三年ろ組と可愛い赤ちゃん
三葉が久々知兵助に懐くその前日。
3年ろ組名物といっても過言ではない、迷子コンビの神崎左門と次屋三之助は、腰に縄を括りつけられて裏裏山を爆走していた。
「こっちだー!!」
「おー」
「左門、三之助、待てぇぇぇ!!!そっちじゃねぇぇぇ!!」
あらぬ方向を指差し走る2人に結ばれた縄をしっかりと掴んだまま、面倒見のいい…というか面倒を見ざるを得ない富松作兵衛が怒鳴る。
3年長屋に向かっていたはずなのに、彼らは何を思ったのか学園を飛び出した。それは困ると慌てて縄を引っ掴んだ作兵衛は、幾度となく静止の言葉を掛けつつも彼らに引き摺られるまま裏山を駆け抜け、裏裏山の見たこともない場所を駆け抜けていく。
「お前らは猪か!!止まれって言ってんだろ!!止まれぇぇぇ!!」
山中に響くような大きな声で作兵衛がそう叫ぶと、ようやっと通じたのか、左門と三之助が同時にぴたりと足を止めた。
ぜいぜいと息を切らせて彼らを叱りつけようと顔を上げた作兵衛は、視界に飛び込んできた光景にひくりとその喉を引きつらせる。
「おー、なんだここ?」
「体育委員会のいけどんマラソンでも、こんなとこ走ったことねぇ」
暢気に呟く左門と三之助をよそに、作兵衛ははくはくと口を開閉させる。
見覚えのない川べりに、幾つも並んだ小ぢんまりした丸い石、苔の生えた人型の石像、どこかでよく見る形の木札には、掠れた文字。
「えーと、水子…供養…ってことは、ここ墓か?」
普段通りの明るい声で、左門が木札…卒塔婆に書かれた掠れかけの文字を読み上げる。
「ふぅん、全然知らなかった」
そう呟きつつ、何を思ったのか三之助がお地蔵様に近付いていく。そんな彼の腰に巻きつけた縄を、作兵衛がぐっと引いた。
「ぐえ!!作、何すんだよ!!」
「馬鹿野郎!!おおおまおまお前こそななな何やってんだ!!はは早く逃げるぞ!!」
慌てた様子でぐいぐいと縄を引いてひき返そう、帰ろうと躍起になっている作兵衛に、左門と三之助は首を傾げる。
「作、何をそんなに慌ててるんだ?」
「逃げるって、何からだよ?」
一旦顔を見合わせてから、不思議そうにそう問い掛ける左門と三之助に、作兵衛は信じられないといった表情をして、震える手で彼らの背後を指差した。
「お、お前ら見えねぇのか!?そこ、そこに、そこに血塗れの赤ん坊!!こっちに向かってきてるじゃねぇかよ!!」
真っ青な顔で、作兵衛が叫ぶ。それと同時に、水の流れる音しか聞こえなかった墓地に、けたたましい赤ん坊の泣き声が突如響き渡った。
それに驚いた左門と三之助が叫び声をあげ案の定あらぬ方向に走り出したが、作兵衛はぐっと縄を手繰り寄せて、こっちだ、と来た方向へ走り出した。
作兵衛は、決して縄を離さないようにしっかりと腕に巻きつけ、擦れて血が滲むのも厭わず2人を引っ張る。
彼にははっきりと見えていた。あの墓地に着いた時から、丸い石に隠れるように血塗れの赤ん坊が蠢いていた。そして、愕然としていた作兵衛に気が付いた赤ん坊は、くるりと彼を見た。
本来ならば愛らしい瞳があるはずのそこからはどろどろと血が流れ、体中の関節をあらぬ方向に曲げた不気味な体勢でぐちゃりと哂ったその姿は世にも恐ろしいもので。
三之助がそれに近付いていった時は、全身の毛が逆立った。
本能的にやばいと感じた作兵衛はこうして逃げているわけだが、背後から聞こえてくる赤ん坊の笑い声がどんどんと近付いている気がする。
「くっそ…ぅわ!!!?」
必死に走って走って、ようやく見覚えのある場所に出た頃、とうに限界を超えていた作兵衛の足はがくりと縺れ、その場に膝をついた。
左門と三之助が大丈夫かと駆け寄り起こしてくれたが、正直作兵衛はそれどころではない。
ずざざざざ、と、物凄い速さで這いずってくる赤ん坊は、もう目の前。
がぱぁ、と真っ黒な大きい口を開けて、赤ん坊が作兵衛の足を掴もうとした、その時。
がざりと3人の頭上の木の葉が揺れ、深緑がひとつその場に下りてきた。
「作兵衛!!どこまで行ってたんだ、随分と探したぞ」
「「「食満留三郎先輩!!」」」
鋭い目を緩ませて笑う彼の名を、3人が大きな声で呼ぶ。
「おぉう、なんだどうした?ん?」
「作が、作が転んで!!」
「何だと!?作兵衛、大丈夫か!?怪我は…うわ、擦りむいてんな!!」
左門が泣きそうな顔で作が、作がぁ、と訴えると、留三郎は座り込んでいる作兵衛の足を見た。転んだ拍子にどこかで擦ったのか、袴の膝部分が破れ、そこから覗く膝小僧からは痛々しい傷か見えた。
呆然としている作兵衛をおぶり、彼の手から迷子防止縄を取り上げた留三郎は、がたがたと震えている左門と三之助に、作兵衛は大丈夫だ、大した怪我じゃない、と優しく言い、3人を連れて忍術学園に戻った。
「伊作!!手当てしてやってくれ!!」
作兵衛を負ぶったまま医務室に駆け込んだ留三郎に驚いたものの、伊作は丁寧に作兵衛の傷を手当してやった。
「はい、もう大丈夫だよ。それにしても、今日はどこまでいってたんだい?」
てきぱきと救急箱を片付けながら伊作が笑顔でそう尋ねると、サッと3人の顔色が変わる。尋常ではないその姿に、伊作と留三郎が顔を見合わせていると、左門がおずおずと話し出した。
「えっと、多分、裏裏山?なんか、川があって、そこに水子供養の墓地とか…」
「はぁ!?それ裏裏山じゃねぇよ、もっと先の学園の私有地外だ!!お前らそんなとこまで行ってたのか…そりゃ裏裏裏山まで探しても見つからねぇわけだ」
「っていうかそこってアレだよね、三葉ちゃんが留さんと僕は絶対に行っちゃダメーって言ってたとこ」
伊作のその言葉に、三之助の肩が跳ね上がる。
忍術学園でも有名な、時友三葉…彼が所属する体育委員会の2年生時友四郎兵衛の姉で、姉弟揃って凄い霊感を持っているという噂。
時々委員会の活動中にその片鱗を見せている四郎兵衛を間近で見ている三之助は、ぞわりと背筋を駆け上がった悪寒に体を小さく震わせた。
「なんだっけ、赤ちゃんは優しい人とか面倒見のいい人に憑いていきやすいからだっけ?」
「あー、なんかそんなこと言ってたなぁ。もしかしたら、作兵衛に憑いてきてたりしてなぁ…なーん、て、な…?」
ハハハ、と冗談交じりのつもりで笑った留三郎だが、顔面蒼白の3人を見て目を泳がせる。しっかりしていても、まだまだお化けが怖いのだろうか、と思い、頬を掻いた。
「だ、大丈夫だ。俺が見つけたときだって何もいなかっただろ?例え憑いてきたとしても、忍術学園屈指の不運魔寄せ大王の伊作んところに行くから平気だって!!」
「いや、僕のところに来られても困るよ!?でも、何かあったら三葉ちゃんに相談すれば大丈夫だから、ね?」
そう笑って、不安そうな3人を医務室から送り出した伊作。
廊下から留三郎と共に3人の小さな背中を見送り、可愛いところもあるね、と笑っていたその後ろを、赤黒い何かが這いずって医務室に入り込んだ。
ほぎゃあ、と微かに響いたその泣き声は、彼らには聞こえない。
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