ポーカーフェイスの胸中

ダン、と壁が大きな音を立てる。

「迷惑だって、わからないの?」

三葉の顔の横すれすれを延びている長い脚。その先でそう呟いたのは、一応、彼女の先輩であるくノ一教室の5年生。

「わ、私…そんなつもりじゃ…」

過去の出来事から歳の近い女の子が苦手になってしまった三葉は、今にも気を失ってしまいそうな恐怖の中、搾り出すようにそれだけ呟いた。すると、それが更に気に入らなかったのか、先輩は綺麗なお顔を顰めて、じゃあどういうつもりなのよ!!と怒鳴った。
その声の大きさと迫力に、じわりと涙が滲む。

「うっざ…泣けば済むとでも思ってる訳?」

嫌悪感をふんだんに含んだ瞳で睨まれて、三葉は黙って唇を噛むしかできなかった。

何故こんなことになっているのかというと、実は彼女にも良くわからない。
ここ、用具倉庫の裏手には中在家先輩が大切に育てている朝顔の鉢植えがある。たまたま図書室の当番で動けなくなった中在家先輩に水やりを頼まれて来たら、突然この先輩が話があるといって三葉を呼び止めた。
無視すればよかったのだが、話の中で出された名前を聞いて、どうしてもそれができなかった彼女。そして、今に至る。

「さっきから黙ってるけど、聞いてるの?わかったなら今後は善法寺先輩に近寄らないでね?邪魔なの、わかるでしょ?」

ぐっと顔を近付けて言われた言葉に、三葉はフルフルと首を振って拒否の意思を示す。それにとうとう眉を吊り上げた先輩は、大きく手を振り上げた。
その時、ふと傍に気配を感じて彼女は振り返る。

「…………三葉?こっちにいるの?」

「綾、ちゃん…」

耳に馴染んだ声を聞いて安心した三葉は、ずるずると壁に凭れたまま地面にへたり込んだ。慌てて駆け寄ってきた喜八郎に何してたの?と聞かれたけれど、何も答えることができずほろほろと静かに涙を流している。
くのたまの先輩は、いつの間にかその姿を消していた。




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「三葉がまたいじめられているだと?」

さらりとした髪を靡かせて、立花仙蔵は凛々しい眉を顰めた。

「…昨日、用具倉庫の裏手の壁で誰かと言い争う三葉の声を聞いたんです。暫く様子を伺っていたら、怒鳴り声が酷くなって、偶然を装って顔を出したら三葉がへたり込んでて、凄く怯えた目をしてました」

「ふむ…で、相手は?」

「わかりません…僕が顔を出した時にはもう姿を消していて…でも三葉は先輩って言っていたから、多分くノ一教室の5年か6年だと思います」

小声でそう言った少年、ふわふわの灰色の髪を揺らして踏み鋤をぶんぶんと振り回す綾部喜八郎は、忌々しげに6年長屋の廊下でべったりとくっついている伊作と三葉を睨んだ。

「落ち着け喜八郎」

「無理です。三葉は泣いていました。声も上げずに、ただ静かに涙を流すだけでした。あんな泣き方、もう二度とさせたくなかったのに」

仙蔵が宥めようと伸ばした手をふいとかわした喜八郎は、ぎりりと踏み鋤の柄を握った。いつも無感情な瞳は、怒りに満ち満ちている。
まあ当然か、と仙蔵は小さく溜息を吐いた。
以前、まだ作法委員会が出来上がる前、三葉はその特殊な力の所為でくノ一教室の子達から気味悪がられ、避けられていた。
なかには心無い噂を言い触らす者もいたし、彼女が気弱で小柄なのをいいことに実力行使にうって出る者もいた。
4年生に上がり授業が忍たまと合同になり、彼女自身の強い希望で作法委員会に所属してからはその後ろ盾が怖く沈静化したとばかり思っていたが、喜八郎の様子を見るとそうでもないらしい。

「しかも理由が尚気に入りません。何で善法寺先輩を取り合う喧嘩なんですか」

物思いに耽りつつも対策案を練っていた仙蔵の耳に、喜八郎の小さな小さな不満が飛び込み、思わず噴き出した。

「そうか、それが一番の原因か」

くつくつと喉の奥で笑いながら、仙蔵は揺れる恋心に翻弄されている可愛い後輩の柔らかな髪を撫でてやった。

その日から、『三葉身辺警護安全対策本部』が総力を挙げて彼女をいじめているというくのたまを探した。
しかし、どれだけ探りを入れても、その尻尾すら掴めない。その間三葉はずっと伊作にべったりで、片時も傍を離れようとはしなかった。伊作も伊作で幸せな顔をしてその状況を甘んじて受け入れている。そのお陰で喜八郎の機嫌は急降下と負の連鎖が起こっているのだが、その状況が改善されることはなかった。
数日後、とうとう痺れを切らした喜八郎が可哀想だとは思いつつも、三葉に実はあの言い争いを全て聞いていた。一体何を言われたのか、あれは誰なのか、もしかしていじめられているんじゃないかと問い掛けると、最初はしどろもどろに何とか言い逃れしようとしていたが、諦めない喜八郎の気迫に押され、全てを話してくれた。

「実は、何日か前にくノ一教室の先輩に言われたの。邪魔だから伊作先輩に近付かないでって。でも、どうしても嫌で、取られないようにずっと傍に居たの」

悲しげに目を伏せてそう呟く三葉に、伊作は酷く嬉しそうな顔をしてこっそりガッツポーズしていた。
対して喜八郎は、ずっとずっと見ていた少女が自分ではない人に恋焦がれていたのかと内心落胆し、ぎゅっと装束の胸元を握り締める。
それをじっと見守っていた身辺警護安全対策本部に属する者たち。その中にも同じように落胆の色を浮かべているものが数人…だがしかし、次に発せられた彼女の言葉で、全員がびしりと凍りつく。

「あの先輩、生前もよく伊作先輩のことをお話してたらしいんだけど…自分が実習の時にお亡くなりになったことにまだ気付いてないみたい。しかも、気持ちが気持ちだけに結構厄介なことになってて、だから私、心配で…」

そこまで話し俯いてしまった三葉。そんな彼女を見つめながら、その場の全員の胸中を“生前”“お亡くなりに”“厄介なこと”という言葉がぐるぐると巡る。
特に、てっきり三葉と両想いになったと勘違いしはしゃいでいた伊作のショックは相当なもので、青褪めながら『あれ、そっち系?』と呟いていた。

「なあんだ、そうだったの」

そんな伊作とは裏腹に、ご機嫌にそう笑ったのは喜八郎。彼はしょぼくれる三葉に『そのくのたまが諦めるまで、善法寺先輩は七松先輩と一緒にいたらいいんじゃないかな?』と提案し、なるほどと納得してしまった彼女の強い勧めにより、その日から伊作は当分無期限の“ようこそ伊作くん私が守ってやるからなの会(別名暴君満喫ツアー)”に強制参加と相成った。

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すいません、読み返すとあんまりラブラブじゃないですね…喜八郎いいとこ取りできてる?何だかこんなんですみません!!
藍様、リクエストありがとうございました



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