始まりの本

「三葉ちゃん、ちょっといいかな?」

作法委員会の活動を終え、夕食までの時間を何して過ごそうかなぁと考えてふらふら歩いていた私は、いきなり後ろから声を掛けられた。
その声に振り返ると、なにやら暗い雰囲気の伊作先輩がいて、その腕には見慣れたトイレットペーパーではなく、一冊の本が抱えられていた。

「伊作先輩、どうかしましたかぁ?」

「うん、ちょっとね。聞きたいことがあるんだけど」

仮にも最上級生が4年生の私に?そう思って首を傾げると、伊作先輩は困ったように笑って、優しく私の腕を引いて図書室へと向かった。



図書室は夕日に照らされているものの相変わらず少し薄暗く、その中で中在家先輩が当番をしていた。
中在家先輩が当番の時は『私語厳禁』『火気厳禁』『飲食厳禁』の3大厳禁が特に厳しく、それを侵す者には遠慮など一切なく、問答無用で中在家先輩お得意の縄標が襲い掛かってくる。すごく怖い。
過去に偶然見てしまった恐怖の光景を思い出しぷるっと身を震わす私をよそに、伊作先輩はトコトコと入室し、中在家先輩に向かって声を掛けた。

「長次、お待たせ」

喋ったりしたら縄標が!!と思って竦み上がる私だったが、中在家先輩がふるふると首を振る様子にぽかんと大きな口を開けてしまった。

「…こ……は、べ…」

中在家先輩のお口が大変小さく動いたが、私はその声を聞き取ることが出来ず、恐る恐る図書室に入室して先輩たちのところへと近付いた。

「三葉ちゃん、改めて。ちょっと聞いて欲しい話があるんだ」

中在家先輩がなんて喋ったかわからないままの私を軽くスルーして、伊作先輩はそう言って机の上に先程抱えていた本をそっと置いた。

「実は今日、6年は組の授業で調べものをしていたんだ。その時図書室を利用していて、いつもの如く不運に見舞われて転んで本棚に突っ込んだんだ」

「それは…いつものことですねぇ」

「あ、うん。それでその時に棚から本が雪崩のように降ってきてね、そのうちのひとつがこれ」

トントン、と置かれた本の表紙を指で軽く叩き、伊作先輩は続ける。

「で、僕は本を『全て』片付けて、教室へ戻ったんだ」

「???」

なんら不思議なことなどない伊作先輩の不運話を聞いていた私は、黙って首を傾げる。

「ここまでなら何にもおかしいことなんてないんだけど、その後自室に戻った僕の文机の上にね、この本が置いてあったんだ」

今までほわほわしていた伊作先輩の笑顔が、急に真剣味を帯びる。

「え?それって一体どういうことですか?」

「僕も最初は留三郎とか他の誰かが、図書室での不運を見ていて、忘れ物と勘違いして届けてくれたのかと思ったんだ。でも思い当たる人に確認してみても皆揃って違うと首を振った。そもそもその現場を見てたら落し物なんて思うはずもないしね」

「伊作先輩『全て』片付けたって言いましたもんねぇ」

「そう。それで僕はこの本を図書室に返却しなきゃと思って、当番の長次にこの本を渡そうとした」

するとずっと黙って話を聞いていた中在家先輩が、それに相槌を打った、ものの


「…だが、図書室に…こんな、本は…置いて…いない」



忍術学園図書室にある本は恐らく全て把握しているであろう、沈黙の生き字引とまで謳われる中在家先輩が見覚えがない、と言うのなら、この本は一体なんだろうか。

「伊作先輩、中在家先輩、この本を読まれちゃいましたか?」

私はなんだか嫌な予感がしてきて、恐々と先輩たちに問う。

「うん、長次と一緒に、さっき」

その言葉を聞き、私の中で突然ひとつの確信めいた思いが浮かんだ。

「私に聞きたいことって、この本の中身ですね?」

私の一言に、2人の先輩は揃ってこくりと頷いた。


伊作先輩が意を決したように、置かれた本の表紙を捲る。

「実は、内容と…長次から聞いた話が、無関係とは思えなくて…」

伊作先輩によってぱらり、と捲られた本は、よくよく見ると古めかしい。
そして、墨でもない、朱墨でもない、なんとも言えない茶色の【何か】で、こう書かれていた。

「えぇと、この本を…読んだ、ら、な…?な…?」

書かれていたのだけども、あちらこちら掠れたり汚れたりしていて、私には読みにくい。
伊作先輩から本を受け取り、どうにかして読んでやる、と、うにゃうにゃ悪戦苦闘していたが、そんな私を見かねて中在家先輩がすっと私の隣に移動して、読んでくださった。さすが図書委員会委員長。


「…この本を読んだら…七日以内に死ぬ」


もそもそと小さいながら優しい声で読み上げられた内容は、あまりにも不穏なものだった。
ぱらり、と今度は中在家先輩が貢を捲り、また小さい声で読み上げる。

「…死にたくなければ、物語を…完成させること」

こくり、と小さく息を呑む私を気遣わしげに見て、先輩2人は申し訳なさそうに俯く。

「最初はたちの悪い悪戯かと思ったんだけど、次の貢と、その後を読んだら悪戯なんかじゃないと思えてきて…変なことにならなきゃいいんだけど…」

ごめんね、と小さく謝る伊作先輩。
そんな優しい彼らに、私は緩く首を振る。

「いいえ、伊作先輩。中在家先輩。私にこの本を見せてくれてよかったです」

にこりと笑って、私は自らの手で貢を捲った。

「…巻き込まれて、しまっても…か?」

中在家先輩の優しい気遣いに、コクリと頷きながら、私は貢を読み進める。

「だって、先輩たちには」

そう言いながら、貢を埋め尽くすほどに墨で書かれた夥しい程の【助けて】という文字を指でなぞっていき




「きっと、この文字が、見えていないのですよね?」




その文字に覆い隠されそうになっていた、茶色い【何か】で書かれた【卜占村にて待つ】という文字を指し示した。
唖然とする2人の先輩の反応を見て、私はパタリと本を閉じた。

「三葉ちゃん、何か、書いてあったの?」

「ええ、とりあえずこれからの目的地が書いてありました」

「…【助けて】としか、書いてなかった…」

「いいえ、中在家先輩。卜占村にて待つ、と書いてありましたよ」

その村の名前を告げた瞬間、中在家先輩の肩がびくりと揺れた。

「長次…その村の名前って…」

伊作先輩も驚いた様子で、中在家先輩を見る。

「…ああ、先程、話した…噂の、場所だ…」

「噂、ですか?」

「さっきの長次の話だと、何年も昔に戦で廃村となったその村で、何故かずっと屍が発見され続けているらしいよ」

「…戦は、ずっと前に…終わっているにも、関わらず…だ…」


一体それはどうして、と3人で顔を突き合わせ考え込んでいると、静かな図書室にばたり、という音が響いた。
驚いて音のほうを見ると、触れてもいないのに例の本が床に落ちていた。

「うーん、どうやら悪戯ではないようですねぇ。早急に動きましょう」

机の下から伸びている、本を落とした白い手をペチンとひとつ叩き、私は本を拾い上げて伊作先輩に渡す。

「伊作先輩は、この本を決して肌身離さず持っていてください。それで、留先輩にもちゃんとお話して、力を貸してもらってください。伊作先輩だけだとさすがに荷が重過ぎますから」

「え、留三郎も巻き込んじゃうの?」

「そうしないと、伊作先輩七日も持たずに死んじゃいますよ?」

「死っ…留さァーん!!!」

「それと、中在家先輩。中在家先輩は小平太先輩と同室でしたよね?これから七日間、なるべく一緒にいるようにしてください。それとお手数ですが、今の話を1年は組の夢前三治郎くんに伝えてくださいますか?」

「…わかった」

「お願いしまぁす」



先輩たちにぺこりと頭を下げて、私はしろちゃんに応援を求めるべく、図書室を出て、忍たま2年長屋に向かった。

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