赤い闇と彼女

かたん、と小さな音が鳴った。
何の音だったっけ、と考えながら、重たい瞼をうっすらと開く。
暗い自室、まだ寝入ってからそう時間が経っていないようにも思えるが、なんとなく音が気になり体を起こす。
目を擦りながら部屋を見渡して、一気に意識が覚醒した。

「……なんで…」

目を見開いて見つめる先には、いつか三ちゃんが燃やしたはずのあの可愛らしいお人形さんがゆらゆらと揺れていた。
がばりと布団を撥ね退けて立ち上がり、ごくりと喉を鳴らす。起き抜けの頭を回転させていると、ふと違和感を感じた。
以前のお人形は、綺麗な赤い着物を着ていたはず。しかし、目の前でゆらゆらと揺れる人形は、青紫色の着物。また学園の誰かが呪いの込められた人形を貰ったのかと思案していると、ずずず、と不気味な音が部屋に響いた。

「…う、動いてないのに…こっちに来てる…?」

だらりと伸びた黒い髪を蠢かせて、青紫色の着物を来たお人形さんは、ゆっくりと近付いてきていた。
私は慌てて部屋を飛び出し、真っ暗な長屋を駆け抜ける。ずざざざ、という不気味な音が背後からついてくるので、必死に、振り返らず。
塀を飛び越え、気配を消して6年長屋まで辿り着き、小さく、それでもしっかりと角部屋の扉を叩いた。

「夜分にすみません、仙蔵先輩、助けてください」

小声でそう呼びかけると、中からばさりと言う音が聞こえ、すぐ扉が開いて部屋に引きずり込まれた。

「何があった、三葉」

「わ、わかりません、以前のお人形がまた部屋にいて」

「来たぞ仙蔵」

寝巻き姿の仙蔵先輩に片腕で抱えられていると、鋭い目をした潮江先輩が扉を睨みつけて小さく呟いた。
それと同時に、バン、ガン、と扉を叩く音が響く。
普通、寄せ付けない仙蔵先輩と祓える潮江先輩がいれば、大抵の怪異は収まる。しかし、いつもとはなんだか様子が違うそれに、私はさっと血の気が引いた。

「な、んで?…入って、くる…」

「なんだと?」

「チッ…小平太!!」

カタカタと震える私の呟きに、仙蔵先輩が眉を顰めて扉を睨んだ。そして、私と同じ“視える”潮江先輩は、一度壁をがんと叩き大きな声で小平太先輩の名を呼んだ。
バンバンと激しくなる扉を叩く音。一際大きくガァン、と鳴って、扉は開いた。

「まだ食べられます!!」

しかし、そこにいたのは眠気眼を擦りつつもまだ覚醒しきっていない小平太先輩だった。
張り詰めていた緊張の糸が小平太先輩の寝言によってぶっつりと切られた私は、へなへなとその場に座り込んだ。
仙蔵先輩が苦笑しながらもお布団に運んでくれたので、私はお言葉に甘えてその夜は仙蔵先輩と一緒に寝ることにした。いい匂い。すごいいい匂い。

翌朝目が覚めると、既に仙蔵先輩は起きていたようでしっかりと身支度を整えた状態で髪を結っていた。

「三葉、おはよう」

「ふわぁぁ、おはよごじゃいましゅ…」

「突然だがな、これから出かける。すぐに身支度を整えてこい」

そう言われ、私は首を傾げたものの、仙蔵先輩に今一度急げよと釘を刺され、井戸で顔を洗って自室に戻り、着替えてもう一度仙蔵先輩たちのお部屋を訪れた。

「はぅあっ!!?」

するとそこには仙蔵先輩と潮江先輩のほかにも小平太先輩、5年生の尾浜先輩と竹谷先輩、そして綾ちゃんとしろちゃん、三ちゃんが居た。

「な、なんですかこの鉄壁…」

「三葉、よく聞け」

あまりのオールキャストっぷりに驚いていると、真剣な顔をした潮江先輩が私に1枚の紙を握らせた。

「昨日の人形は以前のものとは違う、何か強い干渉を受けた“呪い人形”だ。アレはお前を呪い殺すまでどこまでも憑いてきやがる。だからお前はこれから破無山宗成寺まで行って、この札を身代わりにしてこい。“何か”が一度死ねば、呪いは終わりだ」

「身代わり…」

「破無山宗成寺までの道すがら何があるかわからん。だから、こいつらの中から好きな奴を2、3人連れて行け」

そう言って、潮江先輩は親指で背後を指し示した。なるほど、だからオールキャストだったんだと納得し、でも私はゆっくりと首を振った。

「大丈夫です。1人で行きます」

私のその言葉に、全員がぎょっとした。口々に危ない、だめだ、何かあったらどうするんだと言われたけれど、それでも私は一人で行くと言い張った。
だって、そんな危ないことに、誰も巻き込みたくないもん。
そう言うと、喚いていた皆は一斉に口を噤んでそれぞれ顔を見合わせて大きな大きな溜息を吐いた。




心配そうな顔の皆に見送られて、私は一人、は破無山宗成寺を目指して学園を出た。道中何事もなく、無事に辿り着いた私は和尚様にお願いをして、潮江先輩に渡されたお札をお堂に納め、学園に帰った。
正門ではずっと待っていてくれたのか、綾ちゃんが地面を突きながら1人ぽつりとしゃがんでいて、私はその姿を見つけて嬉しくなり、走った勢いそのままに飛びつく。

「綾ちゃん、ただいまぁ!!」

「三葉!!大丈夫だった?何もなかった?ちゃんと出来た?」

「大丈夫、ちゃんとできたよ」

「そっか、よかった…えらいえらい」

そう言って笑った綾ちゃんに撫で撫でしてもらい上機嫌になった私は、手を繋いで食堂に向かった。





その日の夜、ふと吐き気を催して目を覚ました。
厠に行こうかどうか悩んでとりあえず体を起こした瞬間、左目に走る物凄いノイズ。吐き気の原因はこれかと眉を顰めたら、部屋の片隅に赤いものが見えた。

「ひっ…」

喉の奥から漏れてしまった悲鳴。だって、部屋の隅の赤いもの…赤い着物を纏った【絹さん】は、あの青紫色の着物を着たお人形を抱いていたから。

【騙シタ…ナ…】

地の底から響いてくるような、そんな不気味な声で、絹さんはその真っ暗な闇で私を睨んでいた。彼女が喋るたびに、口からはぼたぼたと真っ赤な何かが溢れている。
何も答えられず、ただはくはくと口を開閉するだけの私を見て、絹さんはにぃと不気味に哂い、その虚ろな闇で私を見て、ゆっくりと指を差した。

【返シ、テ…返シテ……】

数回呟いた後、絹さんはその姿を消した。

はっとしたその瞬間見えたのは、見慣れた自室の天井。今までのは夢だったのかと体を起こして、くぁ、とあくびをひとつ。
うっすらと差し込む朝の日差しに気分転換と扉を開けると、何かがこつりと足に当たった。

「っ…!!」

廊下に落ちていたのは、真っ黒に焦げた紙を顔に貼り付けた、ぐちゃぐちゃのお人形だった。


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