忌まわしい場所と彼女

真っ黒な、まだ焦げ臭さが残るお人形をそっと拾い上げて、開けたばかりの扉を再度閉める。
眩しい陽射しを遮った部屋はどこか薄暗く、その光の届かない隅からは今にもまた【アレ】が現れそうだった。

「………嫌な予感、するなぁ…」

しかし、そうも言っていられない。
私は押入れの中から大きな皿と3本の棒を取り出し、机の引き出しから取り出した糸でお人形をぐるぐる巻きにした。

「…やっちゃだめって言われてるけど、きっと、もう、時間がないんだ…」

誰にでもなく1人呟き、私は皿に水を張り、その周りに三本の棒を立て、その中心からお人形を吊るす。
当然部屋の中、風などありはしないが、しばらくすると大きな皿に張られた水が波紋を描き始めた。

「お告げください お告げください 私を導く場所を お告げください」

顔の前で手を合わせそう呟くと、ちゃぷ、と一度水音がし、大きな皿の上に吊るされた人形がぐるぐると不思議な動きを始めた。
そのうち、ぶちりと音がした後、人形はばしゃんと水に落ちた。

「…北東…ということは…」

落ちた人形が指し示す方角に、忌まわしい記憶が蘇る。
その方向にある、絹姫に関係のある場所…それは以前も訪れたことのあるシャグマアミガサタケ城跡地。
私はどくどくとうるさくなった心臓を押さえ、大きく息を吸うと、手早く荷物を纏めて部屋を飛び出した。
朝もやが綺麗な、朝だった。




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それから数刻後、朝食に誘おうとずっと食堂の前で彼女を待っていた喜八郎が、いくら待っても来ない三葉をいぶかしんで、こっそりくノ一長屋に様子を見に行った。

「三葉、寝坊?朝ご飯…」

なくなっちゃうよ、と続けようとした喜八郎だったが、彼女の部屋はもぬけの殻。
そのかわり、部屋の中心に見慣れないもの。
途端に胸騒ぎを感じ始めた喜八郎は普段ののんびりさなど微塵も感じさせないほどの機敏な動きでくノ一長屋を飛び出し、三葉の弟である時友四郎兵衛のところへと走った。
そのあまりにも焦燥感溢れる彼の表情に、すれ違った生徒は驚く。

「綾部?」

それは善法寺伊作も同じで、普段とは違う彼の様子に驚きながらもすれ違いざま彼の名前を呼んだ。
咄嗟に振り返った喜八郎は真っ青な顔をしており、伊作は思わず息を呑む。

「ど、どうしたの?具合でも悪いのかい?真っ青だけど…」

「いなく、なったんです…」

「え?」

「いなくなったんです、三葉が、どこにもいないんです!!」

保健委員長として放っておけないと思った伊作が声をかけると、珍しく大きな声で予想もしなかったとんでもない言葉が返ってきた。
その喜八郎の言葉に、弾かれたように数人の生徒が駆け出す。
先陣を切って走る喜八郎に続くように、その全員が一目散に、2年生の長屋を目指していた。


その後彼女の弟である四郎兵衛と合流し、先生に許可を貰って三葉の部屋を訪れた。
喜八郎が訪れた時のまま、部屋には妙なものが置かれている。
しかし、それを見て四郎兵衛はがたがたと震え出した。

「ま、まさか…」

小さく呟いた後、四郎兵衛は物凄い勢いで喜八郎に掴みかかった。その形相は必死であり、そして、何かを悟ったようだった。

「綾部先輩、最近、おねえちゃんの周りでおかしなことはありませんでしたか!?」

「おかしなことって…怪異ならほぼ毎日…」

「そうじゃなくて、あの、例の本の関係で!!」

例の本、と聞いた途端、喜八郎と共にその場に居た仙蔵の顔がさぁっと青くなる。

「思い当たることがあるんですね!?おねえちゃんはきっと、それに会いに行きました!!」

「どういうこと…?」

「これは、探し物を探す道具です。力が強い人間が使うと、“それ以外のモノ”の在り処だって教えてくれます!!きっとおねえちゃんは例のお姫様の居場所をこれで探したんだ…!!」

今にも泣き出しそうな顔で人形を指差す四郎兵衛の言葉に弾かれるように、喜八郎が長屋どころか学園をも飛び出した。

「喜八郎!!戻れ、喜八郎!!…クソッ、伊作、留三郎!!喜八郎の後を追ってくれ!!私はとにかく学園長先生に報告してくる!!」

仙蔵の言葉に頷いた伊作と食満留三郎が部屋を飛び出し、その後に続いて鉢屋三郎も駆けて行った。

「とにかく落ち着け、四郎兵衛。お前はすぐ小平太のところへ行って説明してこい!!場合によってはあいつが先陣を切ることになる。それから不破雷蔵、お前は私と共にこい、先生に説明するぞ!!その他の4年生は学園で待機、5年生は許可がでた者だけ出掛ける準備をしておけ!!」

てきぱきと指示を飛ばして、仙蔵は雷蔵を引き連れて職員室へ駆け出した。
そのほかの生徒たちも、受けた指示通りに各々駆け出していく。
その中で、兵助だけが、三葉の部屋に残された見慣れないもの…その皿の中に落ちているぐずぐずになった人形をじぃっと、見つめた。

「…選択を、誤るなよ…三葉…っ!!」

そして苦しそうに呟いた後、静かに扉を閉めて、自室へと駆け出した。




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まだ昼前だと言うのに、雲行きが怪しい空。
今にも雨が降り出しそうな空を見上げて、私は大きく息を吐いた。
まだあの恐怖が、痛みが、ありありと思い出せる。
そんな記憶を無理矢理抑え込んで、とことこと瓦礫の中を歩く。

「絹さん、絹さん、三葉です」

そう呼びかけながら、歩みを進めていくと、以前は気付かなかったが少し開けた場所に出た。
中庭、だったのだろうか、焼け焦げた瓦礫の中に土と少しの緑が覗く。
なんだか気になって足を踏み入れてみた途端、左目に物凄いノイズが走り出した。

「わ、っく…」

思わずふらついた体を何とか支え、ふらふらする頭で周囲を見渡し

そして、悪夢のような時間が始まった。

相変わらず目を背けたくなるような凄惨な姿。真っ赤な着物に、黒が不気味なほど映える。
爪の剥げた青白い腕を伸ばし、のろのろと近寄ってくる姿は恐怖でしかない。
喉の奥に引っかかって出てこない悲鳴をそのままに、私は歯を食いしばって正面からその姿を睨みつけた。
以前とは明らかに違う、憎悪の念。
それを滲ませる虚ろな空洞を必死に睨みつけると、激しさを増すノイズ。
そのノイズに耐え切れなくなって膝をついた私の頭上から、きいきい、けたけた、とまるで黒板を引っ掻くような不快な嗤い声が私の耳に届いた。


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