赤い穴と彼女

ふわぁぁ、と大きなあくびをひとつ。
いい天気の日に日向ぼっこしてると、勝手に眠くなるからすごいなぁと思いながらぼうっと空を眺めていたら、突然、物凄い悪寒がした。
まるで体中の毛が逆立つような、そんな感覚と共に襲いくるのは、三半規管を狂わすような左目のノイズ。
突然のことに驚いていると、見えないはずの左目に映る、赤。

「う…絹、さん…」

まさかこんな天気のいい昼間から遭遇するなんて思いもしなかったので、私はよろよろとよろめきながらも必死に立ち上がり、ずるずると迫り来る赤から距離を取る。
何とかして誰かのところへ行かないと、と足を動かすも、背後からはぐちゃぐちゃと不気味な足音。
ぐらぐらと揺れる視界で懸命にそれから逃れようとしたその時、ずっと足元が崩れた。
しまったと思ったときには既に、深い深い穴の中。
そういえば、綾ちゃんが最近ここら辺に深いの掘ったから、気を付けないと駄目だよって言っていた気がする。

早く出ないと、と懐から苦無を取り出し、壁につきたてたその瞬間。
ぽかりと丸く切り取られたそこに、赤くて黒いもの。
壁を登ろうとしていた私の顔に、ぼたぼたと垂れる何か。

「ひっ…」

驚いてつい零れた悲鳴に、絹さんはぐちゃと笑い、ずりずりと私が落ちた落とし穴に板のようなものを被せていく。
どんどん暗くなっていく穴の中から、唖然とそれを眺めていたが、はっとして再度苦無を壁に突き立てる。

「待っ…」

待ってと、そう叫んだがしかし、無常にもずずと板は全ての光を遮断した。
慌てて壁を登り板をどかそうとするも、何か重石でも乗せたのか、板は微動だにしない。
すっかり閉じ込められてしまったらしい私は、動かない板を押すのを諦め、素直に誰か助けに来てくれるのを待つことにした。

穴の底に座り込み、外の音が全く聞こえない暗い暗い場所で、先程の絹さんの行動を思い出す。
今までは、追いかけて捕まえようとして、というのが定番だったからきっと何か意味があるんだろうけれど、とそこまで考えて、突然頭を打った何かにびくりと肩を揺らした。

「な、なに…?」

当然返ってくる声などありはしないのだけれど、思わず零れてしまう。
恐々と手で触れてみると、頭のてっぺんに何か濡れた感触があった。
それは微かな水滴のようで、ぽつん、ぽつんと間隔をあけて私の頭に振ってくる。

「…っやだ…!!」

サッと頭を過ぎったそれに青褪め、私はその場からちょっと体をずらした。しかし、どうしてか不思議なことに、水滴はずっと、どんなにごそごそと移動しても、私の頭に降って来る。
何か、せめて頭に乗せられるものは…と体中を弄るが、何も持っていない。

「どうしよ…どうしよう…!!」

真っ暗な穴の中で、ぽつぽつと頭を打つ水滴。
それは、ちょっと前に習った拷問の仕方に他ならなかった。
ゆっくりゆっくりと、気を狂わせる拷問方法…それはまさに今、自分がされているような…そこまで考えて、私はぶんぶんと首を振って大きな声で助けを求め始めた。

「だれかー!!だれかいませんかー!?たすけてくださーい!!」

必死にそう叫ぶも、何の気配も、足音すらも聞こえない。
ただ気ばかり焦ってしまい、喉が痛むのも気にせず叫び続けた。
だが、やはり助けは来ない。

「どうしよ…やだ、やだやだやだぁ!!」

ぽたぽたと垂れ続ける水滴にすっかり動揺して、私は思わず頭を抱えてしゃがみこんだ。
すると、ふいに足元に落ちている何かに気が付き、そっとそれを拾い上げた。
暗がりの中でほんわりと目に見えるそれは、大振りの白い花のようだった。

ほんの少しだけ、それを見て気分が落ち着いた私は、先程からぽつぽつと水滴が当たる頭の上にその花をちょんと乗せた。

「…あは、花笠だぁ…」

気を紛らわせるようにそう小さく呟いて、私はとうとう穴の底で小さくしゃがみこんだ。じわりと浮かぶ涙に、思わず自嘲の笑みが零れる。
これだけのことで泣いていたら、しろちゃんに笑われちゃうや。
そう思っても、浮かぶ涙はとうとう頬を伝って穴の底を濡らした。
その時、白い花を乗せたところに、ふわりと暖かな感触を感じてそっと顔を上げた。
目の前には、壁から突き出した白い手。その手はふわふわと、私の頭を優しく撫でてくれていた。
異常な光景かもしれないが、それでも私は嬉しくて、その手に向かって話しかけた。

「慰めて、くれてるの?あ、ひょっとして、このお花もあなたが?」

ひらひら、ふわふわと揺れる手。
それがそっと頭から頬に移動して、すっと撫でられる。その時微かに、大丈夫よ、と女の人の声が聞こえた気がした。

それを聞いて、なんだか本当に大丈夫な気がしてきたその時、真っ暗だった穴に一筋の光が差し込んだ。
ずずず、と重たい岩をどかしながら、三葉、三葉と私の名を呼ぶその声は必死で、私も大きな声で彼の名を呼んだ。

「綾ちゃぁん!!ここ、ここだよ!!」

「三葉!!やっぱり!!立花先輩、ここです!!」

綾ちゃんと、恐らく一緒に私を探してくれていたらしい仙蔵先輩が穴を塞いでいたものをどかし、私を穴から引きずり出してくれた。

「三葉!!い、いかん、すぐ医務室に…!!」

私を穴から引っ張りあげると同時に、普段から白い顔を更に真っ白にして仙蔵先輩は叫んだ。
綾ちゃんも同じように、震える手で私の頭や体にそっと触れる。

「一体誰がこんな…何があったの、三葉!!」

「え、えと…絹さんが、赤い絹さんが来て、逃げようと思ったら穴に落ちて、それで閉じ込められて…」

「他には!?落ちた時に何かされたとか、刺されたりとか、どうしてこんなに血塗れなの!?」

顔面蒼白の綾ちゃんに必死の形相で問い詰められ、私はびくりと肩を揺らした。そして、明るい場所で自分の体に視線を落としてみると、手も、装束も、きっと顔も頭も、真っ赤だった。

「…水じゃなかったんだ…」

さぁ、と血の気が引いていき、私は小さく呟いた。
とりあえず慌てている仙蔵先輩と綾ちゃんにこれは私の血じゃないと説明し、穴の中であったことも話した。

「…血の、拷問か…」

ぼそりと繰り返した仙蔵先輩の言葉に、背筋を悪寒が駆け抜ける。
思い出すだけでも、ぞっとする。
私は気を取り直すようにぷるぷると首を振り、2人にお礼を述べた。

「叫んでも誰も通らないから、もうだめかと思いましたぁ」

付け加えるようにそう言うと、2人は顔を見合わせて、教えてくれた。

「三葉、私たちはな、恐らくお前が閉じ込められてからそう大差ない頃ここに来た。喜八郎が裏庭で蛸壺を掘っている時に、以前も現れた白い服の女が声を掛けてきたそうだ。三葉が危ないと。それで教えられたこの場所に来たんだが、お前の声は一切聞こえなかったぞ」

「それどころか、僕のこのターヱ門6号だって、僕が場所を覚えてなかったらただの岩だったよ」

そういう綾ちゃんに詳しく話を聞けば、先日確かに穴を掘ったこの場所に、見慣れない岩があったそうだ。
確かに場所を覚えていた綾ちゃんが不思議に思って近付くと、やっと私の気配がしたらしい。
知らず知らずのうちに生き埋め状態にされていた私は、それを聞いて今度こそ本当に、腰が抜けてその場にへたり込んだ。

「とにかく無事でよかった…」

安堵の息を吐いた仙蔵先輩に抱えられて、私はまず本当にどこも怪我がないか確認のため医務室に担ぎこまれ、その後血塗れの体や装束を何とかするため風呂へ、そしてその日の夜、私の知らないところで【三葉身辺警護安全対策本部】なるものが設立されたらしい。
今回に限らず、急に姿を消したことが仙蔵先輩の過保護さを加速させてしまったと、常に誰かが傍に居る状況になってから、私は反省したのだ。

(あの、あの、厠ぐらい1人で行けますから…!!)

(駄目だ。身辺警護安全対策本部長である私が許さん)

(…その身辺警護なんちゃらって、他に誰がいるんですか?)

(私を筆頭に6年生全員、5年生全員、4年生全員、あとはお前の弟と1年の山伏の息子だが?)

(…すごいおおい…)


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