暴君と彼女

今日は休日。昨日までは何して遊ぼうかな、何て考えていたけれど、今現在、私はとても憂鬱な気分で正門の前に立っていた。

「…はぅぅぅ…」

こぼれる大きな溜息。出門表にサインする手ものろのろとしか動かない。
それもこれも、昨日担任の先生に急なお使いを頼まれてしまったから。しかも、そのお使いと言うものがこれまた厄介なことに、私の嫌いな場所を通らないと行けない場所だったりする。

「…はぅぅぅ…いやだよぅ…」

呟きとともに浮かんでしまった涙に、サインを終えてしまった出門表を引っ込めた小松田さんが慌て出す。

「ど、どうしたの?そんなに嫌なの?誰かに代わってもらえないの?」

「うぅぅ…お願いしたんですけど、同行者の名前を出したら皆どっかに逃げちゃうんです…」

そう。同行者。最初は1人で行くはずだったけれど、先生にあの場所は苦手です、困ります、と言ったら、じゃあ上級生に声掛けとくから、と言われて…私はてっきり委員会繋がりで仙蔵先輩にでもお願いしてくれるのかなと思っていて…でも、夕食時に明日よろしくと声を掛けてきたのは、

「何をぐずぐず言ってるんだ?さっさと行くぞ三葉!!」

まさかの暴君、七松小平太先輩だったのです。
驚きのあまり叫んでしまった私だったけれど、必死に代打を、と思い色々な4年生に声を掛けましたとも。最初は皆優しくて、いいよ、なんて言ってくれたのに、同行者の名前を出した途端笑顔が引き攣りあっという間にどこかへ消えてしまった。

「さぁ、日が暮れる前に学園に戻れるようにいけいけどんどーん!!」

「はにょっ!!?」

昨日の悲しい記憶を思い出していたら、小平太先輩に首根っこを引っ掴まれ、あっという間に学園の校門を飛び出した。
恐ろしい速さで流れていく景色を涙で滲む視界で捉えながら、せめて新しいトラウマが増えませんようにと心の中で祈った。



−−−−−−−−−−−−
あっという間に、本当にあっという間に森を抜け、町を過ぎ、私の嫌いな場所も抜け、先生に申し付けられた村へと到着した。
まるで三半規管がおかしくなってしまった気がする。
覚束ない足取りで目的のお使いを済ませて、あまりにも顔色が悪い私を見かねた主人が少し休んでいきなさいとお茶を出してくれ、私と小平太先輩はお言葉に甘えて少しだけ休憩を取った。
あまり長々とお邪魔してはご迷惑なので、ある程度気分がよくなった時点でお礼をいい、学園に帰るべく村を出た。

「…日が暮れてきてしまったな」

ぼそりと呟いた小平太先輩の言葉に、私の肩がびくりと震える。

「あそこ、怖いんだろ?早めに行けば夕暮れ前に通れると思って急いだんだが…すまんな」

「謝らないでください!!小平太先輩は急いでくださいました!!私が…私が、ゆっくりしちゃったから…」

どうやら私を気遣って暴走特急になっていたらしい小平太先輩が、しょんぼりとしながら謝ってきたので、私は慌てて両手を振ってそれを制した。
そう、そもそも、暴君酔いした私のせいで日が暮れてしまった…いわば自業自得なのだから、小平太先輩が謝ることではない。
しかし、どんどんと濃くなってくる不穏な気配に、自然と歩みが遅くなる。
嫌だ嫌だと思っていても、どうしても通らなければいけない場所。それはもう目の前まで迫っていた。

ざあざあと水の音が聞こえ、左目にノイズが走り出す。
尋常ではないその激しさに、思わず小平太先輩の袖を掴む。

「どうした?気分悪いのか?」

「っぁ…が…」

水の音なのか、それともノイズなのか、判断がつかなくなった頭で、懸命に倒れないように踏ん張るが、すぐにぐらりと傾く体。
転ぶ、と思った瞬間、私の体は小平太先輩にひょいっと抱き上げられた。

「無理するな。辛いのなら私が抱えて通る」

そうにっこりと笑って、私を抱えたまま、私が苦手とする川の上に掛かる橋をずんずんと歩き出した。
そういった類のものを撥ね退ける小平太先輩に抱えられたら、左目のノイズも若干和らいだ。

「小、平太先輩…ありがとうございます…」

「気にするな!!しかし三葉はなんでここが苦手なんだ?」

豪快に笑ってのっしのっしと橋を進む小平太先輩に不思議そうに聞かれ、私は戸惑ったが、理由を話すことにした。

「ここの川って、くの字に曲がってるじゃないですか…そういうところって、上流からいろんなものが流れ着いて止まるらしいです。だからここ、本当に凄くて…しろちゃんなんか、絶対通せないです、連れてかれちゃいますから」

「へぇ、そうなのか」

聞いておいて大して興味がないのか、そう短く返事をした小平太先輩。
その足元には、恐らく先輩には見えていないだろうが、黒く霞がかった影がうごうごと蠢いており、彼の足を掴もうと絡み付こうとしている。
しかし小平太先輩は、見えていないはずなのに、それをひとつ残らず踏みつけながら歩いている。
時々私に向かって伸びてくる影は、虫か?と言いながら鬱陶しそうに手で払いのけ、私に触れないようにしてくれている。あくまで偶然だけれど。

そうして、あっという間に超安全に橋を渡り終えることが出来た小平太先輩は、もう大丈夫です、と告げた私を地面に下ろして、今度は手を繋いでゆっくりと歩き出した。

「日が暮れたなら急いでも同じだ。三葉に合わせてゆっくり帰るとしよう」

「はぁい。小平太先輩、ありがとうございます!!やっぱり先輩は凄いですね!!とっても頼もしいです!!」

「わははは、照れるだろう!!」

茜色から藍色へと変わってしまった空に、ぽっかり浮かんだ月。
それらを背に、私たちは手を繋いで学園に帰った。



後日、小平太先輩の暴走特急は怖いものの、あの癖になりそうな安堵感が忘れられず、抱っこをせがんだ私を見て留先輩が何かもにゃもにゃ言ってた。


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