幸福な終幕

私はそのまま立ち尽くし、彼女の金色の瞳をじっと見つめて微笑んだ。

「…本当は、わかってるんでしょ?」

その言葉で、絹さんはびくりと体を震わせた。

「私の居場所を奪ったって、なぁんにも満たされないってことも…わかってるんでしょ?」

こてりと首を傾げてそう問うと、絹さんはぐっと眉を顰めた後に、俯いて悲しそうに笑って小さく頷いた。

「ごめんね、私は絹さんが欲しがってるもの、何一つとして持っていないの。この先“私”として絹さんが生きたとしても、絹さんが望む未来じゃないの。家族だって、友達だって、みんなみんな、絹さんじゃなくて“私”を見ちゃう…それも、わかってるんだよね…」

私の言葉を聞いて、絹さんはゆるゆると手を下げた。

『………ええ、ええ。わかって、いるの。本当は、ずっと…』

一度瞳を閉じて、何かを決心したかのようにゆっくり顔を上げた絹さんの瞳の色は、鮮やかな、赤。
まるで椿の花のように綺麗な赤い瞳をうるりと潤ませて、彼女はとても綺麗に笑った。

『…あなたは本当にいい子ね。今までごめんなさい…痛いことも、辛いことも、怖いことも、これで全部終わりにするわ………私を拒絶してくれて、ありがとう…』

「…ねえ、でもね、絹さん。私ね、怖かったけど、痛かったし辛かったけど、でもね、絹さんと会えてよかったと思ってるの。今度は、お友達になってくれたら、嬉しいなぁ」

『……あり、がとう…っ!!私も、私も、生まれ変われるのなら、今度こそ幸せになりたい…!!あなたと…三葉と、友達になりたいっ!!』

絹さんの瞳から、綺麗な涙がぼろぼろと零れる。それにつられるように、私の頬にも涙が伝う。
焼けるような喉の痛みを堪えていると、私の懐がキラキラと輝き始めた。
なんだろうと思い懐に手を入れると、そこには絹さんの本。それが、何故か眩い光を放ちながら、キラキラと輝いている。

『あぁ、暖かい…私の、大事な…』

そのキラキラに包まれるように、絹さんと本がどんどんと光に溶けていく。
優しい微笑みを湛えて、絹さんがぽわりと空に消えていったと同時に、持っていた本もすうっとその存在を消した。
それを見届けて、私はぐしぐしと乱暴に涙を拭った。

「三葉、三葉!!三葉!!」

光が完全に消え去ったと同時に耳に飛び込んできたのは、聞き慣れた声。
いつもは無表情なのに、今は泣きそうになって、私に向かって走ってくる。

「綾ちゃん!!」

「三葉!!よかった、三葉!!」

ぎゅう、と抱き締められて、私も必死に彼にしがみ付く。これで終わった。全部全部、やっと終わった。

「これでもう、本当にお仕舞いだよ」

そう笑って顔を上げると、綾ちゃんはもの凄く驚いた顔をして、そろそろと私の左目にある眼帯に触れた。
する、と彼の手によって奪われたアヒルさん眼帯。

「…よ、かった…よかった、よかった!!三葉、目が…!!」

私を抱き締めたまま、綾ちゃんはぼろぼろと泣き出してしまった。いきなりのことに驚いたけれど、どこか痛いのかと問いかけようとして開いた私の口から、言葉が出ない。
恐る恐る綾ちゃんの頬に手を触れて、彼の大きな瞳を覗きこむ。
そこに映るのは、かつての墨色。
そして、距離感も、視界も、かつてずっと見ていた世界。

「私の、目…」

「うん…綺麗な、墨色の、僕がずっと見てきた、きみの目だ…」

泣きながら、でも嬉しそうに笑う綾ちゃんにそう言われ、私は感極まって大きな声を上げて子供のように泣きじゃくった。
よかった、よかった、これで夢を追い続けられる。
綾ちゃんに抱き締められながら、私は夜が明けるまでその場で泣き続けた。




久しく感じてしまう、左目に突き刺さるような朝日。それはとても爽快で、涙が出るほど嬉しかった。
すっかり腫れてしまった目を重たげに開くと、いつからいたのか、逆光に照らされる3人の影が飛び込んできた。
私はその影に向かって、にっこりと微笑んで元気良く手を上げて、そして

「忍術学園に、帰りましょう!!」

心からの喜びを織り交ぜて、そう言った。


−−−−−−−−−−−−−−
学園に戻ってからは結構大変で、しろちゃんとさんちゃんに泣き付かれて、仙蔵先輩には心配掛けるなと叱られて、それでもしっかり抱き締められた。
学園長先生に報告に言ったら、可愛いお菓子をたくさんもらって、これからもしっかりと頑張りなさいと撫でられて、私の“日常”が戻ってきた。
相変わらず変なものはしっかりと見えるけど、でも、それも私の日常。

「大丈夫。三葉は、僕が、守るから」

「うん。いつもありがとう、綾ちゃん」

ぎゅっと手を繋いで、綾ちゃんと廊下を歩く。心なしか嬉しそうな綾ちゃんににぱりと微笑むと、突然ばしりと繋いだ手が解かれた。

「………何のつもりですか、先輩方…」

ぽかんとしている私をよそに、綾ちゃんがもの凄く不機嫌そうに低く唸る。
目の前には、伊作先輩を筆頭にしてずらりと並ぶ留先輩、小平太先輩、三郎先輩、雷蔵先輩、兵助先輩。

「抜け駆けは許さないよ、綾部」

にっこりと、それでもどこか黒い笑顔を浮かべた伊作先輩が、ひょいと私を抱きかかえた。

「三葉ちゃんは、僕が守るからね」

「ほぁ?」

全く状況を理解できないまま、ぽかりと伊作先輩を見上げると、また浮遊感。

「いーや、三葉は俺が守るから大丈夫だ。伊作には心配で任せられん」

「何を仰いますか食満先輩、三葉は私がしっかり面倒見ますので」

いや僕が、俺だ、私がと、次々にひょいひょい抱えられてぐるぐると先輩を移動していく私。

「な、何で喧嘩してるですか?!ひょわ、あわわわ…」

ぐいぐいと四方八方から伸びてくる腕に引っ張られながら困っている私を、仙蔵先輩と尾浜先輩が楽しそうな顔で屋根から眺めていた。

「も、ちょ、やめてくださ…っ!!仙蔵先輩!!尾浜先輩!!たしゅけて!!」

「ははは、そんなに大勢の男を誑かすとは、優秀なくノ一だな三葉」

「笑ってないで助けてくらしゃい!!」

あまりのことに噛みまくりながらも助けを求めて手を伸ばしていると、またもやひょいと、更に一際高く持ち上げられた。

「相変わらずモテモテだねぇ、三葉ちゃん」

「ほああ!?こなもんさん!?」

ぐんと上がった視界に驚いてしっかりとしがみ付いたのは、黒い装束と白い包帯の曲者さん。
彼は私を抱いたままひょいと飛び上がり、仙蔵先輩たちのいる屋根の上へ上がった。

「ありがと、ございます…」

「どういたしまして。すっかり元通りの様子で…よかったねぇ」

こなもんさんの言う元通り、というのが何を指すのか明確にはわからなかったけれど、私はコクリと頷いた。
すると、こなもんさんは満足そうに右目をにやりと細めて、眼下でぎゃいぎゃいと喚いている先輩たちに向かって楽しそうに声を掛けた。

「君たち、しっかり強くならないと、私が三葉ちゃんを浚っていくよ」

その一言に唖然としている先輩方と、私。
そんな中、綾ちゃんが踏鋤の踏子ちゃんでがんと強く壁を叩いた。

「例え貴方が相手でも、僕は絶対三葉を守ります」

強い眼差しを向ける綾ちゃんに続くように、先輩たちが殺気を込めてこなもんさんを睨む。しかし、そんなものどこ吹く風とばかりにこなもんさんはくすくすと笑った。

「おやおや、これは怖い。三葉姫様も大変だねぇ」

そう言って私の頭を撫でる。
私はようやっと、綾ちゃんたちから向けられる感情に気が付いて、染まった頬を隠すように俯いた。


−きみの目 終幕−


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