臨海学校と彼女

ある日、学園のあちこちに貼られた【臨海学校 参加者募集】の貼紙。
タカ丸さんの強い希望もあって、私たち4年生は珍しいことに5人揃って参加することとなりました。

忍術学園(特に1年は組)と仲のいい兵庫水軍を率いる兵庫第三共栄丸さんらが笑顔で迎えてくれて、私たちを含む全参加者はキラキラと輝く海に大はしゃぎ。
そんな私たち忍術学園の生徒に気を良くしたのか、兵庫第三共栄丸さんが元気良く手をあげて、大きな声で叫んだ。

「よーし、天気もいいし、これから海に出るぞー!!」

その一言で、嬉しそうに船に乗り込む私たち。
ぎぃこ、ぎぃこと勇んで舟を沖へと向ける兵庫水軍さんたちはとてもかっこよく、私は船から落ちないように気を付けながら、綾ちゃんと一緒に海を眺めていた。

「波がきらきらしてるねぇ」

「おやまあ、三葉は海が好きなの?」

「海、も、好きだよー」

爽やかな潮風に吹かれて、どこまでも続く水平線を暫く眺めていると、出発時とは打って変わってぐったりとした兵庫第三共栄丸さんに、鬼蜘蛛丸さんが何かを囁いていたのが見えた。
体調でも心配しているのだろうか、と不思議に思っていると、突然空が曇り始め、穏やかだった波はあっという間に高く激しくうねり、ごうごうと風が吹き荒れた。

「シケたか…戻るぞー!!」

蜉蝣さんの号令で、舟は方向転換をし、岸に向かう…筈だった。
どことなく焦るを見せる兵庫水軍に違和感を感じた私は、たまたま傍に居た義丸さんの袖をくいと引いた。

「あの、どうかしたんですか?」

「え、あぁ、その、海がシケて岸に戻ろうということになったのですが、」

私の問い掛けに、義丸さんはなんだか言いにくそうに言葉を濁した。それに違和感を感じた私と綾ちゃんは顔を見合わせて首を傾げる。
その時、背後から由良四郎さんの驚いた声が聞こえてきた。

「な、なんだ、あれは…!?」

ばらばらと降り始めた雨に濡れながら、そう叫んで指を差す由良四郎さん。
彼の指し示す方に目を向けると、途端に左目にノイズが走って、私は思わず眼帯を押さえた。

激しい風と雨の中、どうやら戻るべき岸を見失ってしまったらしい兵庫水軍の舟の前にゆらゆらと現れたものを見て、疾風さんと数人の生徒たちの喉から短い悲鳴が漏れた。
それはぼろぼろの船体を波に揺らしながら、激しい風にズタボロの帆を靡かせて、ゆっくりと兵庫水軍の舟に寄り添った。

「ゆ、幽霊船だ…!!」

「おやまあ、そうみたいだね」

滝くんの小さな呟きに、綾ちゃんは私を支えながらそう答えた。
それを聞いてしまった疾風さんは、頭を抱えながら南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と呟き震えている。
他の人たちも、初めて遭遇するらしいこの状況にすっかり混乱してしまい、柄杓は渡すなとか水面を覗き込むなとか大騒ぎしていた。
そんな騒ぎの中、ぎしりと音を立てて、ぼろぼろの船から青白い顔の男の人がふらりと出てきて、船酔いに苦しむ兵庫第三共栄丸さんに小さな声で話し掛けた。

「どなたが存じませぬが、お助けください。大シケで積荷も流され、水もありません。どうか、後生ですから、真水をいただけませんか?」

うっぷ、とせり上がるものをなんとか堪えながら、兵庫第三共栄丸さんは小さく頷いて鬼蜘蛛丸さんを呼び、よろよろになりながらも真水をやれと指示をした。

「お頭!!駄目ですよ!!船を沈められてしまいます!!」

しかし、それに反対したのは震えていた疾風さん。
そんな彼に、兵庫第三共栄丸さんはぐいと袖口で口を拭い、眉を下げた。

「馬鹿野郎、海の上で飲み水を失う恐ろしさは、俺たち海の男が一番よく知ってるだろう。それに、見てみろ…」

そう言い、兵庫第三共栄丸さんは指をさした。恐々と疾風さんがそちらを向くと、そこには男性と同じような真っ青な顔の女性や子供たちもいた。

「いくら幽霊とはいえ、こんな子供を見捨てるなんて、俺にはできん」
 
キリリとそう言って、兵庫第三共栄丸さんはまた海に向かって顔を伏せた。
そんな船酔い酷いけど男気溢れる船長の姿に、兵庫水軍の人たちは顔を見合わせて、仕方がないとでも言いたそうな笑みを浮かべた。

「お頭命令だー!!ありったけの水をやれー!!」

蜉蝣さんが兵庫第三共栄丸さんの代わりに叫び、船に積まれていた水筒がぼろぼろの船体に投げ込まれる。
私も、たまたま持っていた水筒を、目が合った女の子にどうぞと笑顔で手渡した。
すると、それを受け取った女の子は私と水筒を交互に数回見て、にっこりと笑ってか細い声でありがとう、と呟いた。
あるだけの水筒が投げ込まれ終わると、男性は深々と頭を下げて、お礼を言った。

「ありがとうございます、ありがとうございます。このご恩は、決して忘れません」

激しい風にも何故か掻き消されないその声を最後に、ぼろぼろの幽霊船は現れたときと同じように、ぎぃこ、ぎぃこと静かに沖へと消えていった。
すると、不思議なことに、今まで酷かった風も雨もぴたりと止み、遠目ながらも水軍館が肉眼で確認できるほど空は晴れ渡り、波も穏やかになった。

夢か、はたまた幻かと首を傾げる兵庫水軍の人たちは、気を取り直して岸へと船を漕ぎ出した。
そんな海賊さんたちの背中を見ながら、私はこっそり笑った。

「えへへ、幽霊船って初めて見たー」

「…相変わらず暢気だね、三葉は」

呆れたような綾ちゃんの呟きに、滝くんがお前もな、と苦笑した。



そんな不思議なことがあった翌朝、やけに騒がしい声で目が覚めた私たちは、声が聞こえる砂浜の方へ向かった。
そこには信じられないほどの大量の魚を眺めながら喜ぶ兵庫水軍の姿があった。
私はそれを見て、足元に転がってきた見覚えのある竹をひょいと掴みあげる。

「ふふ、恩返しってことなのかなぁ?」

「ん?嬢ちゃん、何か言ったかい?」

「いいえ、なんでも。暫くは大漁が続きそうですねぇ」

私の言葉に反応した兵庫第三共栄丸さんににこりと笑いかけてそう言うと、彼は不思議そうに首を傾げた。


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