恋する乙女と彼女

どたどたと激しい足音が聞こえて、ぼくはからくりから視線を上げた。

「さささ三治郎!!たたた大変だぁぁぁ!!」

それと同時に部屋に飛び込んできたのは、同室の兵太夫。かなり慌ててるみたいだけど、しっかりからくりの起動スイッチは避けてた。さすがだね。

「どうしたの兵太夫?そんなに慌てて…」

また乱太郎たちが厄介事でも持ち帰ってきたのかと思い暢気に問い掛けてみると、想像の斜め上を行く答えが返って来た。

「先輩が…三葉先輩が取り憑かれちゃったんだ!!」




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大慌ての兵太夫に腕を引かれるまま、ぼくも慌てて作法室へと駆け込んだ。
そこには既に人だかりが出来ていて、ぴりぴりとした空気になっている。
そんなに酷いものに取り憑かれてしまったのかと驚き、人ごみを掻き分けて中心部に顔を出したぼくが目にしたのは、6年生の食満留三郎先輩にぎゅうと抱きついている三葉先輩と、2人を物凄くおっかない目で睨みつけている4年生の綾部喜八郎先輩、5年生の鉢屋三郎先輩、そして、6年生の善法寺伊作先輩と立花仙蔵先輩。

「あ、あの…」

恐る恐る声を掛けてみると、ギラリとした視線そのままに立花先輩が待っていたぞ、と小さく呟いた。
それと同時にいつもはとっても穏やかな善法寺先輩が鬼のような形相でぼくの肩を掴んでがくがくとゆすぶる。

「夢前君!!早く!!早く何とかしてくれ!!」

前後に揺すられぐらぐらと揺れる視界で、一体何があったのかをまず教えてくださいと何とか問い掛けると、善法寺先輩がはっとして謝りながらぼくの肩から手を離した。

「…数刻前、留三郎に小平太が壊した医務室の箪笥を修理してもらってたんだ。そしたら、突然三葉ちゃんが来て、留三郎に抱きついて、す、す、好きだって言って…」

そこまで話してがっくりと項垂れてしまった善法寺先輩。その後ろでは、大切な踏鋤の柄を握り潰しそうなほどに握っている綾部先輩が、瞳孔が開ききった瞳で食満先輩を睨みつけていた。

「普段の三葉ではない。喋り方も笑い方も立ち振る舞いも全くの別人でな、おかしいと思って名前を聞いたらやはり別人だった。早急にどうにかしてもらおうと兵太夫を向かわせた」

さぁ今すぐ何とかしろすぐに何とかしろと立花先輩に暗に告げられ、とにかく本人から理由を聞かなければどうしようもないと、ぼくたちは作法室から医務室に移動した。その間も、三葉先輩は食満先輩にぴったりくっついたまま離れなかった。



医務室に入るなり、ぶわりと全身に鳥肌が立つ。
ただでさえアレなモノが集まりやすい医務室に、ここまで殺気立った人たちが集まると壮絶だなぁ、なんて考えながら、ぼくは三葉先輩の前に腰を下ろした。
でれでれとした食満先輩の腕にぎゅっとしがみ付いたままの三葉先輩に、こんちには、と軽く頭を下げる。

「初めまして。ぼく、夢前三治郎って言います。貴女は誰ですか?」

「…私は、花と申します」

「花さん、ですね。貴女は既に亡くなっているという自覚はありますか?」

「はい、あります」

しっかりと返ってくる返答に、ホッと一安心する。ここで死んだ自覚がないモノだとちょっと厄介なことになるけど、どうやら三葉先輩に取り憑いている花さんという女性は純粋に何か未練があるだけのようで。
それならば、その未練を断ち切ってやれば三葉先輩から出て行ってくれるはずです、とぼくは先輩たちに告げた。

「それで、目的は何だ。さっさと吐いてさっさと成就してさっさと三葉から出て行け」

「たたた立花先輩ちょっとおちおち落ち着いてください」

絶対零度の瞳で食満先輩を睨みつけながら言い放った立花先輩を、顔面蒼白の兵太夫が盛大にどもりながらも何とか宥める。

「…それが、成就したはずなんですけれど…」

そんな中で、花さんがか細い声でぽつりと零した。

「成就したはず?それは一体どういうことですか?詳しく教えてください」

「えっと…その、お恥ずかしながら、私は病気療養しておりましたとある村でこちらの方をお見かけしまして、先はないと思いながらもこっそりとお慕いしておりました。死んでからも想いを伝えられなかったことだけが未練で…彷徨っていたところ偶然この方をお見かけして、少しこの少女の体をお借りしたのですが…」

花さんのその言葉に、ぼくは首を傾げた。最初に善法寺先輩に聞いた話だと、既に花さんは食満先輩に思いを告げている。花さんも花さんで、想いを伝えられなかったことだけが未練ならもうとっくに成仏しててもおかしくない。
一体どういうことだろう、と考えていると、不機嫌そうに壁に凭れ掛かっていた鉢屋先輩がはっとして駆け寄ってきて、目にも止まらぬ早業でその顔を変えた。

「おい、花とか言ったな。お前ひょっとして人違いをしていないか?」

そう言いながら顔を上げた鉢屋先輩の顔は、同級生の喜三太に何度か会いに顔を見せている風魔流忍術学校の錫高野与四郎さんだった。
驚く花さんに、鉢屋先輩は外見の他に、例えば喋っているところなどを見たことはないかと問い掛けると、彼女は暫く考えて、そして、はっとした。

「そういえば、一度だけですが…灰色の装束を着たおじさんと話しているところを見かけたことが…」

「人違い確定だな」

錫高野与四郎さんの顔のまま、鉢屋先輩はそう言って額を押さえた。
それとほぼ同時に、立花先輩が兵太夫の名前を呼ぶ。

「兵太夫、すぐに山村喜三太のところへ行って錫高野与四郎の居場所を聞け。絶対医務室には連れてくるなよ!?四郎兵衛、お前は兵太夫と共に行って、居場所を聞いたらすぐさま小平太を迎えに向かわせろ。急げ」

「「はっ、はいぃぃ!!」」

ぎらぎらとやはり瞳孔が開ききった瞳でそう告げた立花先輩に、兵太夫と時友先輩が飛び上がって慌てて医務室を飛び出していく。そして、立花先輩はそのままゆらりと食満先輩を見てにこりと笑った。顔だけ。

「お、俺被害者だからな!?」

「そうだな。この女の勘違いだな。なぁ伊作、喜八郎、鉢屋…」

その綺麗な笑顔に何かを感じ取った食満先輩が、離れてしまった三葉先輩を名残惜しそうに見てから、慌てて顔の前でぶんぶんと手を振る。
そんな食満先輩に、じりじりと詰め寄る笑顔の先輩4人。なんか妙な雰囲気。

「うん、留さんは被害者だね。だけど、ねぇ、鉢屋…」

「ええ、間違いないと思いますよ。でもなぁ、綾部…」

にこにこと顔だけはいつもの笑顔の善法寺先輩が、いつの間にか不破先輩の顔に戻った鉢屋先輩と頷き合いながらどんどん距離を詰めていく。

「そうだ、俺は被害者だって。だから、な、その…とりあえず落ち着け?」

「留三郎、ぎゅうぎゅうと抱きついてくる三葉は可愛かったなぁ?」

「おう!!…って、しまった!!」

立花先輩の笑顔の問い掛けに素直に答えてしまった食満先輩が慌てて口を押さえる。けれど、しっかりと全員の耳にその声は届いてしまった。
その声で、ずーっと下を向いて黙っていた綾部先輩の額に、びしりと血管が浮き上がった。

「おやまあでれでれとしてみっともない食満先輩ほどの人なら三葉の違和感にも花とやらの勘違いにも気付いてもおかしくはないのにどうせ役得だと思ってたんでしょうこの変質者」

一瞬だけギラリと輝いた綾部先輩の瞳。息継ぎもなしに呟かれた言葉に、怒りの大きさを知る。次の瞬間医務室と言わず学園中に響き渡った食満先輩の断末魔を背に、ぼくは巻き込まれないうちにそっと医務室を出て静かに扉を閉めた。




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夕暮れで空が赤く染まった頃、きょとんとした錫高野与四郎さんを連れた七松先輩が医務室にやってきて、花さんは無事想いを告げて三葉先輩の体から出て行った。食満先輩の姿が見えなかったけれど、ぼくはそれに触れない。怖いもん。

「ほぁぁ…一時はどうなるかと…皆さん、ご迷惑とご心配をお掛けしましたぁ…錫高野さんも、遠いところわざわざすみません」

花さんに意識も体も乗っ取られていたらしい三葉は、そう言ってぺこりと頭を下げた。
三葉先輩が元通りになったことで立花先輩、善法寺先輩、鉢屋先輩、綾部先輩の機嫌もすっかり元に戻り、ホッと一安心。
七松先輩に連れてこられた錫高野与四郎さんも丁度忍務の帰りだったらしく、理由を聞いたらけらけらと笑っていた。

「そっかぁ、そらてーへんだったーなぁ。しっかし、こったらめんけー女子がおったったー知らんけった。喜三太の友達けー?」

「えっ?えっ?」

「ん?あぁ、えーっと、大変だったな。しかし忍術学園にこんな可愛い子が居るとは知らなかった。1年生か?」

「あ、えとっ、違います!!私もう4年生ですよぅ!!」

「はは、そうかそうか。三葉だっけ?また今度来た時はよ、喜三太と一緒にかくれかんじょーしてあすんベーよ」

じゃーなー、と手を振って、錫高野与四郎さんは喜三太の顔を見てから帰ると医務室を出て行った。
機嫌がよくなった綾部先輩が三葉先輩に声をかけようと近付いたその時、静かな医務室に小さな呟きが零れ落ちる。

「……錫高野、与四郎さんかぁ…」

まだ少しだけ花さんの思念が残っていたのか、ちょっとだけ熱っぽく呟いた三葉先輩のその言葉に、再度立花先輩、善法寺先輩、鉢屋先輩、そして綾部先輩の瞳に憎悪の炎が灯ってしまった。

「…やらん。うちの子はやらん!!」

いつも優雅な立花先輩からは想像も出来ないような、まるで獣のような呻き声。その呻き声を掻き消すように、立花先輩がダン、と力強く踏み鳴らした床下から食満先輩っぽい悲鳴が聞こえたけど、ぼくは聞かなかったことにした。


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