、突然部屋に飛び込んできたんだ。三葉のところに得体の知れんモノがおると喚き出したので、駆けつけてきた。三治郎の父上が作ったお札のお陰で侵入は出来んようだったが…天井裏から聞いていたぞ、よく騙されなかったな?」

私にそっくりだったのに。そう言って意地悪そうに笑った仙蔵先輩に抱かれたまま、私はこくりと頷く。

「…直前に、夢を見たんです…あれについて行った結果の、夢だと思います…だから私、わたし…っ」

「…もしかしたらそれは、お前の防衛本能が働いた予知夢だったのかも知れねえな」

再び怯え始めた私を見て、潮江先輩はやっと肩の力を抜いてその場にドカリと腰を下ろす。しがみ付いたままの仙蔵先輩は私の頭を優しく撫でて、日が昇るまで守っていてやるからこのまま安心して眠れ、と言ってくれた。
怖い目に遭うことには慣れているはずの私も、あんな夢はもう二度と見たくない…と心に強く願い、お2人のお言葉に甘えてゆっくりと目を閉じる。
瞼に張り付く赤い夢が、間違っても現実になりませんように。


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