文次郎と彼女
「おしごと、ですか?」
放課後、委員会がないのでいつものように綾ちゃんと校庭で日向ぼっこしていたら、担任の先生が来て、学園長先生の庵に呼ばれた。
どこか心配そうについてきた綾ちゃんと一緒に庵に入ると、開口一番学園長先生に「三葉に頼みたい仕事がある」と言われ、冒頭の言葉が口をついで出た。
「そうじゃ。実はのう…最近、使いを頼んだ生徒数人から聞いたんじゃが、学園から村へ向かう途中の山道に、おんぶお化けが出るらしいんじゃ」
「おんぶおばけ?」
「うむ。話を聞く限り、害はなさそうなんじゃが、夕方から夜…使いの帰りにその道を通ると、どこからともなく『おぶさりてぇ、おぶさりてぇ』と不気味な声が聞こえ、背中がずんと重くなるらしい。最初は耐えられるんじゃが、どんどんとその重みは増し、耐え切れなくなって倒れてしまうとふと消える、らしいんじゃ。お陰で気味悪がって誰も使いを引き受けてくれなくなってのぉ…」
学園長先生はそう言うと、物凄くわざとらしくちらちら私を見ながら、誰か退治してくれんかのぉ、なんて呟いている。
「…あの、えと、すごく申し訳ないんですけど、私祓うとかできなくて…」
「いやいや、1人でとは言っとらんよ?ほれ、そこの綾部喜八郎とか、のぅ?」
「や、えと…綾ちゃんは寄せ付けないので、一緒に行くと退治どころか出て来もしないです…」
「なんじゃと!?じゃあ立花仙蔵は!?お主の弟は!?山伏の息子はどうじゃ!?」
「立花先輩…というか、作法委員全員寄せ付けません。しろちゃんは私と同じで祓えませんし、さんちゃんも危険回避能力と危機察知能力が高いので…」
学園長先生の物凄い剣幕で詰め寄られてしまったが、出来ないものは出来ない。私は困ってしまい、俯いて両手の人差し指を擦り合わせる。
「そ…そんな…わしの、わしの干し柿…!!」
そんな私の回答に、がっくりと項垂れてしまった学園長先生。どうしよう、と思い綾ちゃんに視線で助けを求めると、ばちりと目が合った。
「…三葉、適任がいるじゃない」
「ほぇ?」
そう言って悪戯っぽく笑う綾ちゃんに手招きされ、耳を近付けてみると、驚きの作戦を囁かれた。
「………それ、怒られたりしない?」
「怒られるとしても、三葉を怒るのはお門違いだから」
綾ちゃんの言う“適任”が怒鳴り散らす姿を想像し、妙な汗が浮かぶが、確かに一番いい作戦だと思う。私は大きく息を吐いて、意を決して綾ちゃん考案の『おんぶおばけ退治大作戦』を学園長先生にお伝えした。
−−−−−−−−−−−−
「ったく、予算会議も近いというのに…仕方ない。さっさと行ってさっさと帰るぞ、三葉」
「はぁーい」
ブツブツと呟きながら、不機嫌そうな潮江先輩と共に忍術学園の正門を出る。
…綾ちゃん考案の『おんぶおばけ退治大作戦』の適任者、その白羽の矢が見事刺さったのは、忍術学園一ギンギンに忍者している潮江先輩。
確かに潮江先輩は忍としての実力もあるし、こう見えて実はしっかり視える人。更に会計室に夜な夜な出ていた算盤小僧なるおばけ?も愛用の10kg算盤の一撃で祓ってしまったという武勇伝もお持ちで、頼もしいことこの上ない。
しかし、今回のこのお使い。作戦内容は勿論おんぶおばけのことも話していない。何故かはわからないけれど、綾ちゃんがそのほうがいいって言うから。
怒られるのが怖くてびくびくしていたら、勘違いした潮江先輩が何やら言いにくそうに、お前に怒ってるわけじゃない、とフォローを入れてくださった。
(ううう、騙してるみたいで良心の叱責が…まぁ実際騙してるわけなんだけど…)
痛む胸を押さえつつ、暫く歩いて目的地に着き、阿甲老師さまから無事学園長先生熱望の干し柿を頂くことができた。
阿甲老師さまの強い勧めで宝物?自慢にお付き合いしていたら、あっという間に日が暮れて、気付けば空は赤く染まっていた。
「………っち。三葉、少し急ぐぞ」
「はい…」
そう促され、潮江先輩に必死についていく。
そうして暫く歩くと、学園長先生が言っていた『おんぶおばけ』が出る道が見えてきた。
ぜいぜいと息を切らしながら、息切れひとつ起こしていない潮江先輩を伺い見る。そして、これから始まる大作戦に、心の中で謝罪した。
すっかり夜の帳が下りてしまった山道に入ってすぐ、私の左目にノイズが走り出し、どこからともなく、おぶさりてぇ…おぶさりてぇ…と小さな声が聞こえてきた。
「ん…?何か聞こえなかったか?」
「!!………あ、すみませ…ちょっと疲れ、ちゃいましたぁ…」
「三葉?今の三葉か?いや、もっと何か低い声が…」
「い、息が切れて低い声が出ちゃって!!」
いぶかしむ潮江先輩に何とか悟られないように、必死でそれらしい言い訳を述べる。焦りながらも綾ちゃんの作戦通り、潮江先輩の袖をくいくいと軽く引いた。
いつものように眉間に皺を寄せた潮江先輩が振り向いたところで、両手を突き出して俯きがちに呟く。
「あの…あの、潮江先輩………おんぶ…」
「ぶっ!!………っ、しょうがねぇな…鍛錬が足りんぞ!!」
何故か噴き出した潮江先輩はそう怒鳴りながらも、私に背を向けでしゃがんでくれた。それとほぼ同時に、先輩の背中に何かがどさりとおぶさる。
「勢いつけて乗るな!!さっさと行くぞ!!」
「は、はぁい!!」
左目に映る黒い影。しかし潮江先輩は珍しく、おぶさっているのが私ではないことに気付かない。
どうかこのまま学園までばれませんように、と祈りながら、私は潮江先輩の背中ギリギリのところまで近付いて極力足音を立てないように歩き始めた。
暫く進むと、ふと潮江先輩が前を見たまま小さく呟いた。
「…おい、お前、ちょっと重くなってないか?」
「ふぁ!?あ、じゃ、ご、ごめんなさい!!ちょっと寝てました!!」
「…あぁ、だからか…」
潮江先輩は納得したように頷いて、また歩く。
また暫くすると、潮江先輩が再度呟いた。
「…おい、また寝てんのか?つーか…お前ってこんなに重かったか?」
「はぅ!!お、起きてます!!えっとその…ちょっと…太っ、ちゃって…」
「そ、そうか…せ、成長期だしな…」
潮江先輩は何だか慌ててそう言って、少し俯いてまた歩く。
あと少しで学園の正門が見えるというところで、私は潮江先輩の異変に気がついた。
なんと、あの潮江先輩がぜいぜいと息を切らしている。おんぶおばけはかなりの重さになってしまっているようで、先輩の足取りは重たい。
「…おい、いくらなんでも重過ぎるだろ」
その一言に、私の肩はびくりと揺れる。
既に潮江先輩はおぶさっているのが私でないことに気が付いてしまっているようで、仕方なく、綾ちゃんに言われた通りの言葉を呟く。
「ご…ごめんなさい…実は、その…潮江先輩の鍛錬のために、山道に入ったところから背中に岩をひとつずつ拾って乗せていました…」
「なんだとぉ!?こっの…バカタレぃ!!」
怒り心頭といわんばかりの怒鳴り声で、思わずぎゅっと目をつぶる。しかしその後に続いた言葉は、私の想像のはるかに斜め上を行っていた。
「そうならそうと早く言わんか!!行くぞ!!」
「………はぁ、い…」
突如元気を取り戻したように、嬉々として歩き出した潮江先輩の背中の黒い影を遠い目で見つめ、言われた通り私も歩き出す。
くノ一伝家の宝刀“嘘泣き”は発動せずに済みそうだよ、綾ちゃん。
潮江先輩の呻き声を聞きつつ、何とか忍術学園の正門が見えてきた。
「ぐぎぎ……や、やっと…ついた…!!」
真っ赤な顔で正門前まで辿り着いた潮江先輩。すごい、ばれなかった。
すると突然、潮江先輩の背中に乗っていた黒い影がキラキラと光り出し、見る見るうちに影はじゃらじゃらと音を立てて銭に変わり、先輩の背中から地面へと落ちた。
「あんだこりゃ?なんでこんなに小銭が…?」
「わ、わぁぁ!!岩だと思ったらお金拾ってたのかなぁ!?」
眉を顰めて地面の小銭を見ている潮江先輩に向かって、大慌てでそう叫ぶ。
多少わざとらしくなってしまったのは仕方ないと思う。
「はぁ?…ったく、変なもん乗せたと思ったら…しかしこんなに落ちてるもんか?」
「す、すごいですねぇ!!暗くてよく見えなかったけどびっくりですねぇ!!」
「………まぁいい。折角拾ったんだ、貰っとけ。俺は学園長のところにこれを届けてくる」
「は、はぁい!!あとでこれお届けに行きますねぇ!!」
フンと鼻を鳴らして学園長先生の庵に向かって歩いていった潮江先輩の背中に向かって手を振り、見えなくなったところで大きく安堵の息を吐いた。
「ふぁぁぁ…よ、よかった…でも驚いた。最後までおぶさりきるとお金になっちゃうんだぁ…」
へにょへにょと力なく地面に座り込み、落ちている小銭を見る。潮江先輩には申し訳なかったけど、これでもうおんぶおばけが出ることはないだろう。
私は小銭をひとつずつ拾い、懐から取り出した手拭で包んだ。これはあとで潮江先輩に献上しよう。頑張ったのは先輩だし、騙しちゃったお詫びも兼ねて。
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「喜八郎から聞いたときは驚いたが、偉いものだな、文次郎の癖に」
「俺の癖にってなんだよ…仕方ねぇだろう」
「ほうほう、三葉のために頑張ったと、そういうことか?」
「バカタレぃ!!泣かれたら厄介だと思っただけだ!!」
「気付いていない振りをしてやってまでか?」
「ぐっ…三葉が下手糞な演技で必死だったから付き合ってやったまでだ!!」
「ほっほーう、文次郎殿はお優しいなぁ」
「ニヤニヤしてんじゃねぇ!!ッたく、てめぇんとこの後輩だろう!!しっかり面倒見ろ!!」
手拭に小銭を包み終わった三葉が嬉しそうに学園に戻っていったのを見届けて、がさりと姿を現したのは彼女の保護者的な立花仙蔵と、先程庵に走っていったはずの潮江文次郎。
三葉の下手糞な演技は開始当初既に見破られ、それでも優しい文次郎は気付かない振りで付き合ってやった。
そして正門で隠れて待っていた仙蔵を見つけ、庵に行く振りをして彼女から離れたのだ。
「悪戯仕掛けるような奴じゃねえし、何か訳でもあったんだろ」
「文次郎にしては鋭いな。私が教えてやろう」
「別にかまわねぇよ、理由なんかどうだっていい。あいつ、嬉しそうだったしな」
「そうか……ふふ、そうだな」
そう言って笑う仙蔵と共に、文次郎は珍しく目尻を下げて柔らかな瞳で彼女の消えた方角を見つめた。
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